久々の更新です。誰も読んでいないだろうというのはわかっています。チラシの裏書ですw


人と自然科学の話をするのは楽しいけれども、あまりにも(゚Д゚≡゚Д゚)?な質問をされると実にまいってしまう。家庭教師先の父親がまさにそんな感じで、物理になかなか興味があるらしく、毎回いろいろな質問をしてくる。年を取っても向上心があるのは結構なことだが、どこで仕入れたか難しい話を単発的に知っていて、周辺の知識を知らないもんだから、質問することもなんだかおかしいし、どう説明しても理解してくれない。こういう人には、もはやちゃんとした説明を与えることは諦めて、最悪、YES とだけいうほうがいいようだ。

父「先生、重水素というのが新しいエネルギーになるそうですね。」

僕「そうですね。」

父「重水素というのは水素を重ねたらできるんでしょ?」

僕「・・・まあ・・・そうですね。(字の通り読んだだけだろ!)」

  重水素・・・普通の水素より中性子の数が多い水素のこと。

父「宇宙ロケットのエンジンはは今は水素と酸素を燃やしているんですよね。将来、光を放射するようなエンジンができると聞きました。本当ですか?」

僕「そうですね。」

  光・・・電場と磁場が交互に振動しながら進むモノ。

父「では、ロケットのスピードは光を超えるわけですね。」

僕「・・・いや、光を出すってだけで自分のスピードが光を超えるわけでは・・・つか光の速度はどうやっても超えれないんです。」

父「光っていったいなんなんですか?」

僕「電場・・・って分かりますか?」

父「電波?はい、分かります。」

僕「いや、電波じゃなくて電場・・・(あーめんどくせえ!)。えっと、えっと、電気の力と磁石の力が合体したら光になるんです。」

父「へぇ~!他に新しいエンジンとかってありますか?」

僕「プラズマを放射するようなのはもう実用化されてたかなあ」

父「プラズマって雷のことですよね?」

僕「・・・まあ・・・そうですね。」

  プラズマ・・・高温になり原子が原子核と電子に分離した状態。

父「じゃあ、プラズマってのは避雷針のようなものと思ってもいいんですか?」

(;´∀`)・・・

いま雷のことって言ったばかりだろ!!セル!!おまえを殺すぞ!

これについての力積を考えようと思います。

力積とはエネルギーの時間積分、すなわち運動量の変化量のことですが、サイコクラッシャーを放った直後とサイコクラッシャー終了時のべガの運動量の差をサイコクラッシャーの力積として定義することにしましょう。サイコクラッシャーを放った後敵の後ろに回りこみ当て投げをくらわすハメ技に見られるように、サイコクラッシャーとは敵を貫通して真後ろに着地する技です。したがってサイコクラッシャーで敵とぶつかることによりべガは全運動量を消費すると考えられるから、求める力積は(べガの質量)×(べガの速度)で与えられることになります。公式設定によるとべガの体重は96kgですから、慣性質量と重力質量が等しいことを主張する等価原理を仮定して質量を96kgとしましょう。サイコクラッシャーの速度については技発生中のフレーム数を測定し、その間に進んだ距離を目算します。距離を測定するために仏さんがあるサガットステージを選択しました。サガットの出身国タイで金色の涅槃仏と言えばワット・ポー寺院にある長さ46mのものが有名です。そこでサイコクラッシャーにより1/4画面(約11m)進む間のフレーム数(スーパーファミコンにおいては1/60secが1フレーム)を測定し速度を概算したところ、およそ4.5m/secとなりました。したがってサイコクラッシャーの力積は96kg×4.5m/sec≒430kg・m/secとなります。

ちなみに気になるコマンドは

↑↑↓↓←→←→BA(゚∀゚)↑↑↓↓←→←→BA

です。

応用上、微分差分方程式には出会ったことなかったけれど(数学書では見たことあるが)、意外なところで現れました。

ふと、血液中の血球の個数が一定に保たれるのはなぜか?という問が頭の中で出ました。そして早速インターネッツ♪(`・ω・´) シャキーン

生物や医学の学問に対する態度というか、いったい何をどこまで答えたらいいのか分からないんだけど、「どのような仕組みで血球の生成速度と破壊速度が等しく保たれているか」というのが論点だと思ったんです。ところがどの医学サイトや医学書を見ても「生成速度と破壊速度が等しいから」としか書いてない。医者ってサイヤ人の大猿並の知能しかないのか?(某大型書店で座り読みしていたのは僕です。ごめん。)

