小児期を知りたくて読んだ。
不動産と言えば最近YouTubeの不動産Gメン滝島を見るが、不動産業界というのは法律や契約の穴を見つけてつけ込む悪どい商売という印象。勿論真面目な業者も多いけど、悪貨は良貨を駆逐する如く、善人は負ける、性悪説の世界だなと感じる。トランプはそこまでの一面は無いかもしれないけど、手段は選ばないなというのと、下手な仕事はしないほど働き者だと言うことと、何より大きな仕事に興味があるのであって政治には興味は無いだろうなということ。
しかし今のバイデン政権の方が色々とひどそうなので(部下による傀儡?)、大国の政治は何とも…


トランプの小児期

祖父 
スウェーデンからアメリカへ子供のころ移住 レストラン経営 大酒飲み トランプの父が11歳の頃死去

祖母
夫の死去後お針子として働き出す

1905生まれ ニュージャージー 3にんきょうだいの真ん中(姉、弟) 11歳の時父の死去後大黒柱となっていく 果物屋ー靴磨きー建設現場での木材運びなどあらゆる半端仕事をこなす 建築に興味を持ち高校生の時夜学で大工仕事と図面の見方、見積もりを学ぶ。16歳で最初の建築を行う(隣家の車2台の木造ガレージ)。当時ガレージは珍しく、50ドルでプレハブガレージを建設する商売を始めた。その後家計のため大工助手として働く。腕がよく、暗算に優れていた(老いた今も5桁の足し算ができる)。仲間の大工は教育を受けていないため、手っ取り早い仕事のやり方を教えた。父は向上心があり、よりよい仕事をしたい、腕を上げたいと思っていた。クイーンズに5000ドルで建てた一戸建てを7500ドルで売却した。会社エリザベス・トランプ&サンを立ち上げた(未成年だったため、母親のサインが必要だった)。利益でクイーンズの労働者階級の地域に次々と家を建てていった。それまでアパート暮らしの労働者は郊外風のレンガ造りの住宅を低価格で提供された。大恐慌が始まった時には倒産した住宅金融会社を買い取ったのち売って利益を上げたり、ウッドヘイブンにセルフサービスのスーパーマーケットを建てた(いわゆるスーパーマーケットの最初のものである)。しかし建築業に戻りたいため1年でキングカレンに売って大きな利益を上げた。
1934年大恐慌はおさまり始めたが依然金融は厳しく、低価格の家をつくることにした。ブルックリン貧困地区を選び、大成功した。弟の大学資金を作り出し、MITで博士号をとった。
1936年父母が結婚する。昔風で、母は主婦に徹したが、ブリッジに興じたり電話でおしゃべりを過ごしていたわけではない。5人の子供の世話をし、家事に励み、病院でボランティアをした。裕福だったが、1ドルの価値、勤労の大切さを教えられた。父は見栄を張らず、いまだにブルックリンの質素なオフィスで働いている。

きょうだい
姉 マウント・ホールオーク大学卒後、母と同じ道を歩むが、子供が10代になると法律の勉強を始め、民間会社に勤め、連邦検察官のち連邦判事になった。
兄 兄は父と正反対で、つらい思いをした。ハンサムでパーティが好き。人好きで温かい性格。しかしビジネスに向いていなかった。不動産業にも適性がなく、業者とわたりあえるしぶとさもなかった。父と兄には軋轢が生じた。一番やりたかった飛行士になるため家を出た。パイロットとしてフロリダのTWAで働いた。釣りや船遊びも好きで幸せな時期を過ごしていたと思うが、家族からは受け入れられず、自分も、役に立たないことばかりして何やってんだよ兄貴、と言った。兄は人生に幻滅するようになり、酒に溺れ、43歳で死んだ。
妹 銀行で働いている
弟 おとなしくのんびりしているが、仲が良かった。




ようやく
トランプの子供時代

5人きょうだいの3番目。
よちよち歩けるようになった頃から、父と建築現場へ出かけた。ソーダ水の空き瓶を探して過ごし、店に持っていって預金した。
自己主張の強い攻撃的な性格だった。2年生の時に音楽の先生が音楽のことなど何も知らないくせにと思って殴った。今なら拳ではなく頭を使う。
近所のガキ大将だった。好かれるかすごく嫌われるかだった。仲間内では大人気である。リーダー格である。いたずらが大好きで、騒ぎを起こしたり人を試すのが好きだった。弟とブロック遊びをしていて、高い建物を作りたくてブロックが足りなくなったので弟に少し貸してくれと頼んだ。終わったら返す約束だった。そして全部使ってみごとな建物を作り、大変気に入ったので糊付けした。弟はブロックを全て失った。
13歳で父に軍隊式の私立学校へ入れられる。ニューヨーク・ミリタリー・アカデミーの8年生に編入する。規律を身に付け、自分の攻撃性を建設的に使うことを学んだ。最上級生の時には士官候補生の隊長に任命された。
非常に頑強で荒っぽい教官に対し、私は頭を使った。策略を用いて、基本的には権威に敬意を払うが恐れてはいないといyことを知らせた。相手が弱いとみると高飛車に出る男だったからだ。そしtw対等な男として扱ってくれた。
休暇の時には父のあとをついてまわって商売を学んだ。業者との交渉、現場、新たな土地を手に入れる交渉。父はモップやワックスを買う場合でも手抜きのない交渉をした。必ず支払うこと、期日通りに仕事ができると信頼させることも大事だった。そして現場監督として早朝から仕事ぶりを監督し、自分が全ての見本を見せることもできた。
1964年 ニューヨークミリタリーアカデミー卒業
ショーマンに憧れ映画科に入る夢も一瞬見たが、不動産業の方がはるかに面白いという結論に達した。
家に近いという理由でフォーダム大学入学。イエズス会運営。
最高の所で自分を試したくなりペンシルベニア大学院ウォートンスクールへ入学。本物の起業家はウォートン出身者が圧倒的に多いから選んだ。クラスメート達とは十分張り合えることが分かった。ウォートンの学位は権威があり仕事相手に尊重された。
卒業後父と本格的に働き出した。