入院生活も半ばにさしかかった頃、少しずつ乳頭保護器での授乳に慣れ、こも蔵も嫌がらずに吸うようになり、体重を測ると30ほど増えるようになってきた。
搾乳量は20ほどで、それにミルクを足して日齢プラス10になるように飲ませていた。
そして頻回授乳で、授乳時間じゃなくても個室にコールがきて
こも蔵くんお腹すいて泣いてまーす
と呼び出され、他のママさんたちとあまり顔を合わさなくなってきた。
助産師さんからは、乳頭保護器をいつまでも使うと、刺激が足りなくて母乳量増やせないからね、直接吸わせる練習もしてね。
と言われていたのだけど、またこも蔵をニャンニャン泣かせて、私も吸ってもらえなくて悲しい思いをするのがストレスで、なんとなく出来ないでいた。
それでも、こも蔵の体重を2500から減らしてはいけないと言う使命(重い)がある私は、おっぱいマッサージ、乳首マッサージ、搾乳、と、かなりの時間を授乳のために費やしていた。
今は助産師さんに相談したり、他のママさんと談笑したりしてまだ落ち着いてるけど、家に帰ってひとりで子育てするようになったら、私は出来るのかな?って、なんとなく考えるようになってた。
退院前日、沐浴指導があり、助産師さんに教えてもらいながらこも蔵を沐浴。
気持ちいいらしく、暴れもせず「ほー」の口の形をしていた。すると助産師さんから、
やっぱ保育士さんだねー。上手。子どもに話しかけるのも自然だし。こも蔵くん小さいけどよく飲むしガッツあるからさ、大丈夫だよ。家に帰っても頑張ってねー
と言われた。
いいえ違います。精いっぱい「保育士らしく」関わっているだけで、本当は不安でいっぱいだし、これからこんな小さなこも蔵を育てていく、責任をすごく感じてたんです。
そして、翌日。
無事、こも蔵の体重も2750まで増え、何事もなく
退院となった。
夫は中抜けで迎えに来てくれ、精算をしてくれた。
さて、この日から私を手伝いに来てくれていたのは、初孫フィーバーの母。
2週間泊まり込みで床上げまではいる、と言ってくれていました。
何を隠そうわたしは、母との関係が複雑で、思春期はケンカばかり、20代はほぼ会っていないと言う期間があったので、お互いちょっと気を使ってるのがわかる。
同居も12年ぶりくらい。
しかも同居していた時期は父と母が離婚でもめていた時だったので、すごく険悪だった。
そんな感じで家に着いて、久しぶりの母のご飯の匂いをキッチンから感じ、
あんたも休みなさいよー
と言われるのだが、何故かソワソワして気が抜けない。ずっと正座でこも蔵が眠っているのを見てた。
なんだかちょっと母に緊張していたのですが、結婚もしたし子どもも生まれたから、どうにかなるだろ、と軽く考えていた。この考えが、産後うつに拍車をかけて転がり落ちていくことになるのです。

