ゆっくりと、赤塗りのお椀が持ち上がる。
 立ち上がる僅かな湯気を気にもせず、その中身をじっと見てから、お椀の縁にキスをするかのように、そっと唇へ近づける。
 ズズズ・・・
 一口啜ってから、トンと、お椀を机へ置いた。
 「美味しいですわ。合格です。ライチ君、貴方を厨房師と認めますわ。」
 「本当ですか? やったー!」
 顔をほころばせて飛び上がるライチ。それまでの、机の前でピーンと背筋を伸ばしたまま固まっていた姿とはかけ離れ、全身で喜びを表現する。
 「やったー! 厨房師だー! 厨房師だー! あ、シレーナさま、あの服ください、あの服!」
 両手を伸ばして、服をねだるライチ。
 シレーナはニコニコと笑いながら、ゆっくりと手を伸ばして、その両手を軽くパシッと叩いた。
 「残念ですけど、まだあげられませんわよ。」
 「ええーっ、何でですか?」
 途端に、不満の表情がライチの顔に浮かぶ。
 「厨房師装備は、厨房師としてのスキルを満たしただけでは、あげられませんわ。あともう一つ注文をクリアしていただきますわよ。」
 「ええー、まだあるのー?」
 「そうですわよ。ライチ君、先程のように両手を出していただけますか?」
 ライチが声に従って再び両手を伸ばすと。
 その上に、大きな麻袋が乗っかった。
 「うわっ・・・冷たい! シレーナさま、何ですかこれ?」
 「それはシーフードミックスですわ。小エビなどの小さな海産物をまとめて冷凍したものですわよ。ライチ君には、それを使ってシーフードリゾットを作って貰いますわ。」
 「シーフードリゾットですか? えと、レシピとかは?」
 「ふふっ・・・ちゃんと、教えてあげますわ。」
 困り顔のライチを見て軽く微笑んでから、レシピの書かれた紙をライチに手渡した。
 
 ミニウォーターボトルは、シェル・レランの売店で買えた。
 バターは、売店で手に入る材料から、作る事が出来た。
 精米は、既に持っていた。イルヴァーナ渓谷で玄米を採ってきた事があったから。
 だが、一つだけ、材料が足りなかった。
 それは、とうもろこし、であった。


 ヌブール村の急坂をトトトッと駆けながら、ライチはアルビーズの森を目指す。
 左手にはアルビーズの森の地図と、赤い大きな○が一つ。
 「とうもろこしは、この辺りに自生しております。しかし、この辺りはスプリガン共の縄張りとなっております故、十分に装備を調えてから出掛けるのが宜しいでしょう。」
 そのカマロンの言葉に従い、ライチの右手にはウッディンポールが握られていた。銘入りドラゴン装備一式も着込んできたし、鞄にはアレを詰めてきた。
 「よーし、モンスターなんかに負けないぞ!」
 決意を新たに、ライチはアルビーズの森へと続く細道を駆け抜けていった。
  
