関西テレビローカルで、
「ザ・ドキュメント 学校の正解
〜コロナに揺れた夏〜」
「君らが主役」
「学校は劇的に変わる」
「ことしはチャンス」
そんな映像と校長先生の言葉から
始まったドキュメンタリー。
私が住んでいる町の中学校の話しで、
息子は同じ市内の別の中学校に通う。
ドキュメンタリーに惹かれて、
何気なくつけたテレビでしたが、
一気にTVの世界の中に引き込まれました。
池田市と言ってもピンとこない方も、
NHK連続テレビ小説 「まんぷく」
の舞台となった市で、
チキンラーメン発祥の地
とお伝えすると、
イメージが湧きやすいのではないかと思います。
ドキュメンタリーの内容は、
コロナ禍における揺れる先生たちと、
生徒の姿をありのままをうつしていました。
学校が休校となり、
朝食を食べられず、
給食を頼りにしている子もいる。
学校の再開は、何度も延期され、
教師たちは、予定をたてることが、
出来ない日々が続いていたことを、
TVによって知ることが出来た。
コロナの感染者の減少により、
連休があけ、家庭訪問をして、
2ヵ月ぶりに、生徒と会い
生徒の気持ちを聞く先生の姿。
戸惑いを感じている子や、
生活習慣が変わった生徒もいた。
ドキュメンタリーの内容は、
中学2年の学年主任先生を主役に、
2年生の教師チーム、
音楽の先生を中心に撮影。
大阪府では、
6月1日から分散登校が始まりました。
分散登校が始まる前に、
2年生の教師チームで、
コロナに対する恐怖心をぬぐうために
どんな授業を行うか?
話し合いが行われましたが、
知識だけでは、
恐怖心をぬぐうことは、難しい〜
とナレーションで結ばれていました。
6月1日、分散登校が始まり、
学年主任の先生は、
最初の授業で、
コロナについて、取り上げていました。
過剰な恐怖心が、
偏見や差別につながる危険性を
生徒たちも気にしていたからです。
「人が人を攻撃し始める」
「大丈夫〜?」
と言う言葉ではなく、
「おまえのせいや」
「こういうことが原因や」
「あいつに近づいたらあかん」
が話題になったことに、
先生は悲しく感じたこと、
そして、自分の言動や、行動によって、
誰かを辛い思いにさせてしまったり、
逆に、そういった行動を受けて、
辛いを思いを受けないように、
「加害者」にも「被害者」に
なって欲しくないと言う
先生の決意が語られていました。
場面が変わって、
音楽の授業では、
リコーダーも合唱も禁止されている。
その中で、
どういった授業を行っていくか?
登校が始まった際、
昼食後の歯磨きについて、どうするか?
そして、
感染リスクが高い、
机の拭き掃除や、トイレ掃除は、
先生が行う。
保護者からは、
見えない視点を報道していました。
6月15日
大阪府下では、感染者ゼロが続き
分散登校もなくなり、
通常授業が始まりました。
校長先生が兼ねてから計画していた、
学校改革がスタート!
・全員担任制
まず、学年の先生がチームとして、
生徒に向き合う
全員担任制を導入。
クラス担任をおかず、
生徒は、面談する先生を自分で選びます。
学級代表を始め、
役割は全て、生徒が自ら担います。
生徒によるクラス作りをするため。
校長先生は、
「学校とはこうあるべき」
「でも社会とは、完全に乖離している」
「それを信じこんで、守らせることが、
教師の仕事だと思い込んでいる」
そこを変えるために生まれた改革。
教師と先生の関係を変えることで、
生徒たちの、自立を促すことを目指す改革。
校長先生は、生徒に、
「君らが主役」
「その為には、覚悟がいります」
今年から増えていく言葉として、
「頼むわ」
「任せた」
「どう思う?」
「どうしたいの?」
「自分たちで解決したら?」
「それで?」
「誰のクラスなん?」
「誰が悪いん?」
と先生からの投げかけが、
どんどん返ってくると思います。
生徒も、先生も関係なく、
自分が当事者となって、
中学校の新しい文化を作って行こうと、
全校集会で、生徒に投げかけていました。
場面が変わり、
クラブが始まって、
コンクールに向けて、
猛練習をしているはずだった、吹奏楽部。
部員同士で、音合わせが出来なくなった。
3年生の引退をどうやってするか?
目標がなくなった3年生。
音楽の授業では、
リコーダーを吹く生徒と、
感染を恐れ、マスクを外せない生徒。
正解はなく、
生徒の気持ちを尊重する、
新しい授業のありかた。
コロナ禍における、新しい接し方、
全員担任制における、
授業の対応への変化。
戸惑いや、どうしたら良いのか?
先生たちのありのままの姿がうつっていました。
そして、10日 間しかなかった
短い夏休みが終わり、
懸案だった体育祭の実施が
市教育委員会から許可され、
校長先生は、
企画から、運営までの全てを、
生徒に任せることにしました。
先生が疑問を思っていたことを口にした。
「体育祭を通して、私たちが子どもに
どんな力をつけたいか?
