そして、恐怖の巨人戦が始まったあせる。「頼むがら勝ってけろ。。叫び!!」毎日心がらそう願った。なんでがっつーど、親父は正真正銘の巨人フリークだった。勝でばニコニコアップ、負げればとにかぐ機嫌がわりぐなるダウンむかっ。負げだ日にゃ~、いづのだがもわがんね~よ~なテストどが引っ張り出してきでがら、怒られるドクロ。巨人の勝ぢへの思いは、あのごろの選手達より俺のほうが強がったがもしんねな~メラメラ


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んで、俺の野球人生が始まった。憧れの原サードではなく、ファースト。とりあえずたっぱのあるやづのお決まりのポジションだ。


 さっそぐファーストミットば買わねばなんねぐなった。なんとなぐ他の人ど違ったグローブで、実はとびゃっこだげうれしぐなってだ。それがら、これがら何年もつづぐ練習の日々が始まり、親父が、おらがいの裏の栗の木さタイヤくっつげでけだがら、それをSSKの金属バットで親父が「よし」っつーまでぶっただいだ。最初は手がいでくていでくてたまんねがったが、親父の鋭い眼光からは逃げられずタイヤをぶっただぎつづげだ。ガーン

 更にやんたがったのは、親父どの恐怖の海岸キャッチボールだ!近所のたろやのおばちゃんどがは、「いづも親子でキャッチボールして何といいごど~。」どが言われでいだが、こっちは必死だったんだ。何でがっつーど、親父はアンダースローでガンガン投げ込んでくる!!叫び

だって、小3でなかよし(チーム名)のキャッチボール仲間にはアンダースローなんかいねーっつーの!!プンプン
 
 んでがら更に、夜になると恐怖の巨人戦のテレビ観戦が始まる叫び爆弾ドクロ

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俺の野球人生の始まりは、親父が巨人ファンだったごどがら始まった。まっ、田舎だがら野球中継つったら巨人戦しかTⅤにうづんねがったっつーのもあっけどなガーン



俺もその影響を受げでわらしっこの時の夢は「原辰徳」になるごどだった。んだげど、小3の時に監督に「すぎなどご守れ~」って言われで、もちろん憧れの原選手と同じサードに行って守ってだっきゃ、監督がら、

「おめちょっと動ぎわりがら、ファースト行ってけんねーが?」って言われでしまって 、いぎなり夢打ち砕がれでしまった。


「駒田が~。。。ショック!」それがら、俺の夢は「原」がらいっとぎ「駒田」になってしまった。


つづぐ。