攻城日:2018年9月16日

 

愛媛県今治市にある今治城の攻城記録です。

 

今治城は関ヶ原の戦いでの戦功により伊予20万石の太守となった藤堂高虎により瀬戸内海に面した海岸に築かれた海城です。

 

全国的にも珍しい巨大な舟入が特徴の海城であり、高松城、中津城とともに『日本三大水城』の一つにも数えられています。

 

築城は慶長7年(1602)に始まり、2年後の慶長9年(1604)に石垣や堀の土木工事が終了。櫓や御殿などは慶長13年(1608)頃に完成を迎えたようです。

 

今治城の完成直後に高虎は伊勢に国替えとなりますが、2万石のみ飛び地として残されたため養子の高吉を城代に置きます。

 

寛永12年(1635)、高吉は伊賀名張に移り、代わって伊勢長島城より松平定房が入城。以降は明治に至るまで松平氏の居城として利用されました。

 

現在は築城当時の天守や櫓は現存していませんが、広大な内堀や石垣が残っており、模擬天守や櫓が復興されています。

 

広い内堀に囲まれています。海水を引き入れているため鯛やヒラメも城内を泳いでいるようです。

 

・今治城の堀に見られる魚たち

 

・今治城石碑

 

・今治城案内図

 

・桝形虎口

三方から横矢を掛けられてひとたまりもありませんね。

 

城内には向かわず先に外から城の周りから隅櫓を見て回ります。

 

・武具櫓(写真手前隅櫓)

 

・山里櫓(写真左)と模擬天守(写真左)

 

・御金櫓

二の丸隅櫓。足元に犬走があります。

 

・鉄御門

土橋を渡った先に立つ櫓門。扉や柱に鉄板を張り詰めることで鉄砲や弓矢攻撃に備えています。

 

多門櫓と接続することで桝形を形成している。

 

・勘兵衛石

城主の権威を示す鏡石。名称は築城奉行の渡辺勘兵衛にちなんだもの。

 

次回に続きます。