世田谷にて

カサンドラの自助会を開催してます


少人数で開催している自助会です

大人数で開催しているところをご希望の方は

別のところへのご参加をオススメします


ボランティア団体の主催です

セラピーや個別指導への勧誘はありません

その点はご安心ください。


でもカウンセリングや病院への受診相談は

都内で長く働いてきた看護職なので

寄り添いご相談にのれるのではと思います


前置きが長くなりましたが

本日のタイトルは

【判断基準は自分に必要か、必要でないか】



タイトルを書いていて思うのですが


誰だって判断基準は自分軸でいい

これって

当たり前なことなんです



自分に必要ないことは

必要ないんです



当たり前ですよね


んーーーー


カサンドラ家では

この常識は

どこまで通用するのでしょうか





成人で、ご家族のいるみなさん




1日の生活の中で

あなたにとって

【必要なこと】はいくつあるでしょうか



ここでいう

【あなた】というのは、

家族の役割を考えない

あなた自身です



丸裸になったところで

あなたにとって必要のないことを

1日にどのくらいやっているでしょうか



ただし

生きていくために必要な

自分の衣食住、金銭を得るための活動は別です




発達障がいの特性のある方の中に



必要のないことはやらない、人がいます



例えば

小学生の子どものいるカサンドラ家


子どもが学校生活を送る上での世話は

親がすべきです


でも

子どものお世話って



他の誰かがやれば

やらなくて済むことだから


お世話好きなら

積極的にやるかもしれませんが


基本、やらないかもしれません

無意識でやってないのかもしれません



仕事に行かなきゃとか

帰ってきたらゲームがしたい

マンガがみたいとか

映画がみたいとか


自分にとって必要なことがあると



子どもや家族のことなんて


いるか、いないかも気にしないくらいです



【あ、いたんだ】的な感じ



子どものごはんは?

学校の手紙は?

学校の宿題は?

(最近の学校は親がチェックします)



それは

誰かがやってくれたら

やらなくていいこと、になります



だって自分の生活には

何も必要ではないから



多くの子どものいるご家庭では

カサンドラさんがワンオペ育児をしています





お腹が空くと

【ごはんは?】と聞いてきますが

自分が必要のない時は話しかけてもきません



一緒に住んでる意味があるのかなぁ

とカサンドラさんは悲しくなります



カサンドラさんも自分軸で生きていいと

カウンセリングに行くと言われるらしいけど



なら子どもの世話はどうするの?



カウンセリングに行くのが

イヤになるといいます



カサンドラさんが


病気の時も

忙しい時も


相手は

自分軸で生きてるから


【あー大変だね】とスーっもいなくなる


邪魔しないようにいなくなるという人もいます


忙しい時は手伝ってほしい

病気の時は助けてほしい




と思われるても



必要だなスイッチが入るまで無理かもね