災いの女神エリス                                                   ペルセフォネの帰還

 

今評判の「本能寺の変431年目の真実」(明智憲三郎著)面白かった。こんな大事件が光秀の怨念や野望だけで起こるはずはない、そういう話を流して情報規制をしたのは秀吉だという説にはごもっとも。しかしそれより印象に残ったのは家康の行動だ。伊賀越えをして三河に戻った翌日には、兵を西ではなく東に向かわせたと言うことは初めて知った。旧武田領の信州甲州は織田軍が駐屯していたが、それを追い払い簒奪したのだ。そして織田家中が跡目争いをしている隙に駿遠三に加え甲信を併呑し、上杉や北条よりも広大な領土を持つようになったことである。
 家康の目的は初めから旧武田領を信長から取ることだったのだろうか?天下人は当面光秀だろうが秀吉だろうが、かまわない。自分よりは年長だからいずれ先に死ぬ。まずは大大名になることだと考えたのだろう。
  本能寺の変は光秀と家康が共謀したものか?そこに足利義昭、細川藤孝、さらに毛利、長曾我部たちが加わっていたかどうかは何とも?ですが、もしこんな大規模な信長包囲陣を作れる人を探すとやっぱり朝廷の中でしょうね、このへさんとか。

 邪馬台国は北九州か?大和か?の議論は江戸時代からもう200年も続いているそうですが決め手はなし。それどころか候補地は数十か所もあるとか。いっそ、どこか一つに決めないで北九州から出雲吉備大和までの連合体としたらどうでしょう。

 ヒミコの宮殿は少なくとも2つあったが、墓は大和に造られた(箸墓)。彼女の死後、邪馬台国連合は東西に分裂して相戦う。2勢力が魏に正統性を訴えたが、魏の特使張政は北九州勢力のトヨ(イヨ?)を後継者と認めた(3世紀中葉)。しかし大和勢力はそれに従わず対立が続く。
 時を経て和平の機運が生じ、大和の男王タラシナカツヒコ(仲哀)と九州の女王オキナガタラシヒメ(神功)は結婚し両国は統一された。仲哀は大和に妃や王子をおいて北九州に行くが、土地の神に従わなかったため、暗殺される。仲哀の死後,大和にいる妃大中姫・その子であるカゴサカ(香坂)・オシクマ(忍熊)と神功・その幼子であるホンダワケ(応神)との間に争いが起こる。神功は大和勢を分断して戦勝し、わが子を大和王に据え自らは摂政となり再統一に成功した。敗れたオシクマ皇子たちは琵琶湖に追い詰められ没したという。成人した応神は西から遷ってきたことを忘れてはいないが,大和河内勢と妥協し,母は仲哀の正妃で自分自身は仲哀の嫡子であるとし東西両国の支配を正当化した。神功の死(4世紀末)によってヒミコ女王国は終焉する。神武東征、ヤマトタケルの熊襲征伐などは、その争いをあとから回想脚色したものである。

さてそれを示す天象は?

先日やっと出来上がり、15日に書店に並びますがアマゾンではすでに販売しています。

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目次は

 

プロローグ 天文ゴールデンイヤー

第一章 欠けゆく太陽 -天変から探る古代日本
 一.ヒミコ女王国の興亡
 二.古代日本の日食
 三.日食はいつ起こる

第二章 五つの星が集う夜 -惑える星々が語る天変
 一.古事記にあらわれる五惑星
 二.夏殷周王朝の始まり
 三.史記は語る
 四.ベツレヘムの星
 五.惑星直列は怖くない

第三章 合犯・客星 -日本古典文学の中の天変
 一.天文博士安倍晴明は見た!
 二.歌人藤原定家の偉大な天文業績
 三.超新星さまざま

第四章 突然の来訪星 -今日なお天変
 一.小惑星の落下・ニアミス
 二.大彗星列伝

エピローグ 大彗星到来

これまでブログに書いたり講演でしゃべったことをまとめたものです。読んでくだされば幸いです