
💕「皆様、いかがお過ごしでしょうか?
お盆休み、お墓参りに行きましたか?」
さて、「精霊(霊魂)」について・・・仏教7つの宗派それぞれの返答違いの記事に、たいへん驚いたのでご紹介させていただきます。
《7つの仏教法人に送った質問状「霊魂は存在すると考えるか?」否定派の意外な"言い分"》
❤️ご先祖様の精霊を迎えるお盆は、首都圏では先月終わったが、全国的には8月中旬である。お盆の入り(13日)には迎え火を焚いて故人を迎え、16日には送り火であの世へと戻ってもらう。
迎え火はあまり馴染みがないかもしれないが、墓地や自宅の庭先でささやかに実施する人も少なくない。
このようにお盆は、死者の魂が可視化される時期である。各家庭でも仏壇に精霊棚を受けて、キュウリで「馬」を象り、ナスで「牛」をつくって祀る。これはご先祖様の精霊がなるべく早くこの世に戻るようにと、足の速い馬を、また、あの世に帰る時は名残惜しんでゆっくり戻ってもらうように、との願いを込めているからである。
さて、お盆は日本仏教共通の年中行事であり、弔いの主体は「精霊(霊魂)」である。実は、この「霊魂」、日本の伝統仏教界において捉え方がまちまちなのである。霊魂の存在を否定する宗派は意外に多い。お寺は先祖供養の場でもあるので、霊魂を否定していることに違和感を抱く人もいるかもしれない。
歴史的な流れを受け、現在、日本の各宗派の教えはそれぞれが独自のものとなっている。鵜飼秀徳(ジャーナリスト・浄土宗僧侶)氏は過去、各包括宗教法人に対して霊魂の存在の認否に関して「質問状」を送って、回答を求めたことがある。調査は、2016(平成28)年から2017(平成29)年にかけて実施した。
鵜飼秀徳『「霊魂」を探して』(KADOKAWA)より
具体的に代表的な宗教法人の公式見解をみていきたい。回答のオリジナルは鵜飼秀徳『「霊魂」を探して』(KADOKAWA、2018年)に掲載してある。ここでは、見解の概略のみをお伝えする。文末に各宗派の霊魂観をチャート図にしているので、参考にしてほしい。
【高野山真言宗】
霊魂の存在を認める。「阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて 叉立ち帰る阿字の故郷」と言うご詠歌があるように、阿字は全ての生命の根源であります大日如来を表し、人間は大日如来から命を与えられてこの世に生まれ、肉体の滅びる後は再び大日如来の内に帰還すると教えられている。
【天台宗】
日本仏教は日本人の霊魂観の上に成立し、それを継承することで日本民族に受け入れられてきた。死者儀礼に関与できたことも霊魂の存在を信じることなしでは成り立たない。一部に釈尊が霊魂の実在に対して否定的であった説を持ち出して、「本来の仏教は生きた人間を対象とする考えや救い」とする方もいるが、日本仏教はインド仏教と多くの点で異なっていることは勿論のこと、霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう。
【日蓮宗】
認めている。一例として、宗祖日蓮聖人が女性の信徒に宛てた手紙(息子に先立たれ、四十九日の供養の品を送ってきた事への返礼)には、死出の旅路の息子、霊山りょうぜん浄土にいる夫(故人)と現世の婦人が離ればなれになっていることへの哀れを思いやり、婦人も命終みょうじゅうの後には同じ霊山浄土で会えるように唱題(南無妙法蓮華経のお題目を唱えること)を勧めている。
【浄土宗】
浄士宗の教えは「阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、『南無阿弥陀仏』とみ名を称えて、人格を高め社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰」だ。この教旨からいえば、直接的に「霊魂」に関する話題に触れることはない。教義の上では「霊魂」を取り扱うことはないが、葬儀・中陰といった社会習俗と密接にかかわる事項の面においては、世の中で一般的に理解されているような霊魂観を許容しているということになる。
【真宗大谷派】
親鸞聖人は、龍樹菩薩に拠りつつ、「ことごとく能く有無の見を摧破せん」(『正信偈』)あるいは「有無をはなる」(『浄土和讃』)と、存在や死後が存在するか、しないかのどちらかにとらわれる見解を離れることを教えている。このことから考えると、自分や身近な人の死を怖れ、その死後を思うことは、とても自然なことだが、そのような私たちに向けて、「霊魂」や死後の存在の有無に対するとらわれから離れることを教えてくださっている。
【臨済宗妙心寺派】
臨済宗妙心寺派としては「断見(人の命はこの世限りのもので、死後は無になってしまうという考え方)」「常見(死後、肉体が滅びても霊魂は残り続けるという断見とは正反対の考え方)」のいずれも非仏説観点から、いわゆる「霊魂」の存在を積極的に認めていない。しかし、「人は死んだら終わり」と考えているわけではない。「霊魂」とは違う禅的な表現ですることはある。
それが何かと問われればそれぞれに様々な表現があり、なかなか一つにまとめるのは難しい。「霊魂観」については今後も続く課題と受け止め、じっくりと教学的にも研究、議論を重ねていきたいと思っている。
【曹洞宗】
曹洞宗宗制において、積極的、直接的に「霊魂」の存在に言及はしない。
ただし、葬送儀礼の中で戒を授ける対象を「霊位」、仏戒を受け諸仏の位に入った者を「覚霊」と位置付けたり、有縁無縁の先亡を「萬霊」とし、儀礼、供養において「霊魂」を対象にしている。曹洞宗が地方に展開する中で、僧侶は当時の民衆の要望に応える形で葬送をつとめていった。素朴な思い(亡くなった家族のみ霊を供養し、死後の安楽を願う思い)を、禅僧のもつ力でもって供養していった歴史の積み重ねが現代まで続いていることを強く受け止めねばならないだろう。教義には説かれない、民俗との複合の上に、葬送・供養が存在するのであり、「霊魂」もそうした民俗由来のものといえよう。
以上のように、同じ仏教でも宗派によって霊魂観は大きく異なることがお分かりだろう。
《霊魂を認める派認めない派の「言い分」(各宗派の霊魂観をチャート)》
浄土宗の場合は宗門として霊魂の存在を明確には認めていない。臨済宗や曹洞宗などの禅宗系も、浄土宗のスタンスと似ている。それでも浄土宗の場合はまだ、霊魂の捉え方に関して寛容なほうだ。
浄土真宗に至っては、霊魂そのものの存在を否定している。
他方、真言宗や天台宗、日蓮宗は明確に霊魂の存在を認めている。それらの宗派に属する僧侶は躊躇なく、鎮魂、除霊、加持祈祷といった作法を行う。
例えば真言宗など密教系宗派では、しばしば「護摩行」が行われる。護摩とは不動明王を本尊にした堂内に炉を構え、護摩木をくべ、燃え盛る炎とともに様々な願いを成就させるものだ。護摩行の手法のひとつに悪魔・悪霊を退散させる目的のものがある。これは霊魂が存在することが大前提での宗教儀式である。
各宗派の霊魂観をチャートにしてみると、このような分布になった。あくまでも私が総合的に判断したものだが、日本の仏教の奥深さを感じてもらえれば幸いである。

