AKBの恋するフォーチュンクッキーで有名なこのお菓子。

 

世に広めた人は実は日本人だったそうです。

 

山梨県の実業家:萩原眞氏(1857年-1925年)、この方のバイタリティが凄すぎるため、ここに記します。

 

彼がサンフランシスコに渡米したのは1879年で22歳の時!!

 

裕福な家庭で親のスネをかじりながら留学するような類いとは訳が違います。

 

生まれは農家で親の反対を押し切り、日本全国を旅している中、巡り合った外国船の掃除のバイトをしていたら、間違って乗船してアメリカまで行ってしまったという始末。

 

並の人間ではメンタリティーがやられ、自殺でもしかねないような状況です。

友人はおろか、携帯も辞書もないような時代です。当然、外国のお金も持ち合わせていなかったでしょうに。。

 

坂本龍馬を始め、やはり明治の世代は何かが違いますね。。

 

こんなエピソードを聞いてしまうと、自分の20代の時にTOEFLのスコアが低すぎて留学を断念した経歴を大変恥ずかしくも思えます。

 

明日死ぬかもしれないほどのプレッシャーに追い込まれると人間なんでもできてしまうのかもしれません。

 

最初は住み込みの雑用を受ける仕事で生計を立てたようですが、サンフランシスコで大和屋という中華料理屋を開業したり、博覧会で喫茶店を出店してその評判をもとに日本庭園の支配人に任されたりと、生き生きとしたアイディアがコミュニケーションの壁を乗り越えることにつながったのではないかとも思われます。

 

やはりスピーキング力はアイディア勝負ですよね!

 

私のアプリもいつか成就あれ!!