最近おばあちゃんが圧迫骨折したり、非結核性抗酸菌というものに感染?したりで入院からの家で療養となった。

 

ばあちゃんの武勇伝忘れたくないからここにまとめとこーっと。

 

我が母より。

両親が付き合っててほぼ婚約状態で母が授かっている時、母と同じ学校の方が父を好きでアプローチしてたらしい。母は面識ないため知らんぷりしていたが、その方はやはり母が邪魔だったようでメンチきられたりしていたが、母はわざわざ「あの人私の婚約者だから」などという修羅場は面倒で放っておいた。アプローチの一環で父に手作りの海苔巻き(時代を感じる)をプレゼントし、KYなうちの父と祖母は仲良く食べてしかも祖母は美味しかったという感想を母に伝えた。その時はまだそれが嫌味なのか本気なのかはわからなかったらしい。

 

私が小学生の時。

スーパーで祖母と買い物中同級生のおばあちゃんと遭遇。お互い知り合いらしく談笑開始。私の同級生のおばあちゃまは少しふくよかな方でそこで祖母が一言。「羨ましいわー。そんなに太れて。私全然太れんのよ。」気まじーーーーー。一瞬で同級生のおばあちゃまの表情が変わるのを察知して小学生ながらこれはやべえと思って話を変えてさっさと終わらせて退散。

 

息子の死後。

叔父が急逝した時近所でお通夜や家族葬を行った。お通夜で誰かが叔父といなくてはいけなくて交代で実家の風呂に入ってみんなでお通夜のところで一晩明かそうという話になった。母が自分がここ(会場)にいるからみんな風呂に入ってこいと言うと祖母が「気持ち悪くないん?」と。一瞬耳を疑ってまさかと思いきやそのまさか。祖母は仮にも亡くなった自分の息子のことを言っていた。祖母にとってはそれはただの肉の塊になってたのかな。あまりにも悲しいから現実逃避なのかなと思ったが、本気の発言。思い返してみると以前叔父が重篤な状態でICUに入った時祖母は真っ先に叔父名義の銀行口座の心配をし(亡くなったら凍結されるため)、大金を持つのは怖いため当時専門学生だった私を連れ銀行に行き、その口座を解約し全額引き出した。

 

献身的に支えていた祖父の死後。

祖父の死後1ヶ月も経たない間に祖父との記憶消去。好物、趣味、何をして過ごしていたかまるで思えていない。ミステリーすぎる。

 

最近の話。

退院してうちのデイでは昼食時に「あら、果物はどこにあるんかな?」と。どこぞのお嬢様かよ。

毎食母が食事を作っており、私が配膳に行くのが日課。というのも、母が柔らかく煮込んだり調理方法を工夫して入院中やせ細った祖母をどうにかしようとしていたのに、配膳時「はあ。またこの嫌な時間が来た」(祖母は食事の時間が嫌い)と発言。そりゃあ祖母の配膳行くの嫌になるわい。

 

全ての祖母の発言は本気であり、悪気は一切ないオエーこういう人間もいるのよ。

DNAは脈々と受け継がれており、うちの父も似たようなKYというか、話し相手への配慮のない発言を多々する。そして思考回路が異常。

私にもその血は流れているので同じようなことを他人にしているかもしれないと思うと恐怖でしかない昇天

 

亡くなった祖父はおそらく祖母のことが好きで仕方なかったと思う。祖父と祖母はお見合いで祖父からのアプローチで話が進んだ。祖母は好きとかいう感情はなかったが祖母の家族もOKを出したので嫁に行った。時代が時代であったため完全なる男尊女卑。しっかり高等学校まで進学した祖母は嫌だったが、離婚は毛頭なく耐えた。そして祖母が習い事をしようとしたら習う先生が男性であったため断固反対。自宅で介護中祖父は祖母の姿が見えなくなったり、祖母がテレビなど自分以外のものに集中すると怒鳴ったり、起きな音を立てて注意を引いていた。今思うと、忙しくさせて浮気させんようにしてたんかなとも思うが、そんな振る舞いで祖母に思いは伝わることなく、祖母記憶抹消魂が抜ける

 

私がデイで働いた際に90代のおばあちゃんに彼女の旦那さんとの馴れ初めを聞いた。戦前に一緒になりたいと両思いになっていた男性がいたが、戦争が始まり、彼は戻ってくると約束をして戦地に向かった。その約束を胸に彼女は戦後まで耐えたが、なんの知らせもないため、仕方なく両親の勧めもありお見合いの末結婚。子育て中、実家であるものを発見。それはその両思いだった彼からの手紙の束で、生きて戦地から帰還した彼は彼女と再会を願って彼女に手紙を送り続けており彼女の両親が隠していた。彼女はなんとも言えない感情があったらしいが、今更あったところで自分には家庭があり子供もいるため、両親を問い詰めることもなく、見て見ないふりをしたらしい。

