昨日、

話した友達に

責められてる気がしたんだよね、

っていうのを話して

 

そんなつもりなかった、純粋な好奇心だった

と言われ

ですよね〜。となった。

 

 

結局、私がもやっとしてたのは

友達の言葉という蓑を被った

自分自身に対してでしたので。

 

それがわかって、どうしてかという

とこまで掘り下げられて

よかった。

このまま、もやもやしてたままだったら

その子のこと嫌いになってたわと

本気で思うし、

 

 

そのままを伝えた。

 

 

あんなこと言われて

責められて、

っていうのをそのまま嫌いに

結びつけるのではなくて

 

そこでもやっとしたことに

蓋をすることで

見なかったこと、なかったことにして

我慢を気づかずにして

それを溜め込んでいく・・・

 

 

というプロセスが

なんと

手に取るようにみえてしまった

 

 

過去、やってきてるからな。

 

 

 

で、好きが嫌いに

信頼は不信になっていく・・・

 

 

誰へのって、

最終的には

これ自分へのだよね。

 

 

うん、でもここは体感ないので

頭の中の理解だけです。

 

 

でね。

友達に

それって怖いね〜、迂闊に物言えない

って返されて。

 

 

まあ、でもさ

それで嫌いになって離れていく相手だったら

それまでだよね

ともおもったわけ。

 

明らかに悪意を込めて言った、とかじゃない時の

言葉の受け止め方って相手次第で

それを発信する側に責任転換されて

勝手にドラマチックにされてもね・・・

 

 

なんもいえねぇ

 

ってなる。

 

 

もっと自己対話したらどうだろうかと。

 

それでも私を、発信者を好きだったり

信頼があったら

色々考え方を模索するか

聞いてくるよね

どういうつもりで言ったのか?って。

 

 

 

なんのために?

自分のために。

 

 

全部、自分のためなんだと思う。