 「あ、あった!」
 ○のついた場所では、確かに細く背の高い植物が生えていた。遠目でも、その茎に作物が実っていることが分かる。
 ライチはウッディンポールを仕舞うと、鞄から収穫鎌を取り出す。そして周りをキョロキョロと見回して、誰もいない事を確認してから、木陰を飛び出した。
 ドドドッと、ダッシュでトウモロコシの前まで来る。そして鎌を構え、実っているトウモロコシに当てようとした。
 その時。
 「ギギギ!(誰だ!)」
 いきなり怒号を浴びせられ、ライチは固まってしまった。
 トウモロコシの茎の、背の高さが仇になった。密集しているその茎の奥から、それより背の低いスプリガンが姿を現した。
 「・・・あ・・・あ・・・そだ・・・アレを。」
 しゃがんだ姿勢のまま、ジリジリと後ずさるライチ。と、それと同時に鞄に手を突っ込んで、ゴソゴソとまさぐる。
 「ギギー、ギギギギ、ギー!(ウチの食料を盗もうとしやがって、覚悟しろ!)」
 スプリガンは、自分の背丈ほどもある棍棒を振り上げて、ライチ向けて振り下ろす!
 ドン!!
 大きな音が響いた。
 しかし、それはライチに当たった音ではなく、地面へめり込んだ音であった。
 ライチはその棍棒から、数歩離れた地点に立っていた。
 「フフフ・・・僕は・・・厨房師なんだ・・・だからもう逃げないよ。」
 ライチの目はトロンとして、半開きになっていた。右手には相変わらず収穫鎌が握られていたが、左手にはいつの間にか。
 空になった瓶が握られていた。
 間一髪、ライチは攻撃が来る直前に、ワインを0.02秒で飲み干し、センスレスを発動したのであった。
 フラフラと、よろめきながらもライチは構えをとる。左手の瓶を投げ捨て、再びワインを取ると、栓を抜いて再び飲み干す。
 「ギギ! ギャギャ! ギーー!!(えい! この! でやー!)」
 ひょい ひょっ ぴょん!
 繰り出される棍棒を2度、3度と簡単に避け、収穫鎌を振り上げると。
 トウモロコシに向けて、振り落とした。
 ザク! ぴょん! ゴクゴク ザク! ぴょん! ゴクゴク・・・
 収穫、センスレス、ワインを飲む・・・その繰り返しで。
 「フフフ・・・とうもろこし、げっと・・・フフフ」
 ふらつきながら、緑色の細長いトウモロコシを、天高く掲げた。
 「・・・ギギギ!(こっちを無視するな!)」
 肩を大きく上下させながらも、スプリガンは大声で怒る。
 しかしライチはその声が耳に入らないかのように、全く動じず、そのままヌブールの村に向けて歩き始めたのであった。
 
 「シーフードリゾット、完成~!!」
 海を思わせるような真っ青な皿に、白いご飯と色とりどりの具が湯気を立てる。
 「あらあら、美味しそうですわね。それならば、お客様も納得してくださるでしょう。ではライチ君、それを配達してきてくれませんこと? 場所は分かりますわよね。」
 「はーい、行ってきま~す!」
 皿をおかもちに入れ、ライチは走り始めた。
 そして、あっという間にビスク東の、マーレの前へ到着。
 「すいません、シェル・レランですけど。マーレさんですね。シーフードリゾットをお持ちしました。」
 「おお、待っていましたよ。さあ、こちらへお願いします。」
 マーレは穏やかな笑顔を浮かべながら、丸机の前にライチを呼ぶ。
 その上にお皿を置くと、マーレは感嘆の言葉を述べた。
 「ほう・・・素晴らしいですね。この匂い・・・そして。」
 スプーンを手に取り、口に運ぶ。
 「この味・・・美味しいですね。このような辺境にこのような美味しいレストランがあるとは、本当に想像もしておりませんでした。おっと、そうでした。お代を払わなければ。」
 そう言うと、マーレは鞄から紙をペンを取り出し、サラサラと数字を書き込む。
 「これでいいかな。ありがとうね、小さなコックさん。」
 「あ、はい。毎度ありがとうございました~!」
 ライチはぴょこんと頭を下げると、その紙を受け取って、数字を見た。
 「(小切手だ・・・初めて見る。えっと・・・丸が1つ、2つ、3つ・・・4つ? 1万ゴールド? シレーナさま、ぼりすぎじゃ・・・)」
 「おや、どうしたのかな?」
 「い・・・いえいえいえいえ、なななな、何でもないです、はい。」
 ライチはそれを慌てて懐へ仕舞うと、ダッシュでシェル・レランへ戻っていったのであった。
 
 とにもかくにも、これでライチに課せられたミッションはコンプリートされ、シレーナの手からライチへ、厨房師装備が贈られた。
 しかし、ライチはまた一つ、シレーナの怖さを知ったのであった・・・。
 「ま、まあいいや! 厨房師服、げっとーー!!!!」

厨房師服げっと
 (第13章 完)