ご無沙汰しております。
昨年に引き続き(イベントみたいw)、先日父が亡くなりました。
母の時と同じように備忘録として書きますので、お時間あれば読んでください。
ポコです。
3月10日(日)10時ごろラジ天名古屋でラジコン中wにお世話になっている施設から電話。
「お父さんの体調が優れません。手足が冷たく血中酸素濃度も下がってきています、緊急で電話するかもしれませんので、よろしくお願いします」と。
そこからは、気もそぞろ😅ラジコンしてても落ち着きません。といっても、何も起こらないのにどうしようもないのでそのまま継続(オイ)
昼過ぎに再び電話があって、「お父様の呼吸が止まってます」
医師の志望診断があるまでは死亡と言わないんですが、ようは亡くなったと。
そうなると、色々と準備するしかありませんので急ぎ帰宅の準備。
ラジ店にいたそねっちに「父が亡くなったわ」と伝えると、「うちは火曜日やったわ。土日は役所やってないしね」って オイw
運悪くその日は「名古屋マラソン」の日。
ラジ天から自宅に戻るにはマラソンコースを
横切るしかありません。右往左往しながら45分で帰れる道のりを1時間半かけてようやく帰宅。
僕より近い姉が施設に行ってくれることになったので、僕は葬儀屋に手配して夕方までに施設へ向かうことに。
昨年4月に母のことでお願いした葬儀屋担当者にLINEで「父が亡くなったので前回と同じでよろく!」と連絡。まるでUberでも頼むみたい😂
姉と実家で待ち合わせをして、葬儀屋のお迎えの時間が決まったので、自宅から施設へ移動。
昨年の母の時は臨終の場面に間に合えましたが、
父の場合は亡くなった後。
心不全を患っていましたが、死因は「老衰」とのこと。施設で父と対面しましたが、穏やかな顔で眠っているようでした。
綺麗に顔剃りをしてもらってすっきりとしてました。施設の担当者は「朝は色々話をしてたので、突然でびっくりしました!」と。
2月の初めに体調が悪くなってので、施設から病院に連れて行った時医師からは「もう、寿命が近いです。入院してもほとんど回復しないと思うので
施設でゆっくりされたらどうですか?」と提案されました。
詳しくは伝えませんでしたが、父はとりあえず施設戻るわーと言うので施設に戻ることにしました。
その頃の予定を時系列にすると
・2月12日から1週間東京出張
・その間、ネモフィラの武道館ライブ観戦
・翌週、次男の高校入試
・2月25日に父を実家に一時帰宅を考えるが、体力的に無理そうだったので施設での姉と面会のみ。この日が存命中最後の対面となりました。
(姉は絶不調だったが一緒に立ち会い)
・3月4日の週は次男の卒業式と高校合格発表
・3月9日に母の相続書類が揃ったので司法書士の持ち込み
・3月10日 父死去
当日、僕はラジコン 妻はライブにお出かけ中
・父が亡くなったので相続手続きやり直し
・4月になると
5日〜7日 F1日本グランプリ(鈴鹿)
8日次男の入学式
なにが言いたいかと言いますと、2月以降予定が目白押しのところ合間を縫うように父が亡くなったことです。
ここ3年ほどは名古屋と三重を行ったり来たり。体力もそうですが父に振り回されて精神的にかなりグッタリでした。
そんな父でした、さまざまなイベントごとを外すタイミングで亡くなるなんてなんと子孝行なんだとw
良くも悪くもAB型の典型で人の話に耳を貸さない、自分で確かめるまでトコトン納得しない、となかなか大変な性格でした。
92歳を過ぎて、大病もせず本当に丈夫だったんだな〜とある意味感心しました。
高校時代に三重県で平泳ぎでチャンピオンになり、身長180センチ足も長くて西洋人ぽい父のこと、子供ながらにカッコいいな〜と思った記憶もあります。
僕は東京の大学に行かせてもらい、経営していた会社をたたむまではまあまあ不自由なく育ててもらいました(僕の人生の半分くらい)
その後は色々と大変になりましたが、どうにかこうにか今まで過ごせています。
そのことにはいくら感謝しても足りないでさはさ。
告別式に続いて、火葬の後立派なで頑丈そうな骨が残っていたのが印象的でした。
喉仏が大き過ぎて入れ物に収まりきらないと火葬の担当の人も今まで見たこともない立派な「おしゃりさん。若い担当者に見せてあげたいくらい」と大興奮!
最後の最後にみんなを沸かせてくれた父らしいなと、なんだか笑っちゃいました。
92歳にもなると悲しいけど穏やかに亡くなって良かったね〜とみなさんおっしゃいます。
手続きやら忙しいこともありますがあと1年もすれば落ち着くのではないかな?
と多少は肩の荷が降りた気もします。
お父さん、長い間おつかれさまでした。
ようやく大好きだった母のところに逝けますね😊
僕はこれからもかわらず、マイペースでラジコンやライブやF1を楽しみますのでよろしくお願いします。