体内に血球の濃度を測定する機構があって生成速度をうまく調節してるんだろうけど、このへんのより詳しい仕組みは生物の知識がまったくないから分からない。そこでこのシステムがうまく働いたときに血球濃度が正常値に戻ることを、適当なモデルのもと証明することを試みた。

∵) 時刻 t における血球の個数、生成速度、破壊速度をそれぞれ x(t)、xg(t)、xd(t) とおく。

仮説1:時刻 t ≦0 においては体は正常な状態にあり、このときは x(t)、xg(t)、xd(t) は一定で x(t) = x0、xg(t) = xd(t) , ( t ≦0 ) とする。

仮説2:血球の濃度が正常値 x0 からずれたときは、ずれの大きさに比例した分だけ生成速度が修正される。

仮説3:血球の寿命 T は一定である。

 

以上の仮説のもと、時刻 t における血球の個数は

x(t) = x0 + ∫(xg(t) - xd(t)) dt

生成速度は

xg(t) = xg(0) + a( x0 - x(t) ) + f(t)

で与えられます。右辺第1項は正常な状態における生成速度、第2項は a を比例定数とする修正項、第3項 f(t) は病気や環境の変化による生成速度の乱れを表します。破壊速度は

xd(t) = xg(t-T)

であるから、以上の3式から xg と xd を消去して両辺微分すると

 

x’(t) = a( x(t-T) - x(t) ) + f(t) - f(t-T)

x(t) = x0 , ( t ≦0)

 

という微分差分方程式の初期値問題を得ます。

多分40%くらいの確率で、解の存在は常微分方程式のときと同じ条件で同じように証明できます。ただ常微分方程式と決定的に違うのは、解空間が無限次元であるということ。初期条件として区間 -T ≦t ≦0 で x(t) の値を与えなければ解が決まらないからです。これは偏微分方程式とよく似ています。しかし実際に局所解を構成するときはこの区間の上の2点のみしか使わないから、解の存在は常微分方程式と同じように言えるわけです。

もう1つ常微分と異なる点は、初期条件として -T ≦t ≦0 での x(t) の値を与えたときは、局所解が左に延長できないということです。x(t) の値を知るにはその T 秒前の x(t) の情報が必要ですね。↑の定式化のように t ≦0 全体で初期条件を与えたときは左に延長できますが、これは情報過多の状態にあり、この延長した解と初期条件がちゃんと一致する保証はないです。このへんの詳しい解析はめんどうなので略。

 

続きは今度。暇な人はこの方程式、解いてみましょう♪( ^ω^)

有名な話なのだけど、植物の葉の付き方には規則性があって、その中にフィボナッチ数列(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%9C%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%81%E6%95%B0%E5%88%97) が隠れています。ひまわりの種の付き方にもフィボナッチ数列が隠れているんだよね~。
植物の花びらは5枚のものが一番多いらしく、なぜ“5”が多いかを数学的に説明している記事が学校の本に書いてありました。ちなみに5角形の辺と対角線の長さの比は黄金比((1+√5)/2)になり一方、フィボナッチ数列の隣り合う項の比の極限も黄金比になる。どうやら植物は“5”が好きなようだ。

なぜ“5”が好きか、というところまで考え出すと数学の範疇ではなさそう。例えば蜂の巣が6角形をしているのは、数学的に平面を埋め尽くすのに“6”が都合がよいという理由もあるけど、“6”を使うと強度が物理的にも非常に強い。この様に“5”を選ぶと物理的な利点があるのかもしれない。

あるいはそうではなくて、地球で生まれた最初の生物が何らかの理由で、もしくは偶然“5”という数字を選択してしまったがために、遺伝子に“5”が刻まれて、その子孫はみんな“5”を選ぶ・・・という理由かもしれない。ほとんどの生物が2種類ある光学異性体のL型の方しか持っていないのはどうやら遺伝的な理由らしい。このへんは生物学の範疇ですね。

いろいろな分野が融合しているとすごく面白いなぁ。最近は数理物理に興味がある今日この頃。
つうかもう3月じゃん。

線形代数学とは、有限次元の線形作用素を研究する分野である。そして無限次元の(線形)作用素を研究する分野を函数解析学という。名前にあるように、前者は代数的な手段で、後者は解析的な手段で議論を進めて行くのだが、これがどうにも気に食わない。

