石森 史郎(いしもり ふみお、1931年7月31日[1] - )は、日本の脚本家エ・ネスト所属。北海道羽幌町出身[1]。別名義に松宮瑩子[1]など。

略歴[編集]

北海道留萌高等学校を経て、日本大学芸術学部を卒業した。日大在学中に執筆した『晩鐘』がシナリオ作家協会新人シナリオコンクールに入賞する[1]。大学卒業後の1955年に近畿広告へ入社したが、脚本家を目指すため1959年に退社した[1]。同年、テレビ『ママちょっと来て』で脚本家デビューする[1]

1963年に日活へ入社し、映画『噂の風来坊』から始まり、『私は泣かない』、『ああ、ひめゆりの塔』などを執筆[1]。1969年に松竹と専属契約となり[1]、『約束』、『旅の重さ』、『同棲時代』、『愛と誠』、『ふれあい』、『凍河』、『博多っ子純情』を執筆後、フリーとなる。

その後東宝暴力学園大革命』『ボクサー』、東映動画銀河鉄道999』、角川映画ボビーに首ったけ』などを執筆する。

大林宣彦監督とは多く仕事を行い、『青春デンデケデケデケ』『あの、夏の日』『告別』『理由』など映画を71本近く執筆した。

また、ピンク映画のシナリオを、複数のペンネームを使って執筆している[2]

テレビはNHKテレビ小説水色の時』、銀河テレビ小説青春』(ギャラクシー賞)、『ザ・ガードマン』、『必殺仕事人』、『虹のエアポート』等、1000本あまりの作品を精力的に執筆している。『虹をかける天使達』では初監督も手がけている。芸術選奨新人賞毎日映画コンクール脚本賞、厚生大臣優秀賞など多数受賞している。私塾「青春脚本塾」を主催し[1]、後輩ライターの育成にも熱心である。

石森の著名な弟子として脚本家の伴一彦がおり、野島伸司大師匠に当たる人物でもある(野島は伴の弟子にあたる。また伴も石森と同じ日大芸術学部の出身である)。

特撮番組への参加[編集]

1972年の『仮面ライダー』に参加して以降、『ウルトラマンA』や『ザ・カゲスター』といった特撮テレビドラマのシナリオをたびたび執筆するようになる。

当時、小学生だった息子にせがまれ、東映で監督を務めていた友人の田口勝彦の伝手で、自ら『仮面ライダー』の撮影所を訪ねたのがきっかけであるという[1]。また、同様の理由で売り込みに来ていた脚本家たちが大勢いたという。

『ザ・カゲスター』では大学時代の教え子である鷺山京子[1]土筆勉にも仕事の場を与え、この2人は『仮面ライダー(スカイライダー)』では師のもとを離れて独立している。また、中原朗とクレジットされている西原儀一監督のピンク映画は石森が執筆している[2]。なお、中原朗は石森が脚本を担当した映画『約束』の主人公の役名であり[3]、石森の別名義という資料も存在する[4][5]

『仮面ライダー』では、同型怪人を複数登場させる展開を用いた[1]

脚本作品(映画)[編集]

脚本作品(TV)[編集]

ドラマ[編集]

アニメ[編集]