ほんの少し前までは、クラシック系の落ち着いた音楽と、互いを褒め会うような客の雑談と、料理を説明するウェイターの声と、食器の音が聞こえていた店内だった。
 その店内に突然、場違いな音が、響き渡った。
 大量の食器が床へ落ち、割れる音。
 そして、大きな物が落ちたような、鈍い音。
 食事中の男が、突然胸を押さえ、藻掻くようにテーブルクロスを掴み、食器と共に床へ転げ落ちた音だった。
 店内は一瞬、時が止まったかのように静まり。
 大きなざわめきが、その男を囲んだ。
 「ちょ・・・大丈夫ですか? ジャスティンさん!!」
 ジャスティンの隣に座っていたエルモニーの女が、慌てて駆け寄りジャスティンを抱え上げるが。
 目は虚ろ、顔面は真っ青。そして口からは白い泡。
 「フランチェスカ、むやみにゆすってはダメだぞ・・・だがこりゃー、やばいかもな。」
 食事を共にしていた、甲冑を着たヒューマンが呟く。
 「ジョニーさん、早く何とかしなければまずいのではないですか?」
 慌てた口調で、コグニートの女性が話しかける。
 「へへ、慌てるなよ睡蓮。こう言う時は俺様の怪しい薬で・・・って言ってる場合じゃないな。おい、ウェイターさんよ、医者を連れてきてくれや!」
 と、フードを目深に被った男が、ウェイターに声を掛けた。
 と、その時。
 「一体、どうしたのですか?」
 騒ぎを聞きつけたシレーナが、ホールへ現れた。
 状況をすぐに察し、倒れているジャスティンの元へと駆け寄る。
 「これは・・・中毒ですわ。ライチ君、すぐにキュアポーションを持ってきてくれませんこと?」
 「あ、はい!」
 ライチは急いで厨房へ行くと、棚に置いてあった薬箱からキュアポーションを取り、急いでホールへ戻る。
 シレーナはそれを受け取ると、瓶の口を親指で割り落とし、ジャスティンの口へねじ込んだ。
 ごきゅ、ごきゅ・・・。
 顎を上げ、その薬を胃へ流し込む。
 心なしか、顔色が良くなったような気がした。
 「これで胃の毒は消えたはずですわ。至急ラオレス大聖堂付属診療所へ連れて行って下さい。」
 「はい!」
 待機していたシェフ達は、ジャスティンを担架に乗せて、夜のビスク港を飛び出していった。
 
 そんな騒ぎの後では、落ち着いた食事が続けられる筈はなく。
 客達は足早に、店を後にしていった。
 残ったのは、ジャスティンとテーブルを囲っていた、4人だけ。
 「あの・・・私たちもそろそろ、診療所へ向かいたいのですが・・・。」
 睡蓮がおずおずと申し出る。
 「申し訳ありませんが、実況検分が終わるまでは、店内に残っていただきます。」
 そうシレーナが言うと、ジョニーが反論してきた。
 「ちょっと待て待て。実況検分と言いながら、ガードが一人も来ていないではないか。」
「シェル・レランで起きた事は、我々の手で処理致します。アクセルにはそう伝えておりますので、ご心配なく。」
 「ちょっと待てよ・・・あんた、もしかして今回のこれ、事件って思ってるのか?」
 怪しい男がシレーナの前に進み出る。
 「ええ、そうですわ。」
 「待て待て、って事は俺たちのうちの誰かが疑われてるって事か? そりゃねーだろー、今までよろしく食事してた仲だぜ。それより、ここの料理に毒が入ってたって可能性はないのか、ああん?」
 「いえ、そんな事はあり得ませんわ。」
 シレーナはそれを、きっぱり否定する。
 「本日お出しした料理に、毒を含む可能性がある食材は一つもありません。勿論、フグのような毒のある食材を使用する場合でも、ウチのシェフの手にかかれば、料理に毒が残る事なんて、あり得ないですわ。」
 「じゃあ、こっそり毒入れた不届きなシェフでも居るんじゃねーか? マブ教徒のシェフが居るって話は聞いてるぞ!」
 「ありえませんわ。マブ教徒でも拝火教でも、料理を愛する心は一緒ですわ。そんな方が毒を入れるわけ、ありませんわよ。」
 落ち着いた口調で、だがはっきりと、シレーナは言い切った。
 反論する者は、誰も居なかった。
 「皆様にはこのレストランへ泊まって頂きます。部屋は用意してありますので、どうぞお休みになって下さい。ですが、後ほど事情聴取を行いますので、部屋から出ないようにお願い致します。」
 シレーナは一礼すると、ホールから出ていった。