おおまかに言うと、前者ではε-δなど全然使わないのに、後者では使いまくる。高級な言葉を使うと、前者では空間に位相構造を入れないが後者では入れるのである。有限から無限に自然に拡張されたと考えるならば、少なくとも初期段階で論法が似通っているはずだけど。似たようにできるはずなのに、なぜそのようにやらないのか?まあだいたいの原因はわかるのだけれど。

まず、“自然な拡張”になっていない。発生段階ですでに意識が違う。線形代数は連立1次方程式に関して生まれたのでしょうが一方、函数解析は積分方程式が原点。後者が前者の無限次元版である、というのはどうも結果論らしい。

もう1つ、線形代数においては作用素が行列であり、それはベクトルに作用する。函数解析ではもっと抽象的なものを扱うが、応用上の見地から言うともっとも重要な作用素は微分と積分であり、それらは函数に作用する。微積とか函数とかが現れる時点で解析学とは切っても切れないのである。

個人的には、あくまで線形代数の拡張という立場で議論をしてみたいです。まず、単純にベクトルを無限次元にする。

x = (x1,x2,x3, ・・・)

これを線形代数的な議論の仕方で研究し、少しずつ範囲を広げていけないだろうか。

函数解析的な議論の仕方をすると、上のベクトルはヒルベルト空間と同じ構造をもっている。どういうことかと言うと、ある種の性質のよい函数は適当な基底をとって級数展開できる。例えばフーリエ展開すると

f(x) = a1 sin x + a_2 sin 2x + a3 sin 3x + ・・・

といった具合に。ここでの基底は sin kx で、これを固定しておけば

f(x) = (a1,a2,a3, ・・・)

と書いてもよい。係数 a たちだけからもとの函数が復元できるからである。ここで、無限次元のベクトルが現れる。

このように級数展開できる函数の集合は特別性質のよいもので、函数解析で扱う対象の中の一部でしかないから、無限次元だからといって単純にベクトルの要素を無限に増やしただけでは不十分らしいのよね。しかしそれはここからなんらかの手法で議論を拡張していけばよくて、やはり線形代数の立場から議論をスタートしたい。

どうやら最近、任意の作用素が行列でよく近似できることが分かってきているらしい。よく分からないけど、ワイエルシュトラスの近似定理みたいなもんかな(連続函数(あるいは任意の超函数)は多項式でいくらでも近似できる)。

函数にはいろいろあるが、多項式の時点ですでに十分に難しい。多項式が主役となる分野が環論や代数多様体であり、今でも精力的に研究されている。他の函数が多項式で近似できるのだから、多項式のことがよく分かれば他の函数のこともよく分かる(かもしれない)。それと同様に、行列のことがよく分かれば任意の作用素のことがよく分かる、というわけである。

だからみんな、行列に帰ろう!

人は、考えている事のいったいどれだけを言葉に出来て、そのうちのどれだけを相手に分かってもらえるのだろう。家庭教師をしているのだが、僕は気に入っているし、向こうも僕の講義に満足しているだろう、と思っていた子が、あきらめ気味になってしまった。

数学の成績ってどうやったら上がるのかな。僕は、自分1人でひたすら考えていた。Z会の添削問題など1つの問題に1週間かけることもあった。それで、気持ち悪いくらい成績は伸びた。もちろん人によって最善の方法は違ってくるとは思うが、やはり一線を超えたければ、この方法しかないと、今でも堅く信じている。僕は常々生徒にそれを伝えていたし、実際に実行していた。質問する前にひたすら自分で考えろ、と言った。でも生徒は、質問するために僕を指名してるんだよなあ。向こうは、僕に冷たくされたように感じたのかもしれない。

結局、一番大事なことは伝わらなかった。受験のためじゃなくて、もっと自由に、のびのびと勉強を楽しんでほしかった。といっても今日入試だったわけだが・・・。

つーか日記書くのめんどくせえし、おめえらも読んでんじゃねえよ。この暇人どもが!

今朝、添付ファイル付き、あやしいタイトルの、いかにもウイルスちっくなメールが来ました。

もうこれでもかと言うくらいにウイルスです。みきまろがカツラであることくらいあからさまにウイルスです。

この手のやつは、いつも閲覧せずにポイ捨てしてます。

でもね、今回のは、送り主のアドレスが以前いろいろ手ほどきをしてくださった某大の先生なんです。

 

ああ・・・「うちで助手でもやらないか」とか「うちにぜひ入ってくれ」いう内容だったらどうしよう・・・

でも明らかにウイルスなんだよな・・・

でも「このウイルスくらい撃退できないようならばうちで助手をやる資格はないね」とかいう内容だったらどうしよう・・・

ぬお~!!!! これが葛藤というやつか!!!

