いまからだいぶ昔、洒落怖(2ちゃんねるのスレッド『洒落にならない怖い話』)に投稿されて、未だに私のなかで重きを置いている話に『神の戦い』があります。


 

(朗読『神の戦い』136さん)


5分強の短い動画をいままた視聴してみると、本当に洒落にならない内容が含まれているのですが…💦

この中の登場人物である僧侶が言う
「神様の力になるには人間がその存在を知れば良い。祈るとか高い壺買うとか不要。何となくでいいから神様はいるよ、と思っていればOK」
との言葉をいままた(僻地ブログではあるけれど)書き込みたく。
 
以前より式神さんから
「神様は人間にいつも『意識をしている』と伝えているよ」
と言われていたのですが、いまは確かに「意識をされている」ことを意識するときなのかも…と思います。
この感覚は日本という土地独特のものかもしれないと個人的に感じるところ。
 
(余談ですが上記の朗読系YouTuberの136さんは、もう10年近く視聴していて癖になる喋りをされる方です。ファンです)
 
自分がいままで聖地といわれる場所を拝してきたとき、どうして神様は意識をされるのか?と問うてみますと
『問われるのは尊いことだから沢山問いを投げなさい。沢山問われることに慣れているからいいよ』
と言われ、あ、これが答えかと思いました。
『問うて問われるのは人と神にとっても教えだよ』
と式神さん。
上の答えは「意識をしているとは何ぞや?」と逆に問われているよう。
 
人と神様が意識をし合うことは、拝するなかで心を開くことで、できているのかもしれないと思います。
 
あと、いまのこの時代に合うのでは?と思ったのが『風の谷のナウシカ』原作版👍
私は難し過ぎて小学生時に読んだときは挫折しましたが、この年齢なら少しは理解できるのでは…と購入を画策しております。