 そして自室へ戻る。
 そこでは、ライチを含むシェル・レランのシェフ全員が集まっていた。
 一番最初に、カマロンが口を開いた。
 「お疲れさまです、お嬢様。大変な事になりましたな。」
 「ええ・・・そうですわね。こんな事が起きるなんて、想像だにしませんでしたわ。」
 シレーナは椅子に座り、ライチが机にトンと置いたお茶を一口飲む。
 一人のシェフが机の前に進み出て、報告を始めた。
 「ジャスティン様の様子ですが、幸い命に別条は無いようです。医者の話では、やはり毒物を飲まされた事による中毒症状という事でした。それと・・・。」
 そう言いながら、シェフはポケットをまさぐり。
 小瓶を取り出して、机に置いた。
 「これがジャスティン様のポケットから出てきました。中身はほぼ空でしたが、底に少しだけ液体が残っていました。これが・・・。」
 シレーナはその小瓶を摘み、少しだけ傾けて、中の液体を角に溜める。
 「ポイズンポーションですわね。色で分かりますわ。」
 「はい。医者もそのように言っておりました。もしかすると、ジャスティン様が自ら、これを飲んだのではないかと・・・。」
 腕を組み、少し視線を下に向けるシレーナ。そして、顔を上げて、言った。
 「今日のホール担当で、あのお客様をお迎えした方はどなたですか?」
 そう言うと、緑髪のエルモニーが「あ、僕です!」と言いながら手を挙げた。
 「あら、ライチ君でしたの?」
 ライチはすすっと、机の前まで来る。
 「ライチ君。その5人に・・・特にジャスティン様に、何か変わった事はありませんでしたか?」
 そう言われると、ライチは少し考え・・・こう言った。
 「いえ、特に変な感じはしませんでした。特にジャスティンは、ウチで料理食べるの初めてみたいで、なんだかはしゃいでいる様子でした。」
 「そうですか・・・他のホール担当の方で、変わった様子を見た方はおられますか?」
 数人のシェフが机の前まで進むが、言った事は一様に「特に変わった様子はありませんでした。」であった。
 「分かりましたわ・・・。どうやら、自殺の線は薄いようですわね。」
 「それではお嬢様、これはやはり・・・。」
 カマロンの問いかけに、うなずくシレーナ。
 「ええ。誰かが何かに毒を入れ、ジャスティンに食べさせた・・・殺人未遂事件ですわ。」
 シェフ達の中に、どよめきが上がる。
 それを掻き消すように、シレーナは声を上げた。
 「皆さん、これは私たちシェル・レランへの挑戦ですわ。解決が長引いてしまいますと、今まで築き上げてきた実績と信頼にヒビが入ってしまいます。一刻も早く、犯人を見つけだす必要がありますわ!」
 珍しく早口で。机に手形の穴を開けながら。
「カマロンは私と一緒に事情聴取をします。ホール担当の者は、彼らが来た時からの様子を出来る限り詳しく調べて下さい。他の者には追って指示を与えますわ。いつでも動けるようにしておいてください。」
 
 ゾロゾロと、シェフ達がシレーナの部屋を後にする。
 そんな中、シレーナが呟いた。
 「私のシマでキメゴロ(殺人未遂)ですって・・・絶っっっ対、許しません事よ。」
 (第24章 完→第25章へ続く)