造化に率(したが)うことです。
造化とは宇宙の働きのことであり、宇宙には私心がありません。
人間には私心がありますが、私心以外の心もあります。
それを真の自己、真己と言います。
真己は宇宙とつながっており、これを発揮させることが造化に率うことです。
天風哲学と同じ考え方です。
真己を発揮させるとは、具体的にはどんなことでしょうか。
例えば、近くに人が倒れているとします。
その際、迷うことなく、助けようとすることです。
迷いは私心が原因です。
私心をなくす努力せねばなりません。
我々に宇宙から求められているのは、
造化に率うこと、真己を発揮させること、これのみなのです。
真己発揮は、人助けに限りません。芸術も含みます。
人助けは主に仕事ですね。
仕事と芸術を持っている人間が最も人間的に豊かなはずです。
宇宙のエネルギーを存分に生かしており、永遠の今に生きられる理想的な人間です。
実際にはどうでしょうか。
真己を発揮させるという意識など持っていないでしょう?
それは先賢の書を読まないからです。
私は安岡正篤や孔子、孟子、佐藤一斎、吉田松陰などの本を沢山読み、
生きる意味に目覚めました。
それまでは「生きていても、何だか虚しいな」と感じる毎日でありました。
何をしても満たされません。自殺を考えるほど虚しくなりました。
そこで本を渉猟するに至ったわけであります。
執行草舟や中村天風の本もいいなと思いましたけど、
安岡正篤などの本がもっと精神の深い部分を満たしてくれました。
生きる意味を求める方は、神渡良平氏の『安岡正篤 人間学』を勧めます。
まずこの本を読み、安岡正篤の精神に触れていただければ、
彼自身の著書を読む意欲がどんどん出てきます。
私は『活学』『活学(第二編)』を読み、そこから10冊以上読み込みました。
安岡正篤の本を読むと、
孔子、孟子、大学、中庸、佐藤一斎、吉田松陰、西郷隆盛と読みたくなるのです。
一番気に入った言葉は、
佐藤一斎の「胸臆虚明なれば、神光四発す」です。
孟子の「天のまさに大任を~」も力になります。
西郷隆盛が死ぬまで佐藤一斎の『言志四録』101条もの抜き書きを
懐に入れていたエピソードは有名ですね。
私も見倣って抜き書きを作成して、毎日起床後と就寝前に音読しています。
安岡が「明師良友は我々の隠れたる内在の性に通ずる道を拓き」と言っていまして、
本当にそのとおりで、先賢の精神や言葉を生活のお供に取り入れると、
精神の中に新鮮な空気のようなものが入り込み、
「胸臆虚明」の感覚を得る気分になるのです。これぞ学問の力ですね。
私が今まで学問と思ってきたものが一体何だったのか。
知識を覚えて観念の遊戯ばかりしていただけのような気がします。
安岡教学を通じて、今見えている世界が180度変わったわけであります。
安岡の六中観のうち、意中人あり、腹中人ありは今はっきり言えます。
孔子、孟子、佐藤一斎、吉田松陰、西郷隆盛、安岡正篤の言葉がスッと出てきます。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
道に生きることのためなら今死んでもいい。死中活ありも言えます。
道に生きないと、苦しいです。虚しくて自殺してしまう。
道に生きる以外に人の道はない。
生きる意味は造化に率うことです。以上です。