 

 

 

 

 

で、開いたらPCで眠っていたNOD君が騒ぎ出しました。
いや、もちろん駆除しました。

つい先日、なんかのテレビ番組で、0/0=0 なんてことを言っちゃったらしいね。テレビほとんど見ないから別にいいけどね。

Web上の至るところで 「0/0=0 は間違っている!」と間違った説明を偉そうに解説するドドリアの部下くらいの戦闘力しかない雑魚もとい人々がいますね。

いくつか見たけど、ぶっちゃけ全部怪しかった。完全な解説は割愛しますが他のサイトの怪しいところを少し挙げておきます。

まず、割り算についてウンチク垂れたかったら割り算の定義くらい確認しとけ、と。おまえら直感で議論しすぎだし、出発地点あいまいすぎ。もうひとつ、自明な体上では0/0=0は正しいです!!ここで体(たい)って何?って思った香具師は割り算について語る権利なし。体の定義は足し算と掛け算が定義されていて

a+b=b+a・・・(1)

(a+b)+c=a+(b+c)・・・(2)

a+0=0+a=a・・・(3)

ab=ba・・・(4)

a-a=0・・・(5)

a*1=1*a=a・・・(6)

a(b+c)=ab+ac・・・(7)

(ab)c=a(bc)・・・(8)

a*(1/a)=1・・・(9)

上記(1)~(9)式を満たす集合のことです。

 

↓以下、他サイトで多かった解説。

 

1゚ x / y = z より x = z×y なので、ここで x = y = 0 とおくと 0=z×0、これを満たす z は任意なので解は不定、よって 0/0 は解なし。(サイトによっては「よって未定義」)

0/0 が存在しないことを示したいのでしょう?存在しないはずなのに x=y=0 を代入するってことは 0/0 が存在すると仮定して矛盾を導きたいんだろ?で、どこで矛盾が出たわけ?

z はなんでもいいんだろ?じゃあ 0/0 = 0 も解のひとつだろ?「(x-1)(x-2)=0 の解は x=1,2 、よって解は不定(あるいはこの2次方程式は未定義)」なの??

だいたい、「 x / y = z より x = z×y」は証明しないのか?それともこの式は勝手に定義したのか?

「任意の数が答えだからこれは意味をなさない」と書いてあるサイトも多く見うけられました。0*a = 0 は任意の a について成り立ちますが、この式は意味をなさないのでしょうかね。

 

2゚ よう分からんけど計算できんので未定義では?

一番好印象です。間違った証明で自己満にひたるくらいなら正しい結果(未定義)だけ知っておく方がまし。「解は任意、不定」とかは問題外だね。(まあ適当な公理系から出発すれば「解は任意」が証明できるかもしれんけど、それならその公理系を明示しないとはなしにならんわ)

 

3゚ 「0で割ったらいけない」というのが定義です。

これも好印象。教育的にはこういってしまうのが一番いいと思いますが、体論の公理系から出発すると、「0で割ってはいけない」は定義ではなく証明可能な命題です。しかし体論にこだわる必要なはく、数学では何をどう定義しようが勝手なので、「0で割ってはいけない」を定義にしてしまっても別に間違っているわけではありません。ただしその場合は、100年以上かけて作られてきた体論の様々な定理は使えるとは限らないので注意。要するに、自分の国を作って自分の法律を勝手に作ってもいいけど、そんときは日本の法律はあなたには適用されないから注意してね、ってことです。腹立ったのは、「“0で割ってはいけない”と定義するのは議論を初めから放棄している」と批判しているサイトがあったことです。おまえは“0”の存在を定義せずに自分で証明できるのか、と小一時間(ry

あと、ゲーデルの不完全性定理を引き合いにだして「0で割ってはいけないことが数学的に証明されたわけではない」と書いてるものもありました。あのね、公理系をきちんと設定すれば証明できるんだよ。それを“数学的に証明された”と言うんだよ。証明できないのは、「異なる公理系から出発して異なる結果を得たとき、どちらが正しいか?」ってことだよ。しかもこの人、自分の間違った解説が「他のサイトにパクられた」って文句言ってんの。もうね(ry

 

4゚ x/0 が定義できないことの証明がありますが、0/0 については議論されていないようです

x に 0 を代入しろ!!!!!!