❤️『「霊魂」を探して』
鵜飼 秀徳:著、KADOKAWA:出版
内容紹介
電車の網棚への遺骨の置き去りが増えるなど、人々の霊魂観の薄れを感じさせるニュースが相次いでいる。宗教界に目を転じれば、明確な霊魂観を持つところもある一方で、霊魂が存在するのかしないのか答えられない教団もある。現代における日本人の霊魂観を探るため、著者は鎮魂の現場、土葬の風習が残る山村、各地に息衝くシャーマンなど、数々の「霊魂の現場」を訪ね歩いた。さらに、1335人の僧侶、20宗教団体への調査を敢行。ここに日本人の霊魂観が明らかになる。
著者について
●鵜飼 秀徳:1974年、京都市右京区生まれ。成城大学卒。在学中はテレビ朝日の学生ADとして、オウム事件などを取材する。その後、報知新聞社に入社。事件・政治担当記者を経て、日経BP社へ。月刊誌「日経おとなのOFF」、「日経ビジネス」記者を経て、2018年1月まで「日経おとなのOFF」副編集長を務める。その後、フリー。2015年5月に刊行した初の著書『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』は、朝日、読売をはじめとする各紙誌で紹介され、大きな反響を呼んだ。ほかの著書に『無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教』がある。正覚寺副住職。
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因みに白鳥は霊魂の存在を信じ、宗派のこだわりは全くございません。🙏🙏🙏💗💗💗
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【最高の人生】
【ゴルフ】

⛳国内女子『NEC軽井沢72ゴルフトーナメント』(賞金総額8,000万円・優勝賞金1,440万円)大会最終日が8月15日、長野県軽井沢町・軽井沢72ゴルフ北コース(6,679ヤード/パー72)で行われ、折からの悪天候で27ホールの短縮競技に。

🏆️第1日、首位に立った小祝はこの日も2バーディー、ノーボギーと好調なプレーを披露し、通算10アンダーで通算5勝目をあげた。
東京オリンピックで銀メダルを獲得した稲見萌寧は通算3アンダー、19位タイだった。
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【ゴルフ応援歌】
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