真っ暗だった。


深みのある、飲み込まれそうな、闇であるとか

そんなものはよく解らないが。

ただ、全ての光は閉ざされた黒だった。


兎も角解っていることは、この真っ黒の視界が開けると

今日が始まるということ。


そして、今日もまた始まったということ。





小奇麗な町、活気あふれる商店街。

快活な声が響く大通り。

色とりどりのフルーツを売る簡単な作りの露店や、

空腹を促すトマトソースの香り。

世間話をする婦人、モルタデッラを勧める店主の顔には笑顔が浮かんでいる。


そんな大通りから、小路を一つ入ると、そこはスラムになっている。

大通りからの活気が小さく、物悲しく響く薄暗い道だ。

大人は酒に潰され、朝だろうが真昼間だろうが、道路で鼾をかいている。

子供は薄汚れた服を着て、カモはいないかと大通りを覗き見る。

ここはそんなスラムの、また下層。


埃っぽく、暗く、生臭い。

常にじっとりとした湿気がまとわりつき、肌寒い。

薬に溺れ、現実と幻覚の朧な奴。

借金にまみれて臓器でも抜かれたのか、

既に生気は失せ、かろうじて息だけをしている奴。

ガリガリで年すらわからない子供たち。

大人も子供もここには無く、服とも呼べない襤褸布を纏い残飯を漁る。

愛玩動物などいるはずも無く、動くものは食えるものか。

くすんだグレーの世界で、日々繰り返されるのは

争い、諍い、奪い合い。

殺しなど日常茶飯事で、死体がいくつ転がっていようが

誰も気にすることは無い。

罵声、悲鳴、そんなものはいつものBGMだ。

用済みの生き物、死体、全てここに捨てられる。

ここはダストボックスなのだろう。

ここでの命など、塵ほどに軽い。




目を覚まして毎日思うことには、

あぁ、まだ生きていた。

今日もまた生き延びなくては。



のそりと身体を起こす。

冷たくじっとりとした石畳は、既に馴染みすぎて不快感すら覚えない。

まだ日は昇っておらず、あたりはぼんやりとした光に照らされていた。

穴倉のような、建物の隙間から通りに這い出す。
目の前には吐瀉物にまみれながらうつぶせに倒れている女。
肩や背中がぴくりとも動かないのを見ると、息をしていないのだろう。
血が流れていないことから、きっと薬に溺れ、
使い道もなくなりここに捨てられたのだろう。
しかし、死因など何でもいいのだ。
何の感情もなく、女の死体に近づく。
月明かりに照らされたのは、小さな少年の姿。
真っ黒のフードをかぶり、ほとんどが闇に溶け込んでいたが、
唯一、フードからこぼれた黄緑色の髪の束だけが、光を反射していた。
少年は何か収穫物がないかと着ている服のポケットを弄る。
かさり、と手に当たる感触。
引き出してみれば、透明なビニールに入った白い粉、
わずかばかりの紙幣、コイン、銀紙にライター。
それだけ。
紙幣とコイン、ライターをポケットにねじ込む。
薬と銀紙はいらないのでその場に捨てた。
吐瀉物の上に落ちてしまったが、きっと昼には誰かが奪っているだろう。
彼女の服は白すぎて、身包みを剥ぐ気にはならなかったが、
黒いゴツ目のバッシュだけは気に入った。
その場に自分の穿いていた底の抜けかけた靴を置いて、
彼女から剥ぎ取ったバッシュを穿いた。
少年の足には少し大きい。
ぎゅう、ときつめに紐を結び、つま先を石畳で叩く。
それだけ終わらせると、興味を失って…
最初からいなかったかのように背を向けた。

身体が痛いのも、世界が歪んで見えるのもいつものことで、
この路地の腐った匂いも慣れ親しんだ。
これが普通で、これ以外なんて知らない。
ふらふらと歩く。今日はもう、いつものレストランは残飯を出しているだろうか。
早くしないと飯抜きになってしまう。

