今回の城巡りアーカイブスネタは引き続き南九州シリーズです。

 

一宇治城から鹿児島を南下。砂浜がきれいな「吹上海岸」のほど近く。

鹿児島県日置市吹上町にある伊作城跡です。

 

この城には自分は大きな想い入れがありました。

私にとって、「戦国・島津」といえば鹿児島ではありません。

この伊作城こそ、まさにその戦国・島津の勃興のはじまりの地。

もし自分に男の子がいたら(独身ですが 笑)、名前に「久」の一字をいただきたいと思う島津びいきの私にとって、この伊作はまさに聖地でございますよ。

 

ここで産まれし猛者達が、その後、薩摩隼人をまとめ上げ、大友を撃破し龍造寺を破り、秀吉配下となった四国勢を蹴散らし、九州全統まであともう少しのところまで昇り詰めたのです。

そんな島津氏の戦国時代の歴史は、この伊作城にて島津忠良という一人の英主が産まれたところから始まるのです。

 

すいません、写真の前からすでに鼻息荒くなってしまいました(笑)

 

〇伊作城

 

駐車場、というより駐車スペースはちゃんとあります。ちょっと迷う部分ありますが、接近すれば案内板がちゃんとあります。

そこから見上げた城跡。

 

登ってまいります。

ちなみにこの案内板には、南九州の城跡では曲輪のことを「~丸」「~郭」という代わりに「~城」という事がある旨の記載があります。

 

この段階ですでにかなり景色が良い!

こちらは城の東方にあたります。

 

どんどん登っていきます。

 

写真ではよくわからないかもしれません。これかなり深い空堀跡です。

 

土塁跡。一通り通常の遺構はそろっております。

 

伊作城の本丸にあたる郭は「亀丸城」と呼ばれております。

この亀丸城を中心に、空堀に隔てられた9つの郭があった、とされています。

城域全体では最大時は28もの郭があったと伝わる大城郭。

 

こちらも空堀跡。かなり幅も深さもあります。

 

林間に、段々になっている曲輪のような平坦地が見えます。

城に向かって登ってくる道のサイドになるので家臣屋敷跡とかですかね。

 

こんな道を登ってきました。

 

いよいよ亀丸城へ!

 

山城感満載。

 

到着です。ここが伊作城の本丸、亀丸城。

ここから島津飛翔の歴史が・・・。

 

島津忠良(日新斎・じっしんさい)公(1492~1568)生誕の地の碑。

普通の城跡の案内板ではないですよね、ここまでくると。

 

で、こちらが城跡の碑。どちらが主役かわかりません。

 

おまけの井戸跡。山城でしょうから水の手は重要。

 

真ん中向かって左が日新斎生誕の碑、右が亀丸城跡の碑。

ここにはまさに戦国島津の皆皆が集っているのです。

うーん、感慨もひとしおです。

 

みなみなここ伊作城で産まれた猛者達ですよ。すごい!!

実は沖田畷の戦いの年が違います。1582(天正10)年ではなく1584(天正12)年ですね。

 

後から気づいたのですが、こんなわかりやすい案内板が亀丸城の入口にあったのでした。

駐車スペースとの位置関係もわかります。

 

いやー、なんかよい景色です。感慨に耽りながら亀丸城から撮影した一枚でした。

2月の空は晴れ上がっておりました。

 

いかがでしょうか??

いつもより写真をいっぱいアップしてみました。

ここは100名城にも、続100名城にも選ばれておりません。よって、スタンプ集めもできません。

立派な資料館もありません(たぶん・・・)。復興された建築物もありません。

 

しかししかし、この城こそが、まさに戦国・島津の「振り出し」の地ですよ!!

鹿児島に行って、島津氏の歴史を、特に戦国から幕末までの島津氏の歴史を追う方であれば、この城は行かなければなりません!!この城で生を受けたサムライ達がいなければ、その島津の歴史は違ったものになっていたはずです!!

 

またまた鼻息が荒くなってしまいました(笑)いけません。

とにかく、一度、登城してみてください!

 

〇伊作城とは?

 

詳細はわかっていませんが、南北朝時代にはすでに伊作(いざく)島津氏の居城として存在していたようです。

その頃は「中山城」と呼ばれていたようですね。

もちろん初めからこの規模があったわけではないでしょう。

最盛期には、先にも述べた通り大小28もの郭が存在していた、中世山城です。

 

その規模は南北に750m、東西に1050m。面積にして50万㎡。

本丸は「亀丸城」、他に「蔵之城」「山之城」「花見城」「御仮屋城」「東之城」「西之城」と、周辺の6つの郭は今でも確認できます。

伊作川と多宝寺川に囲まれ、これを外堀に見立てた城地選定です。

北側から東側にかけてはシラス台地でつながっているため、堀切を施しています。

南九州の山城はなかなか規模の大きい城が多いのですが、ここもその規模は相当なものです。

 

〇伊作島津氏

 

実はここからしょうこりもなく延々と、伊作島津氏の歴史を書いていたのですが、パソコンがフリーズし、この前の行まで全部消えてしまいました(泣)

これは「それ以上書くな」という天の思し召しでしょう・・・。

まあ、ウィキペディアあたりで島津忠良を調べればかなりの文章量の内容が確認できますし・・・。

途中まで書いた内容はなかなかの大作(笑)だったんですけどねえ、その分・・・

 

くじけました!!!!!

 

〇行き方

 

車でないとほぼ不可能かと思います。

鹿児島市街から直接向かうのであれば、指宿有料道路の谷山インターを下り、県道22号線を西に向かい、伊作峠を越えて伊作街道をひた走り、県道294号線との小牧交差点の手前、右手に城跡への曲がり口があります。

一方、海沿い方面からなら南北共に国道270号線を使って接近。

県道との交差点である中原の交差点を北からなら左折、南からなら右折して県道22号線へ。

次の信号のある小牧交差点を左折してすぐ、左手に城跡への曲がり口があります。

この曲がり口には少なくとも案内板があり、一宇治城から南下して行ったレンタカーの私でも無事に城跡に到達することができました。

 

鉄道では厳しいかと思います。30年以上前までは枕崎線というJRの路線があったはずですが今はなく。

バスの便はちょっと自信がありません。

やはり車で行くべきと考えます。