忘れえぬ人々(旅立った人) | お局秘書の日記

お局秘書の日記

酸いも甘いも噛み分けた(?)お局秘書のありふれた日常を、つらつらと綴ります。

自分の人生を振り返る時、「たら、れば」
は無粋だと、いつも自分に言い聞かせる。
だから人生は愉しいのだと…。

昨夜、若い頃にお付き合いをしていた方の訃報を間接的に聞いた。
亡くなった方と私の間柄を知らないその人の前で、自分はどんな顔をしているか内心ひやひやしたが、きっと大丈夫だったと思う。

若い頃、心に決めた人が居た。でも、私はいつもその人に振り回されていた。
少し愛想が尽き始めた頃、その心の隙間に入り込むようにアプローチしてきた同僚が居た。

私は社内恋愛は避けたいタイプ。だから、実際には社内恋愛をしても、誰にも知られていなかった。その同僚とのことも。

8つ位年上で超一流大学卒で資産家の息子で、お洒落だったその人は、バブル景気の浮かれが抜けなかったあの頃、そのブランドの中でもこれ見よがしではないシンプルなタイプを選んで、ヴェルサーチのジャケットやスーツを着ていた。
長身で細身の体型に良く似合っていた。

青山や麻布、六本木の顔馴染みの店に食事に頻繁に連れていってくれ、時には高級ブランドで服まで買ってくれた。

出張に行けばシャネルのバッグをお土産に買ってきてくれ、シンガポールに買い物に行こうと言い出し、リニューアルしたばかりのラッフルズホテルに滞在した。

だけど、若かった私にはまだ打算も無く、分不相応な待遇の数々が、段々重荷になっていった…。
一年以上お付き合いしただろうか、その人の海外赴任が決まった後間もなくして、私は心に決めていた人と結局結婚した。

数年後、私は離婚し、かつて付き合っていたその人に懐かしさから連絡してみた。
離婚を報告すると「身から出た錆びでしょ」と言われ困惑した。
確かにそうかも知れないが、その人にそんな風に言われるのは心外だった。
何故なら、私が心に決めている人が居ることを最初から告げていたし、向こうも遊びだっだと思っていた。
でも、電話を切ったあと、その昔その人が本気で私を想ってくれていたことに初めて気付いて、胸の奥が痛んだ。
それが13年位前のこと、その人との最後の会話になった…。

その後、彼は若い人と結婚し、お子さんも生まれたと人づてに聞いた。
もう二度と会うこともないけれど、歳を重ねる程に人は感傷的になるものだ。
私は「自分も少しは大人の会話が出来るようになったよ。他人の痛みが解るようになったんだよ。」と彼に伝えたかった。
ただその気持ちだけで、古い電話番号で繋がったメッセンジャーにコメントを送った。
届いてはいるものの、既読マークが付くことはとうとう無かった。

ガンに気付いた時には、既に他に転移していたらしい。
だけど、もし連絡をくれたら、もしかしたら役に立てる事があったのでは?と思うのは傲りだろうか。

そう、人生に「たら、れば」は無い。
私たちが一緒にならなかったことも、彼の寿命も、全ては誰にも分からない運命なのだから。