初詣。
毎年恒例の浅草寺行ってきました。
今年は少し遅めの出撃で、
屋台がチラホラ店仕舞いする時間。
それでも参拝客は多く、
場所柄、外人さんも結構いたりして、
着物姿の女性を見ては、
「oh・・キレイネー」
と声が聞こえてくる場面もあったり。
雪が降るとの予報もあったけど、
お月様が眩しいくらいのピーカン。
ただ気温はチルドと同じく2℃くらい。
寒さだけは揺ぎ無かったです。
とりあえずお賽銭を済ませおみくじを引く。
結果は「吉」。
最近のえこにしては良いほうかもしれない。
でも内容を見てびっくり。
願望:叶わないでしょう
病気:治りにくいでしょう
失物:見つからないでしょう
待ち人:来ないでしょう
これのどこが吉なの?
まぁその他の、
「引越し、旅行、縁談等々」は良かったので安心しましたが、
縁起の良さを感じなかったのでギチギチに結んでやりました。
明日、別の神社でワンモアトライです。
家に帰ってポストを開ける。
年賀状が数枚。
誰から来てるかなんて、
今更確認するほどのものではない。
枚数だけ数えれば、誰から来てるのかもう分かる。
親友って案外少ない。
人生が進むにつれて生き残りゲームというか、
疎遠にならなければならないほど親友率は上がる。
しかも古風に年賀ハガキで新年の挨拶をしてくれるともなると、
誰から来たものか、確定してるも同然。
もはや書かれてる内容まで想像出来てしまう。
でも今年は違いました。
右へ左へと心がグラついた。
どちらも明るい文章なのはデフォ。
ただ内容は対照的で唖然。
一つは先月入籍を済ませたという報告。
「こういうのビックサプライズって言うんでしょ?」
なんて嬉しげに書いてあった。
もう一つには・・・
「余命1年って言われちゃった♪今年も宜しくね^^」
嬉しいとか悲しいとか良く分からない感情になった。
感情が行き場を失ったとき、
人間は無表情になるってことだけは知った。
今も良く分からないままブログを書いています。
新婚さんには超絶明るいお祝いをメールを無表情で送信しました。
余命さんには素知らぬ顔で久しぶりにご飯でも食べようかとメールしました。
何年も前から乳ガンなのは知ってたけど、
手術も落ち着いて完治してると聞いてたんだよね。
安心してた。
こりゃ参った。
一本取られた。
子供はもうだいぶ大きいけど子供は子供。
まだ親の手が必要な多感な時期。
まだ死んではダメ。
本人だってそのつもりのはず。
だって子供のこと大好きなんだもの。
死ねるわけないよね。
山下弘子さんのブログを読んでて良かった。
彼女は余命半年と言われ、今尚ガンと闘いつつも2年以上現在に至る。
「今を生きる」という名のブログ。
このタイトルの意味が今、スッと入ってきた。
今日を大事にする。
毎日死に怯えるわけじゃない。
余命が死刑と同意であってはならない。
「残された時間」
良く聞くフレーズだけど、これもきっと違う。
カウントダウンと同意であってはならない。
どうすればいいどうすればいい。
えこに出来ること出来ること出来ること・・・。
まず「余命まで」という枕詞を封印してみようか。
次に「今日」という日を強調してみよう。
そして一日の終わりには、
「明日」という未来を楽しみにしながら別れてみよう。
何は無くとも、
同じ時間軸を歩むということが、
これほど貴重で大切なものだなんて。
日々奇跡の連続なんだね。
会ったらこう言おう。
明けましておめでとう。
今年も来年もよろしくね♪
毎年恒例の浅草寺行ってきました。
今年は少し遅めの出撃で、
屋台がチラホラ店仕舞いする時間。
それでも参拝客は多く、
場所柄、外人さんも結構いたりして、
着物姿の女性を見ては、
「oh・・キレイネー」
と声が聞こえてくる場面もあったり。
雪が降るとの予報もあったけど、
お月様が眩しいくらいのピーカン。
ただ気温はチルドと同じく2℃くらい。
寒さだけは揺ぎ無かったです。
とりあえずお賽銭を済ませおみくじを引く。
結果は「吉」。
最近のえこにしては良いほうかもしれない。
でも内容を見てびっくり。
願望:叶わないでしょう
病気:治りにくいでしょう
失物:見つからないでしょう
待ち人:来ないでしょう
これのどこが吉なの?
まぁその他の、
「引越し、旅行、縁談等々」は良かったので安心しましたが、
縁起の良さを感じなかったのでギチギチに結んでやりました。
明日、別の神社でワンモアトライです。
家に帰ってポストを開ける。
年賀状が数枚。
誰から来てるかなんて、
今更確認するほどのものではない。
枚数だけ数えれば、誰から来てるのかもう分かる。
親友って案外少ない。
人生が進むにつれて生き残りゲームというか、
疎遠にならなければならないほど親友率は上がる。
しかも古風に年賀ハガキで新年の挨拶をしてくれるともなると、
誰から来たものか、確定してるも同然。
もはや書かれてる内容まで想像出来てしまう。
でも今年は違いました。
右へ左へと心がグラついた。
どちらも明るい文章なのはデフォ。
ただ内容は対照的で唖然。
一つは先月入籍を済ませたという報告。
「こういうのビックサプライズって言うんでしょ?」
なんて嬉しげに書いてあった。
もう一つには・・・
「余命1年って言われちゃった♪今年も宜しくね^^」
嬉しいとか悲しいとか良く分からない感情になった。
感情が行き場を失ったとき、
人間は無表情になるってことだけは知った。
今も良く分からないままブログを書いています。
新婚さんには超絶明るいお祝いをメールを無表情で送信しました。
余命さんには素知らぬ顔で久しぶりにご飯でも食べようかとメールしました。
何年も前から乳ガンなのは知ってたけど、
手術も落ち着いて完治してると聞いてたんだよね。
安心してた。
こりゃ参った。
一本取られた。
子供はもうだいぶ大きいけど子供は子供。
まだ親の手が必要な多感な時期。
まだ死んではダメ。
本人だってそのつもりのはず。
だって子供のこと大好きなんだもの。
死ねるわけないよね。
山下弘子さんのブログを読んでて良かった。
彼女は余命半年と言われ、今尚ガンと闘いつつも2年以上現在に至る。
「今を生きる」という名のブログ。
このタイトルの意味が今、スッと入ってきた。
今日を大事にする。
毎日死に怯えるわけじゃない。
余命が死刑と同意であってはならない。
「残された時間」
良く聞くフレーズだけど、これもきっと違う。
カウントダウンと同意であってはならない。
どうすればいいどうすればいい。
えこに出来ること出来ること出来ること・・・。
まず「余命まで」という枕詞を封印してみようか。
次に「今日」という日を強調してみよう。
そして一日の終わりには、
「明日」という未来を楽しみにしながら別れてみよう。
何は無くとも、
同じ時間軸を歩むということが、
これほど貴重で大切なものだなんて。
日々奇跡の連続なんだね。
会ったらこう言おう。
明けましておめでとう。
今年も来年もよろしくね♪