氷艶2024十字星のキセキ~中毒性のあるカタルシスと寄せる高揚に浸りまくる。 | A skater's soul ~髙橋大輔応援ブログ~

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フィギュアスケーターを愛してます。
中でも、別格なのは ”高橋大輔”

その後皆さんお元気でしょうか。

おかげ様で健やかに録画リピ廃人LIFEを満喫しております。

 

連日シアターモードの大音量の中見続けておりますが、娘の小さい頃をふと思い出しました。

4~5歳の頃娘に初めてディズニーアニメ「美女と野獣」を見せた時それはもう夢中になってしまって、保育園から帰ると毎日必ず飽きずに観ていて(可愛かったよぅ)、現在まで数百回は観てると思う。

こないだ「おかーさんさ、正にあの頃の娘ちゃんだよね」と息子氏と話したのだけど、

「あなたのはBA―さんの赤ちゃん返りじゃね?」と。

言うよねーーーーwww否めないw

 

 

【芝居から新たにもらった気付き】

何度も観て更に気が付くこと、ありますね、噛み締めちゃいます。

大輔さんの演技は3度ギアチェンジしてます。

フェーズⅠ:風間カケルという生身の男性であった時

フェーズⅡ:事故で亡くなった後勇者の姿でトキオの魂再生に寄り添っている時

フェーズⅢ:トキオに生きる希望を取り戻させ最後に「お別れだ」と別れを告げる時

喋り方と声の色が全っ然違います。

 

トキオは少年時代の「本当の幸いを見つけられるなら僕はどんなことでもするんだけど」のセリフでも分かるように根は明るく真っ直ぐ、でも少々子供っぽく好きな事に対しては自己チューにもなる一本気野郎で。

二人の精神性を表しているのか、プロローグからラストまでトキオは終始自分を「ボク」と呼びますが、カケルは「俺」なんですよね。

プロローグ「あぁ、俺はここに・・・」(いないよ)

勇者の格好で現れたフェーズⅡでも「カケル、そもそも君は・・」「俺?しんだw」

 

生前のカケルはトキオやユキを思いやり相手の気持ちを優先する心優しい人(まんまダイスケやないかい)。それでも「オレ」呼びの彼は3人の真ん中で両方を見ながら、その関係の土台を引き受けていたと思われる。表には出さずに。

そして自分の夢を追う事とユキを思いやる気持ちのバランス、トキオの自分に向けられる気持ちのボリュームに、悩み揺れる普通の若者なんだろうな、と思う。

勇者カケルは、ピュア&ソフトで無邪気なフェアリー感。

生身の人間社会での雑念を、亡くなったことで脱ぎ去ったんでしょうか。

だから「何もかもが自由なんだ!」

勇者の姿は彼の目的(銀河の冒険の旅でトキオの魂を導く、必要なら闘う事も厭わない)を果たす際の、ナイト的スタンスのカケルの願望が具現化したものなのかもしれない。

終始優しさと包容力を以てトキオを見守ってる。

この時トキオに話しかけるカケルの声は、めっっっっちゃ優しい。

そして最後、ブラックホールで死神との攻防からトキオを救い、命を再生させようと別れを告げるその声はびっくりするほど大人っぽいです。

このシーンは腰の変身ベルトがブオンブオン光って見えました。(いやしてないし)

「お別れだ。トキオ」 ひゃーーーあなた誰ぇぇぇーーー

ここはもう既に、ぴゅあぴゅあカケちゃんじゃないんですよ。

時は来た。

トキオを「本当の幸い」へと送り出し自身も今旅立つ、と決意新たなカケルの強い気持ちが溢れています。

大輔さん、お芝居上手くなったぁぁぁ滑り良かったぁぁぁーー泣く

TVの前で泣きながら拳を突き出し、からのピャラピャラ~~をやるお年頃女子がここに。

 

 

このお話は、絶望や自責の念で潰れかけたトキオの心を優しくほぐし、生命の再生へと導く話だと思っていますが、同時にカケル自身が自分を救う物語なのかも、と後から思いました。

