レイシズム | 無明の人類史

無明の人類史

迷妄と愚行、惨劇と狂乱の人類史叙述に関する構想メモ

レイシズム(racism)は、日本語で「人種主義」と訳される。

だが、この訳語には大いに疑問。

 

まず、「人種」と言うと、生物学的な人種、白人、黒人、黄色人種などを指す印象になる。

しかし、もともとのレイシズムの意義には、狭義の人種だけでなく、出自や民族に基づく差別も含む。

 

だから、日本人が日本には人種差別がない、などというのはまったくの間違い。部落差別やアイヌ差別、韓国人差別や中国人差別も当然レイシズムにあたるし、そういう意味では、日本の社会にも悪質なレイシズムが蔓延している。

むしろ、日本ほどレイシズムの病理に侵されている国はない、と言ってもよいくらい。

 

日本で韓国人や中国人、さらには最近国内に増えてきた東南アジアの人々に対する差別があるのは、アジアにおける先進国としての優越感、人種的に近い黄色人種でありながら、他国を侮蔑、見下して自分たちは彼らとは違うという選民意識があるから。

これは、欧米諸国や白人に対する劣等感の裏返し。見下される被差別意識、被害者感情の埋め合わせとして、他国や他民族をスケープゴートにしようという、情けなく醜く卑しい根性。白人に近い自分たちの方がすごい、という情けないプライド誇示。

他方で、欧米先進国に対する批判や潜在的な嫉妬、怨恨も根深いものがある。19世紀から20世紀にかけての欧米列強の帝国主義に対する非難となると、一転、図々しく、自分たちもアジア・アフリカ諸国と同じ被害者面をする厚かましさ。

これこそ、まさにレイシズムの権化。

RACE、あるいは自分たちの「日本人」というアイデンティティーと他人種や他民族に対する対抗意識・差別意識・排外意識への異常な執着。

 

イズム(ism)を「主義」と訳すのもまた誤り。

潜在的なアイデンティティーへの拘泥を含めてのレイシズムであり、思想・信条としての意識的な「主義」だけが問題なのではない。

 

レイシズムを人種主義と訳すこと自体が、言葉のマジックにより、自分たちのアイデンティティーへの執着を糊塗しようという姑息なやり口。

 

最近、外来語(カタカナ言葉)を乱用するなとか、できるだけ日本語(やまとことば・漢語)を使うべきとか、そういう言語国粋主義が声高に主張される傾向が見受けられるが、このような風潮にこそ国家・民族アイデンティティーに基づくレイシズムが露見している。

 

レイシズムは、日本語に訳せないし、訳すべきでもない。

レイシズムは、レイシズム。

言葉の使い方、言葉との関係の見直しこそ、迷妄と愚行、欺瞞に満ちた言説からの脱却の第一歩だ。