注意この記事はただのストレス解消なのであしからず笑

 

過信せず自信を持って生きていきたいですよねー。

 

最近ふとこう思ったきっかけは父。残念ながら血は水よりも濃いというようにDNAは脈々と受け継がれているんですよね。

 

こう何年も両親を見ているといいところもあれば悪いところも見えてその一部が自分に見えたときの残念感半端ない。

 

というわけで私と私の父は非常に似ている点が多く、考えていることとかわかるんですよ。

 

例えば自分に非があるときのごまかし方によってあ、嘘ついてるとか笑

 

両親を見ていて思ったのが人間って歳をとるごとに頑固になっていくということ。これは共感する人めちゃいるはず。

 

実家に帰るたびに思う。

 

「ありがとう」や「ごめんなさい」、「わかりません」がいつの間にか素直に言えなくなってる。

 

それは年齢にかかわらず多いけど。

 

そして、自分が重ねてきた経験に誇りがあるのはいいと思うけど、それによって過信が増すのは良くない。

 

でも実際、そういう人が多い。

 

確かに経験を多く積んでいる事は素晴らしいし、他の人に伝えたり、技術を継承するために指導をするべきだと思う。

 

でも、自分の経験や技術にあぐらをかくのではなく、その技術は現在の進んだ研究において改善や修正をする点はないのか、新しく自分が学べる事はなど学び続ける人が様々な人からの意見を受け入れ、自分を高め続けていける人だと思う。

 

また、何かがうまくいかない時、自分以外の人やものを疑うだけではなく、自分の行動や言動を振り返る必要があると思う。

 

だが、多くの人は年齢と共に積み上げてきた経験によってこれはよくない、だめだ、役立たずなど、よく知りもせず、自分で価値を決めてしまう。

 

例えば、スマホ。中年世代が、我々には必要のない機能。こんなややこしい事は覚えられない。だからこんなプラスチックの塊は役に立たない。

 

「必要がない」とは?自分が使おうとしていないまたは使ったことがなく、その利便性を知らないだけでは?

 

例え使用しないとしても、知識として知っておくだけでも少しでも若年層を理解するのに役立つのでは?

 

「年齢」や「世代」を理由にしてあぐらをかいていませんか?

 

自分が思っているより、自分の脳は若く新しい情報を欲しているかもしれませんよ。

 

私が中高生の時、歴史や化学など苦手な教科があり、正直、これを知らなくても生きていけると思っていました。

 

また、父や母がする私の若い頃は話。まあくだらないと思っていました。

 

そんな時、私の両親はその時に全く必要ないと思って拒否することは自分の未来を潰していることと同じこと、知った時点で役に立つか立たないかを判断することは不可能であり、その情報が後でどう生きるかは未来の自分が決めることだと言われました。

 

私の父はSimon&GarfunkelやQueen、山下達郎など好きでいつも音楽を聞きながら+私にベラベラ喋りながら仕事をしていました。

 

その小噺が嫌いで嫌いで、、、と思っていたら、カナダに行った今になって出先で父と同じくらいの年齢の人など知っている曲の話ができて仲良くなれるんです!!!!

 

小さいことですが人とのつながりは人生において本当に重要なことと私は考えているので私にとっては大切なことです。

 

一言で言えば「無駄はない」からとりあえず何にでも広くアンテナを張っておけということですね。

 

私はこの信条に加えて、素直な気持ちを忘れずにいることで過信は防げるのではないかと思います。

 

綺麗事かもしれないですが、全て現実味があると面白くないですからね笑