責任の所在(現実を直視すること) | お局秘書の日記

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酸いも甘いも噛み分けた(?)お局秘書のありふれた日常を、つらつらと綴ります。

今朝、朝食を食べながらTVの討論番組を見ていて思った。

日本人は責任の所在を追及しない事なかれ主義の国民だと。


原発問題、薬害訴訟問題、児童虐待、イジメ、動物虐待、動物殺処分の

現状、動物実験、そして精神異常者の放置、etc.


身近なところでは民間企業も全く同じだ。革新的なことは出来ない。

「踏襲」することが美徳だと思っているからビックリする。

そういう意味では橋下徹氏を支持する。


すべて 「こうなったら良い、こうであって欲しい」という希望的観測の

上に成り立っていて、恐ろしく残酷な現実は知る以前に見ようとしない。


本当にそれで良いのだろうか?原発など本当に必要だろうか?

自分たちの時代さえ便利なら、その代償についてはどうでも良いのだろうか?

一部の利権者に踊らされていないだろうか?


命あるものをただ「可愛い!」とおもちゃを買うようにして手に入れ

飽きたとか病気になったとかいう理由で保健所に連れて行って虐殺するなら

飼うんじゃない!責任感は無いのか?と言ってやりたくなる。


子育てもそうだ。産んだからって何も偉くない。産んだなら責任を持って

愛情を持って育てろ!!と怒鳴りたくなる馬鹿連中がこの世には大勢

存在する。青少年犯罪者の親たちには「恥を知れ!」と言いたい。

そして、子供は親を選べないんだよ!と言ってやりたい。


リアルファーは数点持っているが、2年前から着られなくなった。

他人が着ている分にはあまり気にならないが、自分が身につけるのは

後ろめたい気分になってきたのだ。


あらゆることが、多くの犠牲の上に成り立っている。

現実を知ることは辛い。でも知らずに生きることと、知った上で

生きていくことは大きく意味が異なる気がする。