物は考えよう。って言葉を痛感する今日この頃。 | まったりいこうよぱんだだし。

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マイペースなもかの日常。


物は考えよう

昨年末くらいの私が聞いたら全力で「はぁ?喧嘩売ってんの?」って思わず言いたくなると思う。

それくらい昨年末くらいの私は心が荒んでた。
_(-ω-`_)⌒)_

仕事におわれて頭の中も心の中もいっぱいいっぱいになりながら、上司からモラハラ受けながら、手のひらコロコロ変える同僚に振り回され、自分のことしか考えていない人達の発言に腹を立てて、全部自分で抱えて、体調を崩して高熱が2ヶ月間くらい下がらなかった。

それでも私は毎日解熱剤を飲んで
毎晩毎朝冷えピタをして仕事に行った。

同僚はあまり心配してくれなかった。
「大袈裟だな」「え?そうだったの?」
気づいてない人さえいた。
想定内だったから全然気にはならなかったけど。

でも、あの頃の自分は今よりもきっと人相悪かったというか、顔が死んでたと思う。

時はすぎてコロナが日本にも入ってきて
私たちは今まで通りの生活が出来なくなった。
仕事は残業出来ない。行事は減って、通常のルーティンの仕事をこなす毎日になった。

でも別に仕事は激減したとは思ってない。
やることはあるし、私の仕事は事務的なことも対人なこともあるので、むしろ無駄と言うほど山のようにあった対人の仕事を切り捨てる事ができた。そんな感覚。

おかげで落ち着いて、体調を崩すことも無く、「楽しい」「嬉しい」と思う余裕さえでてきた。
休日といえば引きこもって起き上がりたくない自分から、平日空いてる時間なら散歩に行けるぞ!美味しいもの食べるぞ!と思えるまでになった。

確かに人と会うことが減って、ライブとか行けるのも減って、悲しいことも沢山あるけれど、元々人との接点0だった(職場関係の人間関係しかない上に、職場関係の人とご飯に行くことさえ嫌なくらい嫌悪していた)私が、誰か人と繋がりたいと思え、繋がってる事に喜びを感じ、他部署の人とソーシャルディスタンスを大事にしつつご飯に行ける位の余裕が出てきた。

リモートで人と繋がったり、誰かと電話したり、それが家族であっても友達であっても、人と繋がれる関われる事に喜びを感じれるようになったのは、本当にコロナのおかげだと私は思ってる。

ある意味今の仕事はあってないんだと教えてもらったような気さえする。
自分の人生1度きりだし、自分が幸せであり、その幸せを周りに分けてあげれる自分になれる。そんな人生を送りたいなと改めて感じさせられる今日この頃。(๑′ᴗ‵๑)

自分自身過去にいじめとかで、うざい、消えろって言われたことあるけれど、そんなこと言ったって、無くなることは出来ないし、負の感情しか生まないなって今なら思える。

だからこそ私は、コロナに対して「撲滅!」「無くなれ!」という気持ちよりも、いつかコロナが人に嫌われない「人の体にいい影響のある菌として変異」する日を願って、その日まで私は、引き続き手洗いうがいの対策をしつつ、感染しないようにコロナと共存していきたいなって思ってる。