わたしのブログのタイトルは
「猫のみかんのにちようび」です
この名前に決めたのは
みかんがわたしにとって
特別な猫だったからです
そしてわたしのハンドルネームは 「みかんのママ」
みかんは逝ってしまったけれど
それはずうと変わることはありません
令和7年2月13日 12時50分
Mimiの看板猫みかんは 13歳と8カ月で
虹の橋へと旅立ちました
具合が悪くなってからは
みかんの居場所は 専ら部屋の隅の小さいコタツでした
他の子たちは そこはみかんの場所と知っていて
入院して留守の間も 戻った時のために
その席は 空けていたのです
2月12日の朝
いつものこたつにみかんがいないので
部屋の中を探し回りました
ようやく見つけたのは
とても入れそうにないソファの後ろの
暗く狭い隙間でした
猫は自分の死期が近づくと人目を避けて隠れるというのは本当のこと
改めて調べてみましたが
やっぱりそう書いてありました
いつも見える場所にいるみかんがこんなところにいるのは
初めてのことでした
その日は午前中 学校の仕事があったので
2階のこたつにみかんを入れて出かけました
戻ってみると
やはり部屋のどこにも みかんは見当たらず
細い隙間から真っ暗なクローゼットに入り込み
家具の隙間で細くなっていました
その後みるみる容体は悪くなりました
夕方には手足と首の痙攣が始まりました
冷たい場所を好むというので
しばらく見守りましたが
もう全く歩けないことが分かり
温かいタオルに包んでベッドに寝かせることにしました
夜は私のベッドに みかんを置きました
小さなけいれんは止むことなく ずうっと続いていました
わたしは一晩中みかんに触れて励ましました
みかんははじめて 訴えるような声で繰り返し鳴きました
13年間 聞いていたのはご機嫌なゴロゴロだけだったので
みかんはこんな風に鳴くんだ
知らなくて申し訳なかった思いと
芯の強いみかんが 今までどんなに我慢してきたのかを
思い知らされるようでした
深夜に少しだけけいれんが収まったとき
みかんは鳴くのをやめ
「ゴロゴロゴロゴロ・・・・・」と言い始めました
「こんな具合の悪い状態なのにまだゴロゴロいうんだね」と
数日前には お医者様を驚かせたみかんでした
命の灯が今にも消えようとしている
苦しい状況の中で
この日も1時間もの間 最後のゴロゴロを聞かせてくれたのです
息を引き取ったのは次の日の昼でした
けいれんしていた動きがすーっと止まり
力が抜けていきました
静かな最期でした
13年前
みかんは生後6か月でるりさんが待つわが家へ
みんとくんと一緒に やってきました
東京の猫カフェで少しだけお仕事をしたようです
人懐こく お客さんが離れがたくなる
愛嬌のある姿がHPにアップされており
迷わず迎えることを決断したのです
1年してらみいとゆずくんを迎えてまもなく
みかんは妊娠しました
みかんの子どもが見たくて
避妊手術は待っていました
猫の妊娠確率はほぼ100パーセントで
妊娠期間は2カ月
あっという間にみかんのお腹は大きくなっていきました
妊娠しやすいということは出産も簡単なのかと思いきや
命がけの作業でした
初めてみかんが動揺を見せたのは
出産を迎える朝のこと
不安のためにわたしのそばを離れず
ずっとゴロゴロ言っていました
出産を終えたみかんはやつれてぐったり
生まれてきた元気な4男1女は我先にと
みかんのお腹に入り込み
なんとほぼ24時間子猫がお乳を欲しがり
くっついているので
みかんは眠れず疲れ果てていました
その様子を見守ったのはパパのらみい
ではなく
ご存じイクメンゆずくんでした
らみいは何日もたってから
2階に赤ちゃんがいるのほ見て
目を丸くしていたのです
ゆずくんの献身的なお世話のおかげで
5匹は日に日に大きくなりました
ゆずくんは子猫とみかんに
常に寄り添いました
みかんも次第に元気を取り戻していきました
わたしにとって
こんな感動の体験をさせてくれたみかんは やっぱり特別でした
大変な出産を経て かりんはじめかわいい5匹の子を育てる力強い姿を
見せてくれたみかんに感謝しています
なぜか呼び捨てにしてしまう みかんとかりんとらみい
まとめて「みかん一家」は お外が大好きでした
