カサンドラさんとお話をしていると

「カウンセリング」「心療内科」「精神科」の受診歴がある方に出会います。

 

生活がぐちゃぐちゃになっているカサンドラさん

自信を失って藁にもすがりたい気持ちで色々なところにヘルプを求めてる

「これって共依存でしょうか」

「こういうことをしているから共依存になるんでしょうか」

「私の接し方が悪くて共依存になっているんでしょうか」

「私の生育歴から共依存になりやすいんでしょうか」

 

 

と「共依存」という言葉がよくでてきます

 

カサンドラさんたちは

カウンセラーやメンタル系の専門家に言われると訴えます

「あなたが共依存になっているから

カサンドラ的な関係が続いている」と。

 

 

Wikipediaによると

「共依存者は、

相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、

そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、

自身の心の平穏を保とうとする」と書いてある

 

 

一方で

子どもに発達障害があったり

夫が発達障害で二次障害を発症したりすると

「障害を理解してあげて」「苦手・こだわりを理解してあげて」といわれます

 

また、「障害を理解」「苦手を理解」して無理強いをさせない

できたことは認めてあげるーそれが平均的なレベルに達していなくても

 

相反する内容をカサンドラが背負っていると私は思う

 

 

発達の専門家でもないし、メンタルの専門家でもないカサンドラ

ワンオペで日常を忙しくしているカサンドラ

他者に興味関心が薄い発達障害の方の傍らにいると

カサンドラの疲労や疲弊は理解し支えてもらえることは少ない

 

 

だけど、カサンドラは

家庭内(職場)にいる発達障害の人の「障害の理解」やら「苦手の理解」をしつつ

自分の与えられた仕事をこなす。

 

でも一方で発達障害の人と依存的な関係にならないよう注意しつつ

子どもの発育を促し、苦手が克服できるよう注意し、

かつ勉強、生活面にも気を配らなくてはならない

 

 

そんなことって両立するんだろうか

 

専門家の方に教えてほしい

 

 

発達障害の方にある

「かんしゃくもち」

「こだわりがつよい」

「落ち着きがない」

「衝動的」

「暴言や攻撃」

「奇異な行動」

「泣きやまない」

特性はグラデーションだから、人によって程度はかなり違うけど

 

そんな人が自分の傍らにいる状態で

冷静な判断力が働き、行動できるのか

 

 

「共依存」という言葉をカサンドラに向けないでほしいなと思う

その言葉によって悩んでいる人が少なからずいることを知ってもらいたいな