「佐藤愛子 息子」と検索した方は、息子がいるのかどうかから気になっているのではないでしょうか。
実は、娘の響子さんより16年も早く生まれた長男がいるんです。
この記事では、佐藤愛子さんの息子について分かっていることを整理します。
| 気になるポイント | 分かっていること |
|---|---|
| 息子 | 1944年11月生まれの長男 |
| 父親 | 最初の夫にあたる男性 |
| 生まれた場所 | 戦時中の疎開先だった祖父母の邸 |
| 兄弟 | 3年後に生まれた長女と、のちの異父妹 |
| 氏名と職業 | 公表されておらず確認できない |
▶ 父親の名前や生まれた土地、母と離れて育った経緯まで詳しくは 完全版の記事 でまとめています。
佐藤愛子の息子は戦時中に生まれた長男
まずは、息子がいつ生まれたのかから見ていきましょう。
響子より16年早く生まれていた
佐藤愛子さんの家族といえば、娘の響子さんと孫の桃子さんを思い浮かべる方が多いはずです。
二人とも佐藤愛子さんについての本を書いていて、メディアにも登場してきました。
ところが記録をたどると、響子さんが生まれる16年も前に長男が誕生しています。
生まれたのは1944年11月。佐藤愛子さんは1923年11月5日生まれですから、20代前半で母になったことになります。戦争の真っただ中でした。
父親は最初の夫
佐藤愛子さんは2度結婚していて、息子は1回目の結婚で授かった子です。
結婚したのは1943年12月で、見合い結婚でした。その翌年11月に長男が生まれているので、結婚から1年足らずで母になった計算になります。
作家としての佐藤愛子さんを語るとき、話題になるのは2番目の夫との顛末のほうでしょう。会社の倒産で借金を背負った経験が代表作につながり、直木賞まで受けているからです。
そのぶん最初の結婚は語られる機会が少なく、息子の存在も知られにくくなっているわけですね。
生まれたのは疎開先の邸
長男が生まれた場所も記録に残っています。戦火を避けて一家が身を寄せていた、祖父母の隠居用の邸でした。
この祖父母というのが、大衆小説の大家として知られた作家の父と、元女優の母です。
つまり息子は、文人一族のただ中で生を受けたことになります。
佐藤愛子さんの異母兄には、誰もが知る詩人と、脚本家がいます。生まれた瞬間から、そういう家の空気の中にいた子だったわけですね。
戦争が終わるのは、その9か月後のことでした。生まれてすぐの時期を、この子は戦時下で過ごしています。
佐藤愛子と息子が離れて育った理由
ここからは、母と子が別々に暮らすことになった経緯です。
2人の子は父方の実家へ
長男には、3年後に生まれた妹がいます。父親は同じで、2人は兄弟です。
そしてこの2人は、のちに父方の実家に引き取られました。
つまり息子は、母である佐藤愛子さんの手元では育っていません。ここが、息子の存在が表に出てこなかった大きな理由でしょう。
戦中戦後の混乱期に、若い母親が2人の子を抱えて生活を立てるのは簡単ではありませんでした。佐藤愛子さんが作家として世に出るのは、40代を過ぎてからのことです。
氏名と職業は公表されていない
ネット上には、息子の実名を挙げて職業まで書いている記事がいくつもあります。
ただ、その出どころをたどっても、本人や関係者の発表にはたどり着けませんでした。
同じ話を載せている記事の中には、佐藤愛子さんの母親の名前を取り違えているものもあります。その精度の情報を根拠に、一般の方の氏名や勤務先を書くことはできません。
長男は芸能人でも公人でもありません。名前が出ていないこと自体が、本人か家族の判断だと受け取るべきでしょう。
もうひとつ注意したいのが、同姓同名の別人の存在です。大学生の息子と写った「佐藤愛子」さんの写真が出てくることがありますが、これはアイドルグループにいた別の方で、作家の佐藤愛子さんとは関係がありません。
晩年について語ってきたのも、末娘の響子さんと孫の桃子さんだけでした。長男と長女がメディアに登場したという記録は見当たりません。
息子は1944年11月生まれの長男で、最初の結婚で授かった子です。妹とともに父方の実家に引き取られたため母とは別に育ち、氏名も職業も公表されていません。