みかんの思い出といえば
3歳の時の家出です
それは猫生最初で最後の冒険でした
きっとみかんは家のことなどすっかり忘れて
旅を楽しんでいたことでしょう
チラシを作り探し回りました
情報があった青い壁のお宅のガレージにも行ってみました
みかんが戻ってきたのは家出から4日たった
深夜の1時
たまたま仕事で1階が明るくなっていたので
外から聞こえる小さい声に気が付くことができました
この間 みかんがどこでどんな冒険をしていたのか
誰も知りません
でもこの4日間はきっと虹の橋を渡るみかんにとって
最高の思い出になっているのかもしれません
13匹ねこさんは
みんなといるときは学校にいる小学生のようです
大声で鳴かず
わがままも言わす
集団生活を営んでいます
そんな中でらみいだけが
結構自分を出してマイペースな行動をとる
少しだけ手のかかる子どもかな・・・・
ほとんどの子は 聞き分けがよく
特にお客様がいるときはわきまえて行動しています
ところが部屋にわたしと二人きりになると
本来の姿を見せてくれます
みるちゃんは 自己主張をしない子ですが
私の二人だけ空間になるとすりすりごろごろするのです
みかんはというと 診察台でもゴロゴロ 先生にすりすり
具合が悪いはずなのに窓枠に手をかけて
外の景色を楽しんだりと
いつも気丈で 愛嬌のある子でした
定期的にわが家に訪れる私の友人たちは
残念ながら 猫に興味がないのですが
「みかん」だけはすぐに名前を覚えてもらえました
毎回友人の近くに行ってはでおなかを見せてゴロゴロすりすり
みんなの間を行き来してかわいがってもらいました
実家に連れて行った時も
この家の子かと思うほど
みんなに甘えまくりやきもちを妬いてしまうほどでした
スコちゃんならではの 愛嬌のあるしぐさもみかんの魅力でした
ご機嫌な時はこうして転がっていました
るりさんと競ってひねりもしました
スコ座りも完璧
流れ出てくる感じもみかんの得意技
ばってん座りも十八番でした
「13にゃんずは一人で大事に育ててくれるおうちに
行きたかったかな」
「ねこカフェで13匹で過ごすのは辛くないかな」
そんな風に考えることはよくあります
みかんはどうだったろう
みかんが歩けなくなり
2階を締め切って
完全に2人だけで過ごした時間
それは わずかな1日程度の時間でしたが
それがみかんと初めて2人きりで過ごした長い時間でした
わが家に迎えた時から今に至るまで
いつだって周りに他のねこさんがいたからです
私はみかんと並んで横になり
手を握って背中をさすって一晩過ごした時
悲しくてやりきれない気持ちの中に
初めてみかんを抱きしめている
だれにも邪魔されずみかんと向き合って
一緒に苦しみに耐えている状況に
やっとこんな時間が持てたという安堵ような気持ちを
同時に感じていたように思います
みかんを一番近くに感じた時間でした
最後のゴロゴロはみかんからの
精一杯のメッセージだったと思うのです
年齢を重ねてきている
12匹の子たちとも
そういう時間を絶対につくろう
元気なうちにできるだけつくらなくてはと思いました
13匹の中で2人きりの時間はなかなかつくれなかったけれど
みかんはその分
多くの方にかわいがっていただきました
総選挙では毎回上位
その存在感を見せつけました
丸10年間、ねこカフェMimiの看板猫として
かわいがっていただきました
いっぱいちゅーるをありがとう
たくさん撫でてもらい「かわいいね」って言われて
毎日ごきげんだったよ
お祝いもたくさんしてもらった
たまには面倒なこと間あったけど
おしゃれもできたしね
友だちや家族がいるから
退屈しなかった
ねこカフェの生活も悪くなかったよ💛
15日の葬儀にはたくさんの方が
来てくださいました
虹の橋に向かう
最期の瞬間まで
たくさんの優しさをいただきました
みかんから 最後のメッセージ
みんなより一足に先に 虹の橋に行ってるよ
看板猫の座は
もうすぐ14歳になるるりちゃんに任せるよ
後のことはみんなにに任せるよ
らみいさん
ちょっと頼りないけど副店長しっかりね
かりんちゃん
グリちゃん
そして大河君・・・・
みんないい子で長生きするんだよ
みかん
今までみかんをかわいがっていただき
本当にありがとうございました