鏡を求めて旅へ・・・・ | 私と森羅万象・・・

私と森羅万象・・・

右へ行くべきか、左へ行くべきか?
人生は何時も決断を迫ってくる・・・けれど
なんだか慣れてきたように思う今日この頃です


人生もいよいよ黄昏てきて、ふと自分本来の姿を映したくなり旅を思い立った。


「自分」というのはなかなか自分自身では見えないもので、その姿を見るためには

鏡のようなものが時には必要だと思う。


自らを観るためには「他」を見て、それに対して自分がどのように感じるかで

「自分」を識ることが出来ると私は考えている。



さて、世界の火薬庫ともいえるイスラエルだが多くの人が支えとしている世界宗教の

発祥の地でもある。


幸せな人生を送るにはどういう生活をすればよいのかを教えてくれるはずの宗教が

なぜ争いのもとになるのか、不思議と言えば不思議な話だが世界は混とんとしており

その混沌の様相を見るのは「自分」を見るようなものかもしれないと考えた。




このような荒野が続くイスラエル。

此処は気候環境も厳しく数千年前から周辺の民族と互いに侵略したり侵略されたりが

繰り返し行われていたこと等が、この地に立つとよく理解される。


このような荒野では昔は食べ物等はそう簡単には手に入らないだろうと思う。

手に入らないとなると、やはり奪うことになるのが当然と言えば当然だ・・・そんなことも思った。



自らと繋がる同属のものには分け当たることができても異質のものには、

それが出来ないのが私達だ。


異質とは何か? 自分とは異なるものだ。

何が異なるか? 血族が違う、信条が違う、顔が違う、肌の色が違う・・・と様ざまだが

とにかく「自分」が愛しいものにとって「自分」と同線上にないものは「異」と見るのが私達だと思う。


「自己」と「他」を同質に感じられるようになることが殆どの宗教の目的だと思うのだが

それはこのような荒野に生きるものでなくても非常に難しい。



イスラエル・ヨルダンの旅は色んな事を自分の中に映し出してくれた旅だった。

聞いて、見たことについてつらつら書いてみようと思いつつ旅を思い出している。