あなたを狒々爺が待っている日がやってくる。  | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

(旧タイトル、NYと六本木ヒルズに住む経営者のひとりごと) 
ニューヨークと東京で会社を経営してます。 NYがベースで、年間10回以上、NYー東京間を往復しています。 アメリカ生活が30年以上になるので、日本にいると沢山の驚きがあります。そんな驚きを綴っています。

あなたを狒々爺が待っている日がやってくる。 
 
ある方が、新聞を読むのなら、日本経済新聞、産経新聞、読売新聞にしなさいと言ったので、
産経新聞をネットでみていたらいつの間にかこのオピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」に到達していた。
 
よく読むと普段小生が語っている事がもっと詳しく社会的問題として記載されていたので、
シェアをします。 
 
まだまだ、小生は知らない領域なので、怖いもの見たさに読んでしまいましたが、
 
既に60代以降の方には如実に表現されているのではないかと思いました。
 
生きている人には間違いなくやってくる加齢、高齢、超高齢。
今、20代の人は50年後生きていれば70代です。
 
 
Welcome と看板を持って、
狒々爺が立って待っていることでしょう。
 
 
リンクが消されるかも知れないのでテキストをコピペします。

 

 

「セックスに引退なし」ED治療薬で激変した高齢者の性事情


小林照幸(ノンフィクション作家)

 平均寿命と健康寿命のふたつの寿命が延びる中、QOL(Quality Of Life)こと「クオリティー・オブ・ライフ(生活の質、人生の質)」が問われている。

 クオリティー・オブ・ライフは、もともとは終末期医療において、残りの人生をどう充実させるかを考える上で「生活の質」の意味で使われていた。現在は高齢世代全般において「人生の質」を意味する言葉で使われることが多いが、あらゆる世代に当てはまる言葉として「人間らしく、満足して生活しているかを評価する概念」と言ってもいい。

 私はこの19年余、「年を取ったら枯れる」時代ではないと多数見聞きし、60歳以上の高齢者の性および恋愛に関して4冊の関連書をまとめた。


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 「いいトシをして」の偏見を反省し、クオリティー・オブ・ライフに占める性や恋愛の比率の大きさを考えさせられ、「クオリティー・オブ・ライフはクオリティー・オブ・ラブである」と実感した。英語の略称は共にQOLとは、偶然に思えなかったほどだ。

 そもそも「性」の文字は立心偏、つまり「心」プラス「生」から構成されている。生きるに心が伴い性、とはなんとも深い。

 自らも将来は高齢者になることを踏まえて「年を取って枯れるのではない。年を取ることは怖いことでも、恥ずかしいことでもない」とポジティブな印象論を抱くようにもなったのである。

 高齢者の性について言及するとき、夫婦の場合、そして、死別、離婚、未婚などによるシングルの恋愛、不倫の場合と大別できる。まずは夫婦の性から考えてみたい。

 長く連れ添った夫婦の間では、新婚当時と仲が変わらず、というのは難しく、セックスレスも問題となる。セックスレスは4つの要因に大別されよう。

① マンネリから夫婦のどちらか、あるいは双方が「もう結構」と考え、その気にならないケース
② 親の介護、息子や娘、孫との同居が原因となり、夫婦の間でセックスに気を回す肉体的、精神的、時間的な余裕がないケース
③ 加齢に伴い、男性の場合はED(勃起不全 Erectile Dysfunction)、前立腺肥大症など、女性は閉経、性交痛などの肉体的変化によって、若い頃と格差を痛感し、現役からの引退を選択するケース。夫婦双方がセックスレスで納得しているケースもあれば、どちらかが欲求不満のケースもある
④ がん、心臓病、脳疾患をはじめとして、重大な病気が配偶者のどちらか、あるいは双方に発生して、「とてもセックスどころではない」というケース

