9月某日、岩手県遠野市に宿をとり旅をしてまいりました。
直前まで残業の嵐でグロッキーのまま東北新幹線で北上。
兎にも角にも、昨年訪れた遠野の空気に、私も友人も惚れこみもうした
ちょうど一年前に帰宅の途に就く新幹線のなかで、今年のプランを早くも決めていた次第。
今年は遠野市のたかむろ水光園を拠点としたのですが、ここに建つ南部曲がり屋に宿泊できると聞いて予約。
南部曲がり屋とは、家のために働く農耕馬を家族同然にいつでも見守れるつくりとして、馬屋から居住空間までL字型の棟続きとした家屋のこと。
今回泊まった曲がり屋は江戸時代末期につくられたもので、大変貴重な経験をいただきました。
たかむろ水光園の曲がり屋は、襖で仕切られた四部屋を自由に使えるということでしたが、人数が少ないため大半を二部屋で過ごしていました💦
しかしながら、囲炉裏の間に寝そべり高い天井を見上げて申し訳程度の腹筋をするなど、今後できるかわからない思い出をつくった初秋。
個人の感覚ですが、人が住んでこそ家は家であり続ける、泊まりにくる人間を曲がり屋自体が歓迎してくれているようでした。
僅かな宿賃が少しでも、この曲がり屋が存続する糧になるなら……と思いながら過ごしておりました。
「遠野まちなか妖怪パネル展」を覗きましたら、遠野城下の妖怪談話とスポットがパネルで展示されていました。
ほんの数キロの範囲で、12もの妖怪スポットがあるのです。
遠野に初めて来たときから「見えないけれど、ここは何かがいてもおかしくない」という空気を私も友人も味わい、この空気をまた吸いたくなり(河童に会いたくなり)(座敷童に会いたくなり)ました。
「画人と狐」
老画人が多賀神社の前を通ると、巨大な下駄が転がっている。
「そんな、めぐせぇ(不細工な)下駄はいらぬ。これが大きな筆だったらなあ」と言うと、下駄はたちまち筆に化けた。
「ああ、立派な筆だ。こんな筆で画が描けたらなあ」としみじみ感心してそこを去ったという。
現在の多賀神社。
本殿に上がる階段はこれよりずっと下ですが、狐と画人のやり取りを見つめた神様がここにいると思うと感動もひとしお。
「大入道と一ツ目童子」
鍋倉城御台所勤めの下女が、酒の買い出しに坂を下っていると、現在の南部神社の裏手あたりで大入道に出くわした。
下女はこれをものともせず手にした小樽をその顔に打ち付け、面食らった大入道はたちまち姿を消す。
さらに進むとおかっぱ頭の子どもが佇んでおり、下女が心配して話しかけるとそれは一ツ目だった。
藪にゆらりと消えた童子を見届け、「一度のみならず二度まで、私を慰めてくれてご苦労様」と笑い、無事に酒を買って帰城したという。
強くない?
鍋倉城が築かれた鍋倉山の中腹にある南部神社。
静かだけれど、さらに厳かさがあります。
ご祭神は歴代遠野南部氏。また遠野南部七福神様と一乗稲荷大明神様が祀られています。
四十路の思い出づくり、ちょこちょこ綴っていきます