どうも釜次郎です!
今回は山梨県甲府市にある甲府城の攻城記録です。
【歴史】
甲府城は、天正10年(1592)の武田家滅亡後、豊臣秀吉政権下で建築が進められ、豊臣秀勝、加藤光泰を経て、慶長5年(1600)頃に浅野長政により完成したと考えられています。
関ケ原の戦いの後は徳川一門によって支配されました。
徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が徳川一門以外では初の城主となって入城した際に、城の拡張と修築が行われ、城下も整備された。
吉保の子・吉里が大和郡山に転封した後は、幕末まで幕府の直轄領となりました。
明治1年(1868)の戊辰戦争では、最後の甲府城代堀田正倫は現地に赴任せぬまま新政府軍に恭順し、板垣退助らは甲府城への無血入城を果たした。
やがて甲府城は廃城となり、建物の多くは取り壊されましたが、明治37年(1904)には舞鶴公園として開放されました。
【城データ】
名称(別称):甲府城(舞鶴城、府中城)
所在地:山梨県甲府市
城の形態:輪郭式の平山城
築城者:浅野長政・幸長
文化財指定区分:県指定史跡
主な遺構:石垣、堀など
その他:日本100名城
【攻城】
舞鶴城公園の南側から入城します。
・舞鶴城公園
・遊亀橋
遊亀橋を渡った先が鍛冶曲輪になります。
・内堀
・舞鶴城公園案内図
まずは本丸を目指します。
・鍛冶曲輪
自由広場になっています。
・鍛冶曲輪門
御殿が建てられていた楽屋曲輪と鍛冶曲輪を結ぶ藥医門。
・坂下門跡
天守曲輪と二の丸をつなぐ門です。
・武徳館(二の丸跡)
二ノ丸には剣道場が建っています。
・中の門跡
天守曲輪・本丸へ通じる門です。古絵図では柵の門として描かれています。
・鉄門
本丸南に開かれた大手門。二階建ての櫓門です。2013年に復元されました。
・本丸天守台
本丸東端に築かれている天守台。
浅野父子が築いた天守台には天守は存在しないという説が一般的でしたが、近年の発掘調査にて天守の鯱瓦の破片が発見され、浅野氏時代の天守の実在が証明されました。
天守台の規模や江戸の家康を監視するという重要な役割からも当時の天守は松江城に匹敵する四重五階であったと考えられています。
・天守台石垣
・天守台からの眺望①
稲荷曲輪と稲荷櫓が見下ろせます。
・天守台からの眺望②
線路を挟んだ先に山手門と山手渡櫓門が見えます。
・本丸南側
・本丸の櫓台
本丸の北端に残る石垣には明治初年まで櫓が建っていました。
・謝恩塔
山梨県にあった皇室の御料林が県に下賜されたことを記念して、大正時代に建てられました。
・銅門跡
本丸の西の出入口。かつては櫓門であったとか。
今回はここまで。次回は下に降りて稲荷曲輪や山手門を見に行きます。