 これらを踏まえた上で、私はこれまでの取材からセックスレスを回避して「する夫婦」はベストとは言わずとも、ベターな方法を現状で見いだしている、と考えさせられてきた。

 配偶者に60歳以上がいる夫婦で、病気や更年期障害があっても、お互いの体調の良い時を見計らって、夫婦円満維持のための2人の時間を創出する努力をしているケースも少なくない。男性ならば「自力」での勃起にこだわらず、ED治療薬(バイアグラ、レビトラ、シアリス)を使用する、女性であれば膣(ちつ)潤滑ゼリーを用いるなどの努力も講じている。

 セックスはマンネリ、家庭の環境によってセックスどころではないと意識していても、誕生日や結婚記念日といった夫婦間のメモリアルデー、さらには旅行といった日常とは異なる状況下で機会を創出している例が多くあったのである。


話を進める上で、高齢者の恋愛と性を医学的側面からも考えてみたい。

 高齢者に限らず、勃起や膣が濡れるといった性反応は、脳、血管、自律神経が正常に機能しているからこそ起こる。高齢者の場合、加齢によって若い頃と程度の差が生じているのは致し方ないが、高齢者の恋愛と性は健康な証拠、基本的に健康を前提としている。



 日本において、初のED治療薬としてバイアグラが販売開始となったのは1999年3月だった。解禁当初は医師への相談に恥ずかしさを覚え、個人輸入による通信販売やアダルトショップで入手する向きも少なくなかった。現在は、内科や泌尿器科の外来受付にED治療薬の処方の案内が普通に置かれるようになった。


ED(勃起障害)治療薬。
 EDは糖尿病の合併症のひとつであり、さらには大病の前兆でもある、という認識から、医師の処方に対する患者の抵抗感も薄れてきた。

 勃起は、自律神経を通じて陰茎への血流より起こるが、人体で一番細い動脈は陰茎内のもので直径1~2ミリである。コレステロールなどがたまって血管が細くなる動脈硬化は、陰茎から始まって心臓や脳に進行し、狭心症、心筋梗塞、脳卒中などの重度な病気につながる可能性も高くなる、と指摘されている。早朝勃起の生理現象が50代、60代でほとんどなくなったら動脈硬化の兆候か、と考えて検査を、の医学的情報も周知されつつある。

 「自力」にこだわらずとも勃起は健康のバロメーターの意識が着実に中高年の男性に浸透してきたのは、高齢者の性および恋愛を後押しするものでもあろう。

 振り返れば、一昔前は糖尿病や前立腺肥大症になったら勃起不全が顕著となり、「セックスから引退」の暗黙の了解があったが、ED治療薬はこれらの病気にも有効である。

 高血圧、尿酸値が高いなどの症状に対して、必要な薬を服用するように、勃起が思わしくなくなったら、陰茎への血行を改善するED治療薬を服用すれば良い、という医療のお墨付きに夢と希望を見いだした男性も多いはずである。

 ED治療薬は、挿入前になえてしまう「中折れ」にも効果だ。70代の男性は、妻と月に1、2回程度、妻とのみしているが、中折れ防止のため、バイアグラを服用するようになり、「20代と同等の勃起力に感動」と教えてくれた。

 恋愛や性は個人差が大きい。特にセックスが好きか嫌いか、経験人数は、と言ったように、その人の人生を映し出す鏡でもある。

 私は高齢者で「する人」は総じて「情緒安定のためのセックス」「癒やし」の意義を見いだしているように取材から考えさせられてきた。

 多くの動物の性行動は1年のある特定の時期だが(ご承知のように、サケは一生に1度)、他の動物の性行動と人間の性行動の相違は「情緒安定のための性」「癒やし」としての性も可能である点だ。大脳の発達のたまものであろう。

 女性の中には「妊娠を気にしないセックスが、こんなに気持ちがいいものとは思わなかった」と話した人もいる。快楽うんぬんと言えそうだが、閉経して新たな境地を見いだした言葉として興味深い。

 もちろん、若い頃に比べたら物足りない、という人もいる。「しない人」では「配偶者が応じない」「相手がいない」のケースはあるが、病気、家庭の事情などを鑑みて、セックスレスで納得している人たちもいる。手をつなぐスキンシップで満足している人もいることは強調しておこう。