その話を聞いた時映画みたいな話って当時いろんなところであったんだろうなって思った悲しい「この世界の片隅に」の物語はあちこちであったんやろうし、みんなそれぞれ乗り越えとるってすごいよなー。私の悩みなんか贅沢すぎる悩みだわな凝視

時代は巡って今やオンラインで出会う時代で住む国なんか越えて出会える世の中になったなんてそりゃ90代のおばあちゃんやおじいちゃんにとっては異次元よ無気力しかも当時は敵国の人も今は日本に訪れとるなんて考えられんやろうな。

 

AIとかのテクノロジーの発達で昔の人たちに今の日本を見せて感想を聞けるようにならんかね笑

偉人やったら日記とか何かその人の思考が反映されたような書物とか残っとるやろうからそこから人格を抽出して、、、みたいな。

 

デイで働いてる時、それぞれの馴れ初めとか人生観を聞くのが楽しかったな。1分前に食べた昼食は覚えてなくても昔のことは鮮明に覚えておられるからスラスラ言葉が出てくるんよね。ほんとに人間の脳って不思議やし、認知症って言っても症状は千差万別やから探求したら面白いんよねー。確かに、予想外のことしか起きんし、どれだけ大変な思いをしてケアしても忘れられたり、暴言吐かれたり、暴力振るわれたりとか色々あるけど、それぞれの人生の中での強烈な経験からくる言動だったりするからしんどいけどどんな人生を歩んできたんやろうって興味が湧く。この方々あっての今の日本やからね、あくまでも。

にしても時々イラッとはくるよ、人間だもの昇天私は感情のコントロール下手っぴやから他の職員さんたちへの尊敬が溢れるオエー

てか、デイのクセが強いおばあちゃま・おじいちゃまたちはほんまに笑いの宝庫爆笑いつも笑わせてもらってたな。これといってパッとエピソードが浮かばんのやけどな大あくび

 

日本の看護学校では2025年問題を学んだけど、カナダでは2050年問題やったのも興味深かったな。介護業界はほんまに先進国かも。日本の介護が一般的になったら安心して老いることができるかもニコニコ

そんな介護業界を支えてる介護職員の方々はほんまに素晴らしい!!カナダの授業で日本の高齢者施設密着してるの見たもん。そういう意味で言うと世界から見た日本って各国が歩むであろう未来の姿よ。必ず人は老いるからね。

便利とか人が快適さを究極に突き詰めていくと日本のような国が出来上がると思う。良し悪しとかいう意味ではなく。

 

カナダで生活していく上で自分の老後が心配でしかなかったし。その前に日本に帰国するとしてその時面倒を見てくれる人が日本にいるのかとか、居場所はあるのかとか考えてた。世の中そんな甘くないけんなオエー

国外に長くいると日本の文化が窮屈に感じるけど、日本の空気感や日本食は欲しい。そして何より母国語が通じる環境であって欲しいし、季節の文化(お正月、節分、ひな祭りなど)を感じたいし。日系の高齢者施設もあるけど、何かしらでその国の国民を含む施設じゃないと補助金がもらえなかったり、日系の高齢者だけを扱うとなると経営が難しかったりもする。

これから日本の人たちが安心して海外で生活していく未来を描くためにも日本に帰国子女や在日の海外の高齢者のための高齢者施設があってもいいのかなと思うけど、そしたら日本で高齢者が増加することも考えられなくはない。しかも、その高齢者の家族が蒸発する可能性もあるため、その使用料はどうやって確保するのかという問題もある。各国いろんなところに飛ばれたら追跡は難しいだろうし、姥捨山のように扱われてもいけないしな真顔

高原地域などの田舎に広い土地を買って普段はみんなユニットで暮らしてて、そのメインの建物の周りにコテージを建てて利用者の家族が長期休暇とかで訪ねてきたらそのコテージで家族で過ごせるようにして、緊急事態を考えてナースコールのようなボタンも用意してってできれば帰国子女とか問わず、過ごしやすい施設になるんかなとか考えたりする。海外からの研修生とかも呼んだりとかして指差し

まあ、そううまくはいかんわ。資金もないし、そんなことする知識もないし、有事の際の責任問題とかになったら働いとるスタッフのストレスもすごいやろうし。でもできたらワクワクするやろうなニコニコ

 

ま、高齢者問題ってネガティブなことだけじゃないよって話!