永遠に続く星空を見上げて思った。  | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

(旧タイトル、NYと六本木ヒルズに住む経営者のひとりごと) 
ニューヨークと東京で会社を経営してます。 NYがベースで、年間10回以上、NYー東京間を往復しています。 アメリカ生活が30年以上になるので、日本にいると沢山の驚きがあります。そんな驚きを綴っています。

自分メモです。

酵素浴入浴剤に入って記載しました。

永遠に続く星空を見上げて思った。

星空はミステリーである。 

宇宙は拡張してるといってもわからない。

その外には何があるの。

地球人には理解できない世界である。 

星空の向こうに何があるのかは一生わからないイリュージョンである。 

ふと思った。

人の存在もイリュージョンなのか。 

イリュージョンなら醒めないで欲しい。 


90年代前半にスタートした事業が軌道に乗り、

イリュージョンの世界に突入した。 

1990年代後半にこの家を建てた時、

描いていたライフスタイルがあった。


マンハッタンで仕事をして帰宅して、

車を車庫に入れてから一度外に出て、

深呼吸をして、毎晩夜空を眺めていた。

「こんなに恵まれたライフスタイルを現実に手に入れることが出来たんだ。神様ありがとうございます。」

と心の中でつぶやいていた。

夜空の星を見るのが原点であった。

いつの間にか忘れていた。

アメリカに来てから30年を超えた。

ニューヨーク州立大学在学時の期間をいれると、32年目のアメリカである。

そのうち1年間はロサンゼルスにいた。

人生の半分以上をアメリカの地で過ごしている。

ニューヨークの郊外に住んでから、30年が経ち今の家を建ててから今年が丸20年である。

日本勤務の時代を含め9年間のサラリーマン時代を送った。

当時、宮仕えをした企業は300名の従業員数だったが今は東証1部上場会社となり数千名の社員を抱えている。

宮仕えを辞めてから、一度もサラリーマンに戻りたいと思った事は無い。

新入社員研修を受け、当時の同期と呼ばれるメンバー達といつまで同じ釜の飯を食べるのかは入社した当時はぼんやりとしか考えていなかった。

ニューヨーク州立大学時代にであった牛金玉小次郎氏の発言の影響で、サラリーマンをスタートした時から起業を考えた。

当時の小生は、教職員免許を取って兵庫県の教職員になるのが目標であった。

教職員免許を取った。

兵庫県の教員採用試験を受けて筆記で受かってしまった。

面接は留学をしている時だったため、キャンセルもせずに現れずに受けなかった。 社会人としては最低だっただろう。

小生の代わりに誰かが面接を受けることができたはずだった。

留学中に知り合った牛金玉小次郎氏は言った。

「お前は教師になって一生貧乏したいんか。」

の言葉が響いた。

ニューヨークに留学している間に、

ニューヨークで一生過ごすことを決めた。

そのためには、サラリーマンでは他人にコントロールされるから自由がきかない。

起業、独立を考えたのは21歳の時だった。

やがて、サラリーマンになり

ニューヨーク駐在を待った。

1988年末、ロサンジェルス赴任が決まった。

1年後にニューヨークに赴任になった。

1990年初頭から、

日本の親会社の社長、南陰嚢熊楠氏のアメリカの家に、

セキュリティー担当として寝泊まりすることになった。つまり丁稚奉公である。

早朝セキュリティーを解除し、

自分の小さなアパートに戻り、支度し、

昼間はマンハッタンで仕事をする。

夜アパートに戻って食事をし、夜おそく社長宅へ泊まりに行く。

奥様に就寝のご挨拶をし、戸締りをしてから眠りにつく。


週末は奥様に食事を作ってもらい、日本から来るゲストを迎え、エンターテイメントをする。

数ヶ月の間、丁稚奉公の暮らしを通して、本物のリッチの暮らしを垣間見た。

人は誰かに見せてもらえないと、

描くことはできない。

人は描くことができないと、

手に入れることができない。



今回は起業についての詳細は省く。

今でも、定期的に牛金玉小次郎氏とは東京で会う。

起業時に波動を修正するためだ。

この二人の存在が、

小生の今のライフスタイルを構築するのに影響を与えた。

小生は、20代前半で強烈な人物に出会い、

ライフスタイルを見せてもらい、

将来どうあるべきかを描かせてもらい、

自分事にして考え、

それを自分のライフスタイルとして目標にした。


影響を与えられた年齢は、

将来の展望に影響を与える。


たとえ35歳で起業したとしても、

20代前半に強烈な影響を誰かに与えられ、

その頃から将来を描いて、

35歳で起業したとしたら成功する確率は高いだろう。

20代に将来のライフスタイルを描いたこともない

40歳の人が仮に起業の話をしても、

「やりたいと思う。やりたいことがある。」

と言うだけで終わる。

言うだけなら言わないほうがマシである。

40歳で起業するの遅すぎる。

40歳まで何も描かずに来た人はおとなしくサラリーマンを続けるのが一番良い。

40歳まで、人を雇ったこともなく、

1人で仕事を持っているなら、

一生そのスケールで行くだろう。

 

悪いわけじゃない。 

 

大きな希望や期待を持たない方が良い。

大きな起業家スピリットがある連中は20代で何らかのビジネスをスタートしている。

歳を取った犬に新しい芸は教えられない。 

上手くいったら、奇跡である。 

奇跡は起こるから奇跡とも言う。 

中高年は、1万人に一人の奇跡を起こすのがいい。 


小生の場合は、

お金の使い道に困るほど

一時期の10年ぐらいは成功したかもしれないが、

後半は決して成功とは言い難い結果である。

経営者として、失格ではないかと落ち込むことも多いが、

原点に戻ることで、

また、やる気が出てくる。

良い波動が流れてくる。


イリュージョンから覚めないうちに

夜空の星を眺めて原点に戻ろう。