冒頭で、クオリティー・オブ・ライフに占める恋愛や性の比率の大きさから「クオリティー・オブ・ライフはクオリティー・オブ・ラブである」と考えさせられてもきた、と記したが、これを実感するのが、配偶者と離婚や死別、未婚などシングルの立場および不倫で恋愛を楽しむ「人生最後の恋」の物語の主役となっている場合である。

 「高齢者は自身の恋愛や性を〝生きがい〟に昇華させている先輩たち」と学び、「これぞ、華麗なる加齢術か」と感じさせられたほどだ。

 人生の時間と歓びが限られてくる高齢世代にとって、恋愛や性は生き生きと日々を過ごす上での妙薬の役割を果たしているのだな、と勉強させられたのである。

 同時に、老いらく=老い楽、高齢者=幸齢者、高齢期=幸齢期、福祉=福死にしている先駆者でもある、とも感じた。置き換え可能な日本語なればこそでも偶然に思えないところが示唆的ではないか、と思った次第でもある。


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 仕事、子育て、各種ローンに区切りが着いた後の10年、20年を展望する中、「恋愛や性が男であり、女である手ごたえを得られる最高のとき」「自己責任も大きいゆえ、自律の促進、ボケ防止にも最高」と位置づける人が多いと感じてきた。


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 高齢者福祉施設においても、異性を意識する気持ちは、身だしなみ、おしゃれを日常生活で実践させる効能がある。起床すればパシャマから着替え、男性はひげを剃り、女性は口紅を当てる。表情は明るくなり、食欲も湧き、リハビリに前向きになるなど施設内での行動も積極的になるのである。

 人間らしいというべきか、性という業から逃れられない人間の宿命なのか、の判断は難しい。とはいっても、21世紀に入ってアンチエイジング(抗加齢)が注目され、「恋愛や性は心身の若さ、癒やしにつながっている」と意識する人が増え、明るく前向きに考える人が多いこともメディアでも大きく取り上げられてきたのは多くの人が知るところであろう。

 出会いの場も社交ダンスをはじめ趣味やボランティア、さらには病院の待合室といった地域や日常活動で知り合うばかりでなく、スマートフォンをはじめとした携帯電話、パソコンといったIT(情報技術)の普及で恋愛や婚活のネットサイトも選択肢となったのである。

 還暦後初の高校の同窓会で、初体験同士の男女が再会して仲が復活したケースもある。男性は離婚して娘を育てて嫁がせ、女性は2人の子どもを独立させたが、定年退職した夫とは家庭内別居状態。同窓会での数十年ぶりの再会によって、2人は今日まで4年余、交際を楽しんでいる。男性は糖尿病のため、自力での勃起は思わしくない。しかし、ED治療薬は用いていない。「自力での勃起にこだわっているわけではありません。互いに裸でのスキンシップで大満足なのですよ。不倫にはなりますが、挿入にこだわらずとも充実した時間を過ごしています」と男性は私に話してくれた。


性は厄介なものでもある。わがこととして意識できても、自分の肉親や祖父母など、身近な高齢者の恋愛を寛容に受け入れるのは難しい。

 高齢世代で恋愛や性を楽しむ「老いらく」ならぬ「老い楽」を楽しむ人々には「余裕」があるように思われたのも、私が取材の中で実感したひとつである。高齢者福祉施設における恋愛や性もあるが、一般生活をしている方々で、と特定づけるならば、以下の4つの要素に分類できるか。

① 配偶者であれ配偶者以外であれ、老いの時間を共に歩む相手がいること
② 具合の悪いところは多少あっても、基本的には健康であること
③ 大金はなくとも、年金や預貯金がそれなりにあり、自由に使えるお金があること
④ 日常生活において大きな悩みごとがなく、自由な時間に恵まれていること

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 個人差あるが、これらが四位一体となって結びつき、いずれかが欠ければ思うように成立しないようものの、中でも④は、①から③より重要に感じられる。子や孫が借金を背負い、また、子や孫が犯罪者となるなどで、老後の計画がめちゃくちゃになった人は恋愛どころではない話も私は取材で聞いた。

