先日、母が亡くなりました。blogに書くのもどうなの?と思いましたが、自分にとって悲しいだけの出来事ではないので、備忘録的な意味合いで書くことにしました。


ポコです。


4月7日(金)の午後、母が入所している施設から電話があった。

施設担当者 Mさん「お母様が4日ほど食事を召し上がらないです。主治医から話があるので近いうちにこちらへ来られますか?明日の土曜日はいかがですか?」


私「わかりました、明日なら行けるので伺います」と電話を切った。

1時間ほどしてから再び施設から電話が


Mさん「お母様の状態が良くないので、今から来てください。どれくらいかかりますか?」


私は余裕をみて「1時間半程度はかかります」


Mさん「1時間半ですか…。なるべく急いでもらえると」


大慌てで会社を飛び出し、高速で最短ルートを選び実家近くの施設へ。

明日じゃダメなの? くらいに思っていたので、毎週金曜日の大好きなラジオ番組をリアタイで聴けるから、まあいいか〜くらいの考えでラジオ聴きながらゲラゲラ笑いながら気楽に運転して向かいました。

渋滞もなく1時間程度で施設に到着。

すぐに部屋に案内されて、


Mさん「お母様はこの状態です」と

目はほとんど閉じて、呼びかけても反応しない。ハアハアと苦しそうに呼吸をしているだけ。Mさんは黙って横に立っていました。


えー、もしかしてこのまま死んじゃうの⁇


まさか、今なの⁉️と 動揺を隠しきれず

でも 嘘でしょ?みたいな気持ちが錯綜し


私「このままでいいのですか?救急車とかお医者さんとか呼ばなくていいんですか?」


Mさん「この呼吸は亡くなる前の呼吸なんです。何もできません…。あとは見守るだけです。私が付いていますので息子さんは主治医に話を聞きませんか?車で2、3分ですので」

Mさんは施設で何度も見ている光景なのでわかっていたようだ。


私「では、すぐに向かいます」

と、クリニックへ。

診察時間だったがすぐに通され、主治医から説明を聞く。


主治医「何日も食事を取れていないこの状態は寿命です。今の呼吸は下顎(かがく)呼吸といって亡くなる寸前の状態わです。内臓機能もほとんど止まっていますね。今なにもできることはありません。90年よく頑張りましたよ」と。

話を聞いている時に施設からクリニックに「呼吸が止まりそうです」と電話があったので

再び大慌てで施設へ。


施設に着くと、ほぼ呼吸が止まっていた。

2、3回ガフッと呼吸というかそんなような動きをして動かなくなった。


Mさん「うん…(この後言葉はなし)」

「(私に)電話した時は1時間半も持たないと思ったけど、早く来てもらって良かった〜。きっと息子さんを待ってたんですよ」


お母さん、お母さんと呼びかけるも反応なし。肩をポンポンしても反応なし…

Mさんが「主治医を呼びますね」と。

すぐに主治医が駆けつけて、母を確認し私の顔を見ながら「はい…」と短く呟いた。


目の前で母が90歳で寿命を全うした。


4人兄弟の末っ子長男の私は一番甘やかされたと思う。

すごく悲しい…とても寂しい…

その反面、息を引き取る瞬間に立ち会えた事が幸せで嬉しく感じ、

眠ったように穏やかに横たわっている母を見ていると可愛くて仕方がなかった。

おでこを撫ぜたり肩を何度も触ったけど、まだほんのり暖かい。


クリニックで死亡診断書を出しますね。との事で再びクリニックへ。

原因は細かくは色々ありますが主な原因は

「老衰」だと。


あー、そうか


肺炎で入院したり、認知症の症状が少しづつ

出ていたけど「老衰」が原因か…


突然すぎて心の準備が出来ていなかった。

いつかあることだとわかっていたつもりだったけど、

まさかこんな早く来ると思わなかった。


なんとなく思い描いていたのは


だんだんと弱る

↓

施設から病院へ

↓

しばらく小康状態

↓

いよいよになったので家族呼ばれる

↓

一晩過ごし亡くなる


みたいに勝手にイメージしてたので😆

あまりに呆気なく拍子抜けしたのも事実。


死因が「老衰」だと聞いて、悲しいと同じくらい嬉しくてホッとした。

精神と身体をフル活用して、精一杯生きてたんだな〜

まさに「天命を全うした」といえると思う。


今回の母の死にたいして、ぜんぜん 負(マイナス)の感情はない。

生物として生まれた時から誰しもが必ず迎える「死」

生を迎える時に「おめでとう」という気持ちがあるように

死を迎える時にも(言葉に語弊はあるかもしれませんが)「おめでとう」と

言いたくなるくらいの気持ち。

それくらい今回の体験は貴重でありがたいものだった。


お母さん、90年間本当にお疲れ様でした。

僕は55年間お世話になりました。

ありがとうございました🙇


このあとの私のドタバタ劇は次回の機会にでも。