「いっただっきまーす。」
ライチは手を合わせると、フォークを握って茶色い肉にブスッと突き刺した。滴り落ちる肉汁に構わず、それを口の中へ放り込む。
「もぐもぐ・・・うまー!」
2枚、3枚、4枚・・・次々と、皿に積まれていた焼き肉が、ライチの胃へ入っていく。
その様子を見ていたシレーナが、ため息を一つついてから、ライチに声をかけた。
「ちょっと、ライチ君。そんなに同じ物ばかり食べちゃ駄目ですわよ。」
「えー、同じじゃないですよ?」
「え? どこが違うのですか?」
シレーナがそう言うと、ライチはフォークで焼き肉を指しながら、説明を始めた。
「これはローストスネークミートで、こっちがローストドッグミート、それでこっちがローストラットミートで、んでんでこっちがローストライオンミートなんですよー。」
「あのですね・・・そう言う事ではないのです!」
シレーナはドン!と両掌を机に叩きつける。衝撃で皿が、椅子が、ライチごと飛ぶ・・・が、一瞬で落下し元に戻り、何事もなかったかのように会話が続く。
「いいですか、ライチ君。私たちシェル・レランは、ただ美味しい料理を提供すれば良いのではありませんのよ。美味しく、そして健康に良い料理を提供できてこそ、真の料理人なのです。」
「健康・・・?」
「ええ、そうですわよ。健康によい食事とは即ち、栄養バランスの取れた食事ですわ。お肉ばかりでは、バランスが悪いですわよね・・・ですからライチ君、野菜もしっかり食べなさい。」
「ええー、でも・・・。」
「でも何ですか?」
「野菜・・・美味しくない。」
すると、先程よりも大きな音で、机が叩かれた。衝撃で机の一部が、掌の形のまま床に転がる。
流石のライチも驚き、椅子から飛び降りて壁際まで下がる。
「美味しくないですって・・・それを美味しくするのが、シェル・レランではないのですか? ・・・そうですわ、ライチ君。貴方に一つ、クエストをあげましょう。野菜サラダを10皿、私の所へ持っていらして下さい。宜しいですわね?」
「ええー! そんな横暴な・・・。」
抗議の声を無視して、シレーナの話は続く。
「知りたい事があればカマロンに相談しなさい。完成するまで、ここに帰ってこなくても結構ですわ。」
「むー、シレーナさまのばか、人でなし、カマロンさんのけち・・・。」
ライチはブツブツと悪口を言いながら、イルヴァーナ渓谷を目指して歩く。
あの後、ライチはカマロンの部屋に行き、野菜サラダのレシピを訪ねた。
しかし。
「レシピは自分で作り出す物で御座います。苦労と経験こそが料理人の血となり肉となるもので御座いますれば、ライチ君にも相応の努力を期待したいもので御座います。」
と言われ、教えて貰えなかったのである。
だが、代わりに野菜の獲れる場所をライチに教えたのであった。
カマロンから貰ったイルヴァーナ渓谷の地図に2カ所、大きな○が書いてある。その一つは人参が、もう一つは玉ねぎが獲れる場所。
地図の上では、そこまでは広大な平原を進むように見えた。ライチも実際、そうだと思っていたが。
いざ行ってみて分かった。
地図上の広大な土地全てが、起伏が激しく崖の多い渓谷であったのだ。
「はあっ・・・はあっ・・・あー、もー!」
ライチはゆっくりと、斜面を降りる。足を踏み外したら、すぐにでも転落してしまいそう。長旅で疲れ、震える足を、それでも踏ん張って斜面を降りる。
そしてついに、谷底の川まで辿り着いた。
「あー、疲れたー!」
ライチは手頃な岩を背に、腰を下ろす。そして鞄からバナナミルクを取り出し、一気に飲み干す。
「ふー、美味しー。後ちょっとで着くのかなー。」
地図を地面に広げ、コンパスと周囲の地形から現在位置を探る。
「えっと・・・川がここだから、今は大体この辺りで、だとすると人参の場所は・・・。」
と、その時。
トントン。
ライチの肩が、叩かれた。
「ん? 誰で・・・!!」
見上げると、そこには。
犬のような顔をした、二本足で立つ大きな獣が立っていた。
「で・・・で・・・こ・・・コボルト・・・。」
チラリと見える牙からヨダレを垂らし、血走った目でライチを睨むその姿から、友好的なトントンではない事がすぐに分かる。
それでもライチは、一縷の望みを託して、無理矢理笑顔を作り、コボルトに話しかける。
「あの・・・な、何か、ご用でしょうか?」
しかしコボルトは、返事代わりに、その大きな口を開けて。
ライチに飛びかかった。
「うわあああ!!」
ライチは叫びながら、慌てて横に飛び跳ね、その牙を避ける。そして脱兎の如く、その場所から走って逃げ出した。
「・・・はあ・・・はあ・・・つ、疲れた・・・。」
コボルトが視界から消えた事を確認してから、ライチはぐったりと、切り株に腰を下ろす。そして鞄からバナナミルクを取り出し、グッと一気に飲み干す。
「ふうっ、美味しい・・・って、ここはどこだろう?」
空瓶を鞄へ戻し、周りをキョロキョロと見る。目に入るのは木々と、そして川。
「川だ・・・川があるなら、場所も分かるな、うん。」
安心して、切り株に座ったまま、疲れた足を軽くマッサージ。
と、その時。
トントン。
ライチの肩が、叩かれた。
「ん? 誰で・・・!!」
振り返ると、そこには。
豚のような顔をした、二本足で立つ大きな獣が立っていた。
「で・・・で・・・オ・・・オーク・・・。」
その手に握られている剣と、ニヤニヤと笑う顔から、友好的なトントンではない事がすぐに分かる。
脱兎の如く、その場所から走って逃げ出した。
「・・・・・・。」
ついに愚痴もこぼせなくなったライチは、渓谷のど真ん中でへたり込む。そして鞄を取り出し、手を入れようとした。
その時。
トントン。
ライチの背中が、叩かれた。それも背中を覆うぐらいに大きく、人の手のように柔らかい何かによって。
ライチは振り返ることなく、誰が背中を叩いたか分かったが、それでも一応振り返る。
予想通りそこには、ライチの数百倍はありそうな巨躯の象、バルドスが唸り声をあげながら、ライチを見つめていた。
ライチは作り笑いもせず、叫びもせず、そのまま走って逃げ出した。
川の水が足場を失って中空に放り出され、遙か下で音を鳴り響かせる。そこでは飛沫が太陽の光を屈折反射させ、七色の綺麗な虹を描き出している。
イルヴァーナ渓谷の南、大きな滝の上にライチは逃げこんだ。
バルドスの巨体は見えない。ようやく撒けたようだ。
ライチはゼーゼーと、息を激しく吸い吐く。そしてスウッと大きく吸って・・・。
叫んだ。
「シレーナさまのバカーーーー!! 年増ーーーー!!!」
その時。遙か遠くの空の下。ビスク港のレストラン、シェル・レランでの出来事。
「あら・・・今誰か、私の悪口を言いませんでしたか?」
その一言に、シェフ全員が凍り付き。包丁が、ボウルが、泡立て器が、カランコロンと床に落ち跳ねる。
そして全員が顔を真っ青に染め、ブンブンとちぎれんばかりの勢いで、首を横に振る。
「そうですか・・・。」
シェル・レランは修羅場に突入した。
(第8章 完 → 第9章へ続く)