下層を抜けて、スラムに出た。
スラムを抜けて大通りに近い路地に入らなければ、店などあるはずもないのだ。
歩くたびにコン、ゴツ、とぶつかる音がする。
少年が抱えた長い棒だ。
外見から判断すると、13歳程度だろうか?
あまり栄養状態のよくなさそうな少年が持つには重く、長いものだ。
「げぇ、くせぇと思ったら下層の奴かよ。」
不意に少年に声がかけられる。
ちらり、と視線だけを向ければ、意地悪そうな笑みを浮かべた黒髪の少年が発したようだ。
体格を見るに15.6だろうか。
充実した生活を、とはいかないだろうが、それなりに快活な瞳。
頬には少し、赤みさえささっている。
少しウェーブした黒髪を帽子に押し込んでいるようだ。
くりくりとした髪を梳かし、あちこちにこびりついた汚れを落とし、
少しぼろくなった服をかえればあの大通りにいたっておかしくないのではないか。
「こっちまで出てきて何の用だ?穴倉に篭ってろよ。」
二言目を発されたところで興味が失せた。
フードの少年はその間も歩みを止めることはない。
「やめとけよロビィ、下層の奴らに構うなって。」
少し怯えたような声でロビィと呼ばれた少年を諌めたのは、
少し小柄な金髪の少年だった。
「無視すんなよ。」
しかしロビィはその忠告も聞かず、フードの少年の態度にいらつきを隠さない。
自分の話を全く気に止めない風の少年の肩を掴み、無理矢理に壁に押し付けた。
圧倒的な力の差。体重の差。
フードの少年はいともたやすく壁に貼り付けられる。
勢い余って強かに背中をぶつけたが、軽く息を吐いただけだった。
ロビィが顔をしかめて少年を睨む。
じろり、と顔から視線を動かしたところで、
「下層の癖にいい靴じゃねえか。また死体から奪ったのか。」
蔑むように言い捨てる。
「ちょうど、靴に穴が開きかけてたんだ。これ、くれねぇか。」
ニヤニヤとした表情から、これは貰うつもりでいるのではないと容易に知れた。
染み付いているのは奪い、奪われること。
フードの少年はロビィに視線を向けたまま、棒を振った。
シャー、と小気味のいい音がして黒い棒が伸びる。
いや、伸びたのではない。
現れたのは、鈍く輝く刀身。
日本刀だ。
カラン、と鞘の落ちた音がした。
ヒッ、と小さく息を呑んだのは金髪の少年だろう。
刀の切っ先は石畳を向いていて、ロビィはまだ、理解できていなかったようだから。

フードの少年は、なんとも自然な動作で刀を少し持ち上げる。
そしてなんの躊躇いも無く、ロビィの足の甲を貫いた。
ぐつり、と靴の抵抗があるが押し切る。
そのままぶつぶつという感触があるのは筋肉だろうか。
「ぎゃあああああああ!!!」
絶叫が轟く。
肩に置かれたままだったロビィの手が、熱いものでも触ったかのように瞬時に離れた。
フードの少年はもがくロビィの足からすぐに刀を抜く。
深くかぶったフードの奥の表情はロビィには見えないが、少年は無表情だった。
痛みに耐えかね、ロビィが膝を着く。
身体を丸めるように、しゃがんでしまった。
それがいけなかったのか。
次の瞬間には、ロビィの首は石畳に転がっていた。
無防備な首に、無慈悲に刀は振り下ろされていた。
絶叫は止まり、暖かな鮮血が辺りを濡らす。
フードの少年は、顔を濡らした返り血を袖でぬぐった。
これは、下層まで持っていかないといけないだろうか。
ちらりと金髪の少年を見た。
先ほどまではロビィ同じく、少し赤みの差した頬をしていた顔は、
可哀想なほどに青ざめている。
フードの少年と目が合うなり、何事か喚きながら走り去ってしまった。
まぁ、いいか。
今から下層へこの大きな荷物を捨てに行くのも大変だ。
そう思いながら鞘を拾う。
自分の服の端で刀に付いた血を拭う。
しかし軽く滴るほどに濡れてしまった服では、尚汚れるだけだった。
きょろきょろと見渡せば、先ほど崩れ落ちたロビィの胴体。
幸いなことに、しゃがんだまま崩れ落ちたことで、上になっている部分は濡れていない。
ごしごしとロビィの服で刀の血を拭い、鞘に収めた。
ロビィのポケットを漁ることも忘れずに。
いくらかの小銭をポケットにねじ込んで、ロビィの首から帽子を剥ぎ取り、背を向けた。
この帽子一杯になるほどの飯があるといいな。

そんなことを考えつつまた暗闇に溶けていった。