20世紀を振り返ると、1985年がバブル元年となっていますが、これは例の「プラザ合意」以降の円高基調に基づくものです。しかし当時高校生だった私には景気の良し悪しなんて自覚できませんし、実際に世間一般が「好景気」を認識したのは数年あとだったと思います。

それより、85年は日本の一般人にとってのエイズ元年だったのではないでしょうか?私が「エイズ」という言葉を知ったのもこの頃で、最初は写真週刊誌がセンセーショナルに取り上げるカポジ肉腫の患者を激写した生々しい誌面でした。この年、俳優のロック・ハドソンがエイズを告白したあと間もなく亡くなったり、血液製剤での感染者が名乗りをあげたりしていましたが、当初の「エイズ」は血友病患者と男性同性愛者だけの対岸の火事的なものでした。

ちなみに公式にエイズの症例が発表されたのは81年で、アメリカ防疫センターが5人のカリニ肺炎患者を報告しています。さらに「エイズ・AIDS」という名称は翌82年に同センターにより命名・採用されました。

その後の調査で人類初のエイズ症例は59年にはあったとされましたが、最初の騒ぎは「東西冷戦後に人類が遭遇した悲劇」というものでした。

本来このコーナーは堀の内という日本中のごくごく狭いエリアに限定したお話のつもりでしたが、その堀の内も巻き込んだ「エイズパニック」をもう少し広い範囲で書き始めてみます。

エイズを勉強してみて思ったことは、「エイズ問題を解く鍵はパニックを起こしている社会の側にある」ということです。エイズは新しい病気(症状)ですが、ウイルスの正体や感染経路・感染予防策などはすでに解明されていたので、日常生活での感染はないことは明らかでした。ところがエイズは空気感染でもするかのように、異常に恐れられたのです。これは社会がエイズに恐怖と猥雑な暗いイメージを与えてしまったからでは無いでしょうか。実際にエイズが怖くてマスクと手袋をして電車に乗っていた人たちがいましたし、握手でも感染するとか、デマが一人歩きしました。

そしてエイズ・パニックは「日本では女性がエイズに絡んだ時、パニックが起こる」ということがわかりました。エイズが男性同性愛者と血友病患者などの病気と考えられている間は、社会はさほど関心を示さなかったのです。ところが風俗産業に従事していたフイリピン女性に感染者が出たり(86年11月・長野県)、女性のエイズ患者第1号が発生し、彼女は“売春”をしていたという噂がでたりして(87年1月・兵庫県)日本中がエイズ・パニックに陥りました。ちなみに、神戸の女性の“売春”は事実誤認であることが後の裁判で明らかになりました。エイズへの恐怖感が強まってデマや噂が飛びかい、患者・家族のプライバシーや人権を侵害する事件が頻発しました。魔女狩りに近い感染者探しが行われたのです。ですからこの頃の風俗街はどこも閑古鳥が鳴きまくり大変な時期だったのです。

現代では病人、障害者、老人、子どもなどの社会的弱者を、その病気や障害ゆえに差別すれば、人権侵害事件として社会から非難されます。ところがエイズの場合は“公益性”を掲げて患者の人権とプライバシーが無視されました。何故でしょう?行政・医療・報道など当時の有識者たちの「日本もたいへんなことになる、と思うと感染者の人権など考えるゆとりがなかった」という懐述を数年後の専門誌が報じていました。

やはり、日本の社会には買売春が根深く浸透しているため、女性が“感染源”となったとき、多くの男性が不安にかられるのでしょう。“安全確認”をするためには、危険な“女性患者”を特定しなければならないのです。つまり「一人の患者の人権より、99人の命のほうが大事」とする論理がその場を支配していました。これがエイズの“社会防衛論”の本質なのだと思います。当時各地の盛り場などで多くの「エイズ患者」の話が一人歩きしていました。そのほとんどが水商売や風俗嬢で、銀座のクラブのナンバーワンだの六本木のお立ち台のスター嬢だの黒人好きの吉原ソープ嬢だの、いかにも在りそうな話が飛び交ったのです。まさに魔女狩り状態!

しかし本気になってエイズの感染拡大を防ごうとするなら、誰もが簡単に抗体検査を受けられますし、感染者であっても医療と普通の市民生活が保障されて、安心して闘病できる社会を作れば良いのです。エイズのように自覚症状がなく、長い潜伏期間があって、しかも決定的な治療法がない病気では、脅しや強制は逆効果なはずです。「たった一人の患者の人権もを守れなかったら、99人の命も守れない」というのがエイズの現実なのですが…。そして、エイズの感染力はとても弱く、コンドームの装着で簡単に防ぐことができるのです。

エイズ・パニックの結果、日本のエイズには「死に至る恐ろしい病気」でかつ「感染が他人に知られたら、プライバシーを暴かれ、社会的制裁を受ける」というマイナス・イメージが付着することになりました。91~92年に発生した第2次エイズ・パニックでは、東南アジアから出稼ぎに来ていた女性たちがターゲットになりました。91年、堀之内では全国に先駆けて、接客時のコンドーム使用を事実上義務付けました。この特殊浴場協会の対応のおかげで川崎保健所にはソープ嬢の感染例は報告されていません。

しかし、パニックの大騒ぎの後はエイズへの関心が急速に薄れ、患者・感染者への差別と偏見だけが根深く残った割には、「コンドーム着用」に対する抵抗が見られ、残念なことに客を減らした店も多かったようです。

今ではエイズだけでなくあらゆるSTDを防ぐ手立てとしてもコンドーム着用はとても有効な手段です。けれども、一部の心無い雑誌やネットのサイトで「**という店はナマです」なんて情報が流れる現実もあるわけで、日本人男性の無知でマナーの無さに怒りを覚えることもしばしばあります。

これを読んでいる方々は良識とマナーをお持ち合わせだと思いますし、私自身「ナマ」を迫られた経験は一度もありません。でも、今一度ここで再確認したいのは、エイズを含むSTDが性感染症である以上、もしも「感染」して「被害」を受けてしまったら、その次の瞬間から「加害者」になるのだということです。

堀之内のソープでは売春防止法違反単独での摘発は未だ起きていません。それは多分、違法ながら被害者がいないことによる当局のお目こぼしなのでは?と私は思っています。だとすれば、私たちはエイズを含むSTD感染の「被害者」や「加害者」になるわけにはいかないのです。どうかご理解くださいね。