今度宗教絡みのことへの配慮についての授業がある。

なるほど。神ねぇ。

ここは思想の自由があるし何も言えんけど、教科書読んでてなんとなーくしんどくなった。

自分が信じてるものがわからないからなのか、居心地が悪いからなのかよくわからん。

こっちにしてきてから


Do you believe in God?


って聞かれることよくある。正直にいいえと答えたいけどそう答えたことによって患者さんの心を閉ざしてしまうような気がしていつも曖昧に答えてただただ避けていくような返答をしてきた。

なんとなーく、日本では仏教と神道が混ざって独特の宗教感なのかなと感じてて神様というよりご先祖様を重んじてきたように私的には感じてる。

ふと見た英語で書かれた日本の宗教についての記事で日本人はbelieveというより信じているものの存在をfeelしていると書かれてて腑に落ちた。

信じてます!!っていうよりは自分の周りで守ってくれてる身近な存在ていう感じ?


教会いってるの?って聞かれて

行ってないよ、仏教だからと答えると

じゃあtempleに通ってるの?って言われて

そういうんじゃないんだよなーと思った。

'信じる'とか'神’という言葉に怖いというかなんとなく過敏に感じてしまう。宗教絡みで恐怖体験をしたわけではないけど、なんとなく宗教の人間を支配してしまう力が怖い。


過去に神ってなに?なにをみんなそんなに熱心に信じてるのか単純に気になってキリスト教のコミュニティに通ったことがあるけど、申し訳ないけど違和感しか感じなかった…

必死に飲み込もうとしたんだけどな。

教会で歌っている歌詞の内容とか読んでると神という存在をすごく讃えててそれに対して怖くなってしまった。

その通ってるときに英語力が伸び悩んでてどうしようかな日々考えてて耐えきれなくなってそのコミュニティの人と話してるときにぽろっと悩みを打ち明けると返ってきた言葉は、、、


ねえ、神様にちゃんと話した?


当時のわたしにとっては衝撃的で一瞬"は?"ってなってしまった。神様にIELTSでスコアが思うように取れないんですって泣きついたところでなんもならんやろうがい!って思ってた。のちに話すことによってスッキリして精神状態を落ち着かせることができるのかな?と考え直したけども。うつ状態になってた私には相手自身のアドバイスではなく他の人に解決策を投げられた感じがして見捨てられたような感覚になってしまってた。この発言をした人が悪いわけでは決してなくてその人が普段悩みの解決策としてしていることを助言してくれたまでで私のその状態を改善できる策を考えてくれたことはありがたい。


その後、教会に通ってるのは頻度は違うけど私にとってお墓参りとか仏壇に手を合わせてご先祖様をお世話してる感覚なのかなーと想像してみたり。

先入観とかなしに理解しようとするけどやっぱり自分の経験の中で当てはめて考えようとしちゃう。ま、しゃーない。


こっちで患者さんを考えるときにreligionとかspirituarityは欠かせないけどすごく難しい!!

空気を読む文化の中にあってお互い催促し合いながら生活していた日本の文化の暮らしから言葉でちゃんと聞いて答えるこっちの文化にadjustするのは苦しい。

勝手に相手の気持ち推測しちゃうんよな。


この授業どういう反応がクラスで起こるのか気になるな。わたしが日本の宗教観を発言したらどういう反応が返ってくるのかも気になる。