 

「0で割る」ことのような素朴なことは案外証明が難しかったりするし、実際この場合は難しいけど、いくつか見たサイトの管理人、数学科の人が結構多いんだよね・・・何を勉強してんだか。本当は体論を知っているが、一般向けに適当な解説をしたものもあるとは思いますが。。

つ゚◇゚)つぉぉっ!勘違いしてたw

(1)に対しては(2)が級数解になっている、つまり解がλに関して解析的になっていてλを十分小さく取れば(2)は収束するんだけど、(3)に対しては(2)は解そのものではなくて解の漸近級数、すなわち収束は保証されていないけど級数を有限で打ち切ってλを十分小さく取ると解をよく近似するものなんだな。だから収束が証明できないのはまあ当然だったわけだ。

実につまらん休日の過ごし方だと思われてるな・・・○| ̄|_

物理ではφを未知関数、K、f を既知関数、λをパラメータとする積分方程式

φ(x) =λ∫K(x y)φ(y)dy + f(x) ・・・(1)

よく現れます。これはフレドホルムの積分方程式とかボルテラの積分方程式とか呼ばれていて昔からよく研究されていて、右辺の積分作用素のタイプによって様々な解法が存在し、大抵の場合はλが十分小さければ解をλのべき級数

φ=Σλ^n φn ・・・(2)

として求めることができます。微積程度の知識しか要求しない古典的な方法については

寺沢寛一「数学概論」(岩波)

を参照。もうちょっと高度な方法としては右辺の積分作用素をノイマン級数に展開したり、自己共役かつコンパクトならヒルベルト・シュミット展開したりできます。積分核Kが K(x-y) という形をしているときは右辺の積分作用素が合成積ですから超函数の空間上に合成積の代数を入れて解くこともできます。とにかく状況に応じていろんな扱い方があるということです。

Dを微分作用素、Lを積分作用素として

λDφ = Lφ ・・・(3)

こんな感じ。

函数解析をやったことある人なら分かると思うけど、積分作用素が比較的扱いやすいのに比べて微分作用素ってのは結構いやらしいんです。俺も結構いやらしいけど、こいつはもっといやらしいんです。いや、やっぱ同じくらいかな?(微分作用素は非有界だからノルムで抑えられない。複素領域にもっていって解析函数のクラスで議論すると有界になるという話もあるにはあるけど。)

さらにλが左辺についてるともうどうしようもないんです。もちろん右辺にもっていけば(1)のλを1/λで置き換えたものによく似てるから1/λで展開できることを示すのは割と簡単なんだけど、今はλで展開したいわけね。(2)を(3)に代入してλのべきで両辺を比較すると

Dφn-1 = Lφn  ・・・(4)

こうなります。λが左辺についてたせいで、左辺のほうが次数が低くなってます。こいつが悪の元凶。どういうことかというと、(2)が収束する事を示すための常套手段として

||φm|| / ||φm-1|| < C (C∈R) ・・・(5)

を示したいんです。そうすればλが十分小さければ級数(2)の隣り合う項の比が1より小さくなるからノルム収束が言えるわけ。もし(3)でλが右辺についてたら(4)は

Dφn = Lφn-1

こうなるから、ノルムをとって

||Dφn|| = || Lφn-1|| ||L||・ ||φn-1||

あとはノルムをうまくとって左辺を下から C ||φn|| で抑えるか、その気になればラプラス変換の類で微分作用素を消しちゃえば(5)が得られます。ところが(4)の場合だと左辺の微分作用素を上から抑えて右辺の積分作用素を下から抑えないといけない。

C1 ||φn-1|| ≧ ||Dφn-1|| = || Lφn|| ≧ C2 ||φn||

これってどっちも無理なのよね。微分作用素は非有界だし、右辺の積分作用素は今の場合は自己共役かつコンパクトで、このような作用素の固有値は0に集積していることが分かっている。だからφとして固有関数を選ぶと k を固有値として

(φ, Lφ) = (φ, kφ) = k ||φ||^2

一方シュワルツの不等式から (φ, Lφ) ≦ ||Lφ|| ||φ|| だから

||Lφ|| ≧k ||φ||

が言える。ところが固有値kはいくらでも0に近づけられるから下から抑えられないのです。

というわけで誰か、助けてください。