 持ち家があり、子どもたちも独立し、親の遺産もあり、退職金はじめ年金等による定期的な収入があり、といった余裕があるからこそ、恋愛や性にも関心が向くのかもしれない。携帯電話、パソコンといったツールの普及も、恋愛や性を強く後押ししている。⑤を加えるならば、「携帯電話、パソコンといったIT機器を活用していること」になろうか。

 親のどちらかが死亡し、残された親に対して、「入籍さえしなければ」の条件で息子や娘が恋愛を公認するケースも最近はよく聞く話である。

 親孝行に見えるが、これは「引きこもりになって、認知症が急激に進行し、肉体的機能も落ちて要介護になられては困る。恋愛を楽しんで元気よく長生きしてもらえたら」の意図がある。高齢世代の恋愛と性は、単なる肉体のつながりだけではない点も見いだせる。無縁社会が社会問題化する中、人と人との「縁」を結ぶものでもある。

 都会、地方問わず、孤独死が社会問題として深刻視されている。50代以下の若年の孤独死もあるが、その多くは高齢者だ。

 私は高齢者の孤独死のニュースに接するたびに、「高齢者の恋愛や性こそ孤独死を予防するセーフティーネット(安全網)、抑止力になり得るのではないか」と考えさせられてきた。夫婦ではない関係で考えれば、互いの住居の行き来は、周囲の目を意識する場合もあるにせよ、恋人がやって来る特別な場所だけに整理整頓、掃除を心掛ける。必然的に、住居のゴミ屋敷化を防ぐ力になる。それ以前に、携帯電話やパソコンで随時、連絡を取り合うのは安否確認にもなっている。





 一方に不測の事態が起きたとき、子どもや親族と疎遠になっている者にとってはパートナーこそSOSを発せられるライフラインの役割も果たす。いわば、無縁社会における危機管理策、とまじめに位置づけてもいい。何より、引きこもりとも関係なく、日々の身だしなみにも気をつけ、生き生きと社会生活できるメリットは大きい。

 四季折々のイベントに対して「来年のお正月も一緒に」「来年のお花見も一緒に」「来年の花火大会も一緒に」「来年の紅葉も一緒に」「来年のクリスマスも一緒に」といった希望も見いだしているゆえ、互いに進んで節制し、健康にもより気を遣う。毎日体重計に乗るのもいとわぬばかりでなく、定期的に病院に通い、それぞれの検査シートを見せ合って互いの健康状況を把握もするのである。節制と健康管理は愛する人のため、でもあるのだ。

 ただ、厳しい現実の問題もあることも最後に書いておこう。

 確たるデータこそないのだが、心の支えとなっている好きな人が亡くなったときの精神的ショックは残された人の死期を確実に早め、1年以内に亡くなるケースも多い、という話は医療関係者や高齢者福祉関係者が指摘するところでもある。

 先に逝く人は幸福の絶頂の中で人生を終えることができる。しかし、残された人は厳粛に人生最後の恋であるパートナーの死を受け止めざるを得ず、日常生活を送るのにも苦痛な鬱(うつ)状態に陥るのだ。


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 とはいえ、それも私は「クオリティー・オブ・ライフはクオリティー・オブ・ラブである」を反映している典型例ではないか、心のときめきもなく、ただ年齢を重ねるよりも人間的ではないか、と取材から感じてきた。

 日本は有史以来、初めて迎える高齢社会の中で、高齢者の恋愛と性についての社会的な理解はまだまだ日が浅いと言えるであろうが、現代の70代以上の方は、その先駆者、開拓者たる存在として歩んできた。

 一昔前は「いいトシをして」「みっともない」と陰口をたたかれて、何かと抑制を課せられてきたが、アンチエイジングの普及の中で、ようやく理解を得られつつある段階に入り、現在は新たな段階への発展途上、成熟の途上にあると言えるのだろう。