今日、ホロコーストとアンネ・フランクの写真展に行ってきました。


          


アンネの日記とかは聞く物のいまいちよく分かりませんでした。


いろんな写真を見ているととても悲惨な出来事だった事を痛感させられました。


         ホロコースト


狭義・・・・ナチ党政権下のドイツ及びその領地域において


ユダヤ人、シンティ・ロマ人、エホバの証人などに対して


組織的に行われてた絶滅計画を示す事。


        アウシュビッツ強制収容所


最大の惨劇が行われた場所。ヨーロッパ各地より130万人が


運び入れられ110万人が殺害された。


そのうち100万人がユダヤ人であったそうです。


        S・S Suhutz-staffel 親衛隊


国家社会主義ドイツ労働党。ヒトラーを護衛する党内組織


        収容所での暮らし


貨車に乗せられ到着するとSS将校、SS医師らに働ける者。


働けない者(妊婦、幼児、老人、病人に選択し働けないと


認定されるとガス室に送られたそうである。


働けると認定された者は荷物をを取り上げられ髪を切られ写真を


撮られた。住環境はは劣悪であったそうで、50人用の部屋に


200人で通常仕様。多い時で男女合わせて


100000人が収容されていたそうです。


        ガス室 焼却炉


ガス室は到着したばかりの働けない者又SSの気分次第で


軽い規則違反を行った者も送られたそうである。


ガス室に送られた人々は脱衣所で全裸にされSS指導の下


ガス室に入れられ鍵をかけられ室内上の穴から


       チクロンB



   

第二次世界大戦中に使用されたドイツの殺虫剤の商標


ナチスドイツによって強制収容所のガス室で使用された毒ガス。


が散布されたそうである。


ガス室で殺された人々は遺体を焼く焼却炉に運ばれ、これは囚人の


仕事であったそうである。


遺体の灰は肥料として仕様されたそうである。


しかし、ガス室で殺害されたという人々の痕跡は見つからず、


病死した人々の痕跡は明らかになっている。


ヒトラーの用意周到な計画だったと思われる。


       アンネ・フランク


ドイツ系ユダヤ人。ナチスドイツによるユダヤ人迫害を恐れオランダに移住。


アムステルダムの隠れ家に2年に及ぶ潜行生活。1942年、7月6日。


1944年ゲシュタポにより捕まり強制収容所に連行。1945年3月12日


チフスによって命を落としたそうです。


隠れ家での生活を闊達な筆致で描写した日記が出版され


世界的ベストセラーになった。



              クリックして下さい。


父親から日記帳をかってもらってから書き出したそうです。


直筆の手紙です。


    

 アンネの形見の薔薇。


アンネの言葉・・・・私は、偉くなりたいのです。何か心を打ち込んで出来る


仕事を持ちたいと思います。死後も生きているような仕事をしたいのです。


この意味で神様が私は文章を書き自分の心を表現し、自分を発展させていく


才能を与えて下さったと感謝します。


       犠牲者の数


出身地域のユダヤ人、犠牲者の数。


ドイツ・・・165000  オーストリア・・・65000  


フランス及びベルギー・・・32000  オーストリア・・・10000


ギリシャ・・・60000  ユーゴスラビア・・・60000


チェコ・・・140000  ハンガリー・・・500000


ソ連・・・2200000  ポーランド・・・2700000


シンティ・ロマ人・・・250000  同性愛者・・・10000~25000


精神障害、重病人20000~30000  エホバの証人・・・10000


合計すると1100万人。ユダヤ人600万人。非ユダヤ人500万人。


戦争の悲劇絶対あってはならない事だと痛感させられました。