今話題の米国のトランプさん(大富豪)ではなく、カードゲームのトランプでお馴染みの大富豪(別名:大貧民)の起源について考察したいと思います。

 

日本の小学生ではやったことがない人はいないぐらい有名なトランプゲームですが、その起源は不明なところが多く、発明した人に関する信頼性のある記録は残念ながらお目にかかることはできませんでした。爆発的に大衆化しやすいシンプルな発明の定めですね。

 

これは例えばラーメンなど、いかに偉大な発明(発案?)でものれん分けを通じて初代の味を超えるラーメンが登場すれば初代より目立ってしまい、そして淘汰され、起源がわからなくなってしまうことにも似ています。大富豪も当初はかなりシンプルなゲームのようでしたが、途中から追加された8切り、縛りなど固有のルールが面白さを倍増させ今のゲームになっているようにも思えます。

 

こういう意味では途中に天才的発案をして、発展させた人の貢献度が大きいところもあるのかもしれません。余談ですが、私の作るiPhoneアプリも、開発言語やUI機能など裏で支えてくれた方々ありきの環境で動いているところもあり、天才的付加機能開発者の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

したがって、初代の発明者を単一に同定することは難しいですが、その時代を生きた人々、すなわち発案から発展に関与した人々の考え振り返ることに意味がありそうな気もします。これに関しては確かな情報もあり、どのような心境であったかを計り知ることが可能です。

 

その当時は今の団塊の叔父様達が学生の頃のようです。いわゆる学生運動の終盤にこのカードゲームが開発されたとのことです。この時代は階級闘争が著しく、階級をぶち壊す奇抜なアイディアを模索し、その欲求が人々の心の奥底に根付いていたのでしょう。かといって、そこまで現実的に暴力でものを解決するというスタイルも冷め始めて、バーチャル的にその欲求を満たしたかった思いも感じ取れます。

 

大富豪の模範になったものは人生ゲームのようです。これもまた人の非現実の世界で七色の人生を堪能することができます。いつの時代も日本人はやはりゲーム好きだったのですね。

 

日本人はもともとこうした逆転劇には目がなく、水戸黄門がここまでヒットしたのも大富豪ブームに関係しているようにも思えます。江戸時代の士農工商が根付き、明治維新では建前上、四民平等の考えが普及してもなお、差別という考えがなくならず、戦後を経てなお根付くフラストレーションに違和感を覚えていたのかもしれません。

 

人の本性がどう反映されるのかという観点からも、短い間でまるで寸劇が見れるようなとてもよくできたゲームですね。

 

現実的な暴力を避け、平和的にフラストレーションを解決する手段として、これを発明、発展させてくださった人々にハハァと頭が上がりません。