ねこふん。と言う5月の猫まつりを案内した小冊子をワタチの好きなパウンドケーキのお店でもらってきた。
その中に
内藤晶個展
猫魂の書展。の紹介があった。
~生きるのが大好きだった猫へ~
生きることが最後まで楽しみ、病に伏しても何度も立ち上がって来た愛猫をテーマに書と写真で表現した個展です。
というものがあった。
私は猫を飼っていて。。
必ずお別れする日はやってくるからと少しでもそのときの悲しみを和らげようと自分にそんな日がいつか来るんだからね。と頭の片隅には置いている。さて?実際にやって来たらこんなこと一応思っていても冷静に受けとめらることはできないけどね。。
そして。。
うちの子が病にかかり助かる見込みはない。(そんな助からないからすぐにではないですよ。)そして苦しむ姿を目にしたとき。私は安楽死という選択をどうするか。Happyとのお別れはまだまだ先だけど。安楽死について、自分の中で本当に迷う。。。そのときの状態になってみないと結論は出せないだろうが。
果たして。。どちらかHappyのためなのだろうか。と今から考えてしまうときもある。
今、考えても仕方ないことかもしれないけど。
。
けど。
この言葉を読み。
生きるのが最後まで楽しみ。。。
最後の最後まで苦しんで可哀想、早く楽にしてやったほうが。と思うのは私の勝手なのかもしれない。
最後の最後まで生きること楽しみにしているこの子の命を私が奪うことはできない。
病に伏したとき
一番辛いのはHappy。。
私はそれを受け入れてついててやり最後の最後まで頑張るHappyと共に最後まで必死に生きようとするHappyの命に寄り添ってやることが飼い主として最後まで責任を果たしたことになるのかもしれんなぁ。
自然に命、まっとうできたHappy。
苦しいから楽にしてやったほうが。と残りの命を削られてしまうHappy。
Happyはどちらが幸せだろうか。
ママ。。最後までHappy頑張る。ママ最後まで生きる。と、うちのコも思うような。。
安楽死について悩む私に
考えさせられた言葉。
ママが真剣に考えている今。こたつの中でネンネのHappyは寝言?
小さな声でまた
ミュミュミュミュム~と鳴いてます。
覗くと完全にのびてます。
この子の命はこの子の命だ。
私の考えで摘むことは。。
最後までママと一緒に生きようか。それがいい?Happy?
だってHappyも生きること楽しみだもんね。
(まだ一才8ヶ月なんですが。あと何十年も先のことだけど)
人間は。。
死にたいと考えることもあるようだけど。。
動物はそんなこと思わないもんね。
Happyを飼ってから今まで考えたこともない。いろんなこと考える。
これはあくまでも私がこの文章で感じたことなので、安楽死を選択することを完全否定するものではありませんので。
個人、それぞれのお考えがあるでしょうから。。
けどな。。
お別れイヤだな。ずぅーと一緒に居たいな。
Happyがお空に行ったらママもすぐ行きたい。
生きたい。。
生きることを楽しみにしていたコタチ。
無惨にもその夢を打ち砕く
憎むべき虐待行為。
この世からなくなりますように。
そんな人間も。。