トルコ時代のお話の続きです。日本の法律って、カタイように見えて実は面白いし、規制を受ける側にとっても案外親切に作られているのです。

明治初期、娼妓解放令が発令され、娼妓(堀之内は宿場ですから女郎ですが)は田舎に帰しなさいということになりました。平たく考えればこの時点で遊女屋は潰れてしまうのですが、日本の法律はとても親切設計ですから、但し書きがこのあとに続きます。但し、自由意志の者がお上の鑑札を受けて、貸座敷業の許可を受けた店でなら働いても良いとのことです。つまり、公娼制を廃止するどころか、この時に川崎遊郭は成立し、軒数も倍以上に増えとても繁盛しました。なにしろ、貸座敷業の届け出をした旅館は74軒のうち、41軒は女郎を置かない平旅籠だったのですから。

売春防止法後、それまでの特殊飲食店に取って変わるようにトルコ風呂が増え、トルコ嬢による売春行為が問題になってきた1966(昭和41) 年、風俗営業法が改正されました。ところが、トルコ風呂そのものを取り締まるのではなくて、開業場所を制限したにとどまりました。法案提出に熱心だった婦人団体は「いけない存在」としてクローズアップされると思っていたトルコ風呂が、規制された地域内で堂々と営業しているのを見てさぞかしホゾをかんだに違いありません。

赤線にしても、「いけないことだけど、場所を制限すれば良い」という日本特有の“必要悪”という考え方の産物でした。

ちなみに、トルコ風呂内でのいかがわしい行為を取り締まれという内容の風営法改正案は、1980年くらいまでは何度も提出されていたのです。しかしいずれも審議未了でウヤムヤになったようです。最近の国会では聞いたことがありません。

それにしても、一応、戦後早々から叫ばれてきた売春防止法がやっと施行されたのですから、吉原あたりの赤線では本当に売春行為は無くなったのだそうです。そして指定地域ということで、トルコ風呂が増えてきても、警察の取締りも厳しく本番すらできないで70年代を迎えました。

吉原が本番を黙認されだしたのは、一説には都知事がMさんからSさんに変わってからとも言われていますが、本人に確認が取れないのであくまでも説としておきます。

とにかく、今となっては、「ド健全の指圧マッサージトルコ」の吉原でさえ、法律の網の目をくぐっている状態なのですから、日本の法律はまことに美味しい画に描いた餅です。まー、建前上は口が裂けても「売春は良いこと」とは言えない議員さんたちも、本音は「素人と間違いを犯すよりプロが必要」ということなのでしょうねえ。婦人票も大事ですものね。所詮、日本にヨーロッパのような本当の意味でのリベラルさを望むのは無理なのです。(ヨーロッパの娼婦の項参照されたし)

こう考えてみると、堀之内って街はさらに面白い場所です。なにしろ、明治政府の命令で、南町に遊郭が統合されても、堀之内の置屋は堂々と営業していたようですし、戦後の区分も非公認区域の青線でありながら赤線の南町より繁盛していたのです。そして、売春防止法が施行されても堀之内の特殊飲食店(特飲・別名 小料理屋 さらに別名 ちょんの間)はリッパに生き残りました。

これは、暴力団対策法により、ヤクザの組事務所が○○商事とか△△興業になって、組長が社長で代貸が専務と名を変えて生き残りをはかった時に、繁華街に堂々と組の金看板を掲げているようなものです。一見すると、ものすごいバカに見えますが、お上の“必要悪”論を逆手に取った賢い経営者の集まりだったのかもしれません。

何しろ、売防法施行後も特飲店はH付きでお泊まりの出きるミニ旅館として、東京の客を集めて繁盛していたのですから。

ですから、川崎に最初にトルコ風呂ができたのは売防法施行から2年も経った1960(昭和35)年と遅かったのです。そして、堀之内第1号店の「京浜トルコ」は、開店当初から本番サービスが別料金で設定されていたようです。

1966(昭和41)年の風営法改正で、トルコ風呂の地域規制で堀之内と南町が指定されて以後は、正業として営業できるトルコに転業する特殊飲食店が増えてきました。

しかし、本当に堀之内にトルコ風呂が激増したのは“泡踊り”で日本中の注目をあびた1970年以降でした。最盛期に堀之内には70軒(南町は23軒)のソープランドがひしめき合っていたそうです。

ちなみにこの頃の吉原のトルコ風呂は80数件で、数の上でも(2町をあわせて)川崎の方が上回っていたのです。80年代に入り、たぶん本番もマットも黙認されるようになって、吉原のトルコ風呂は瞬く間に100軒を越えたようですが…

さて、堀之内は“泡踊り”に端を発する女性主導型の真新しいお遊びは、全国的に支持され、“バイオレンスサービスの堀之内”というありがたいニックネームまで頂きました。各店の各おねえさまがサービスを競い合い、新しい技が毎晩のように生まれていたというのも決して大袈裟ではなかったのだと思います。おフェラ技を極めるために、総入れ歯にしたトルコ嬢が何人もいたというのですから実に驚きです。

しかし、繁栄の陰には必ずそこに巣くう悪い虫が発生します。ポン引きの登場です。それでは次回はポン引きについて書いてみたいと思います。