今日、お盆休みなのか、
親子でどこかに出かける様子をよくみかけた。
おれも、
年齢の話だけすると、
「連れて行ってもらう年齢」から、「連れて行ってあげる年齢」になってる。
あまり記憶にないが、
在りし日は、父や、妹もいた。
今では困窮して金をせびりに家の駐車場で待ち伏せする叔父に、ある意味笑うだけだ。
「家庭」というものは、ある種の奇跡のようにも思う。
大げさでなく。
二人の男女が幸運にも知り合い、愛し合い、新たな命が誕生する。
それらは決して、お金で買えるものではない。
お金がなくても、人は幸せになれるし、
お金が人の「生活」を創ることはあっても、実はそこまで人の笑顔とは直結していない。
しかしながら娼婦は、そんな金のため、初対面の老人のナニを、会って5分後には口元へやるのだから、世の中とはなんとも滑稽だ。
おれは、
愛が欲しかった。
金で買ってでも。
しかし金で買った愛など実のところ1円の価値もないのだから、また涙はこぼれる。
人より、多くの悲しみで人生を埋め尽くしてきた。
しかしまるで砂時計のように、ためてもためても、砂は下の段へと落ちて行ってしまう。
失ったものはもう戻らない。
問題はそこではなく、
今後も、自分の1度の人生を"また"悲しみで埋め尽くす予感がするところ。
さて、今日のサングラスはどれにする?
ミラーレンズなんていいかも。