との話しあいが、 ほんまは、
したいなぁと思っています。
じゃないと子どもの意見だけで、
決めていくのではないかと思うんですけど〜
、、、」
その質問に際して校長先生は、
「多分子どもの力って、本気だしたら、
僕らが考えている以上の力を絶対に
発揮すると思う。
つけさせたい力って言うよりは、
うちから湧いてくる、
僕たちが想像すら出来ないことを、
子どもは、起こすと思う」
託したのは、3年生を中心とした生徒会。
休校あけの受験生には、
重たすぎる問題。
3年生にとって、受験なので、
勉強もしたい、最後の部活もしたい、
コロナによる変化もある。
生徒会は、全校から実行委員会を募り、
「誰も取り残さない体育祭」
について、何度も話し合いを実施。
そんな中、
大阪府で、新型コロナの感染率が増加。
市教育委員会から活動レベルを、
再び厳しくするように通知。
給食は、席を動かさず、
前を向いて食べるように求められています。
前を向いているのに、
マスクをはずせない生徒。
マスクを外すと不安になる生徒。
マスクをつけたくない生徒。
全ての生徒をみたいと言う気持ちが、
教師の負担を重くしていました。
もっとも感染者数が多かった8月
熱中症の搬送が増えたり、
気温が高くなり、
マスクを外す指示が出るけれど、
全員がつける、全員が外すのでない。
2ヵ月前におもっていた正解が、
今は正解ではないと思うこともあるし、
まだ途中なんだと思うこともあったりして、
何となく、こう言うのが、
正解なんかと浮かんでは消え、
浮かんでは消え・・・
これをいつまで続けて、
いつから受け入れて、
いつから考えなくなるんだろう、、、。
正解がない、今はまだ見えない、
先生の言葉が印象的でした。
このコロナの暑い中、
クラブをさせている、苦情の電話、
体育祭を全校生徒でできるのか?
暑いから、マスクを外しなさい。
でも、外すしたらダメです。
感染したらダメです。
本当にどうしたら良いかわからない。
クラブを頑張らせてあげたい。
熱中症、心配やから、
マスクをはずせと言ったら、
コロナがでてくる。
次から次へと出てくるから、
すごくしんどい、、、
マスクをしない生徒が、
ええやん暑いし、どうせコロナうつらん
って返された時に、
どうしたら良いかわからない、、、
見てみぬふりをしているような
ところもあるし、
そうやって、
切り捨てないとやっていけないような
ところもあるし、
でも、
切り捨ててるところにも辛いことがある。
難しいね、、、
と先生が下を向き、
頭を抱える姿がうつしだされていた。
そんな中、
ほぼ毎日体育祭の準備に追われたきた
生徒会が体育祭をする決意をしました。
出された問題は、コロナの時代に、
誰も取り残されない運動会。
やってみて、
初めて気づいた体育祭の裏の舞台。
担い手は、教師から生徒たちへ。
学年主任の先生は、
「全然自分たちで出来るよ〜って感じですね。
先生がそんなに、声をださなくても、
僕たち、自分らでやれるで〜って言うのを、
すごく感じました。」
制約の中でやった全てが
生徒たちの答え
嫌になったこともあると思うけど、
やりきった生徒会本部。
やりきって、泣いていた子も。
「一回なくしたら、もしかしたら、
もう数年後、学校の体育祭が、
なくなっていたかもしれない。
だから、未来に繋げられてたん
じゃないかなぁと思います。
「これで、3年の行事を終わりでも
いいぐらい、楽しかった」
「いいように終われたし」
「変えることも、
悪いことじゃないなと思いました」
最後にナレーションで、
「今日だした正解に悔いはありません。
たとえ明日、不正解になったとしても」
4年前、池田市の教育フォーラムで、
客席の目が集まる舞台の上で、
小学校6年生の生徒たちが、
自分たちで、司会をして、
活発に意見をくみかわす。
先生は、生徒に委ねて、見守っている。
コーチングを学んだ先生が、
生徒と信じて、生徒を担い手とする
光景を見ました。
ドキュメンタリーの中学校の先生も、
教育フォーラムの小学校の先生も、
上からの立場ではなく、
横の立場で話しをしていた。
子どもを教える存在。
導く存在としてではなく、
1人の人間として関わっている姿が
印象的でした。
子どもを担い手として、
託してみるより、
大人や先生が担い手となり、
指示する方が、大人はやりやすい。
そして、時間もかからず、
失敗も少ない。
しかし、あえて子どもを信じて託してみる。
自身が主役となり、
自分で行動にうつすことにより、
自信や自己肯定感が
育まれるのではないかと思う。
私は子どもに対して、
どんな存在として見ているか?
自分で出来ると信じているか?
改めて自分に問いかけが始まった番組でした。