友野君演じる波にさらわれた青年は、自分自身の肉体の命は救えなかったけれど家族を助けたことで「心そのもの」は救われているんですよね。

だから「生き切った」と胸を張っている。

カケルは言葉で直接語ってはいないけど「大丈夫、ユキは怒ってないよ」「俺が死んだのは君のせいじゃない、ほんとに事故だったんだよ」「夢はまだまだ終わってないから」「命があることがキセキなんだよ」と、星々を巡るなかでトキオにちゃんと伝えきらないことには、カケル自身もサウザンクロスには到底旅立てなかったんじゃないのかな。

 

更にあたしの妄想ですが、カケルは本当はユキと同じ列車で旅立てたはずなのに、トキオの為に最終列車に遅らせたんじゃないのかな、と思ったり。

それもまたひとつの自己犠牲で。

大輔さんがパンフで語っていた「自分のことを愛せないと本当の意味での自己犠牲はできない。その選択をしたのは自分だから、『僕がやりたくてやった』と思うようにすると(それは)自己犠牲ではない。」

(この精神は震災チャリティーの際「自分がやりたいからやっているだけ、相手に知られなくてもいい」と言っていたのにも通じますね。)

大輔さんの自己犠牲に対する考え方、とても好きです。そもそもこんなこと深く考えた事もなかった。

傍から見たら自己犠牲という言葉で括られるのだとしても、これによって皆が幸いであることは、自分の幸いでもある、という精神性。

自分が幸いであるのなら、それはもう既に、犠牲ではないもんね。

 

そう思うと、ラストの力強いセリフからの♪かける♪はトキオへのエールでありつつ、ここから命のリンゴを手渡しながら生命の輪を巡るカケル自身の希望にも見えてくる。

電車に飛び込んだのに傷ひとつなかったのは、間違いなくカケルの魂がトキオの肉体を包んで守ったということですよね。

あーーーーー良い話だったなぁ。

カケルの生命力に満ちた滑りに励まされ、トキオの涙笑顔に共に救いをもらい、最後ゆずの熱唱で高揚と笑顔の総仕上げ。

なんちゅうショーだったんだ、、、

と、毎度毎度作品から放たれる矢はあたしのツボ(割と多め)に刺さりまくって

落ち武者状態で今も爆音観賞しております。

 

幸せです。

とっても、幸せです。

 

 

【スケートの持つスピードが演劇と結実した瞬間】

物語の魅力の他に、この作品の特徴的な魅力である疾走感と高揚感。

ここにいざなってくれる要素として、スケーターの滑るスピードがもの凄く大きいです。

サッカー選手のピッチでの総走行距離を測定するように、全スケーターの走行距離を測ったら

野球のスピードガンで、スケーターの滑走スピードを測ったら

ちょっと、過去のショーにはない数字叩き出すと思いますよ。

 

月光かりの如くはスケーター全員が国際大会メダリスト&人気選手である上、宝塚トップ、歌姫、有名な役者と、オールスター氷上対決みたいで其々に1シーンはソロの見せ場が設けられていました。

今回は主役を絞り、演者を紹介する意味を含んだ見せ場的なものが一切なく物語が展開していくのでスケート演技シーンが少ない錯覚を起こしますが、実際はアンサンブルやキッズを含めもの凄く滑走してるんですよね。

月光かりと決定的に違うのはラスト大輔ソロ以外は全て2人以上の群舞形式で滑っていること。

事故の場面や走行する列車の表現、バトルシーン、あのスピードが複数のスケーターによるフォーメーションの中でも落ちずに、更にこれでもかと飛ばしまくっているのは爽快でしかない。

その中でアンサンブルも常に演じ踊っているので氷上の立体感と躍動感が凄かったです。

滑走屋であたしたちが味わってしまった、スピードMaxの陣形がもたらす恍惚。

このエッセンス今回の十字星のキセキにも加わってましたよね。

亞門さんが構想した原型があった上で、菊之丞さんが第1作目から経験を積みながら描いたスケート劇の未来予想図がここでひとつ完成した気がします。

 

 

そして、大輔さんの感情表現含め、

【「場面毎」の「演者」の出力のデカさ】よ。

事前の録音含めコロスをリンク四角に配置しつつ、圧倒的な「歌」の力で物語が進行していく。

スケーターのフォーメーションとスピードがもたらす疾走感と変わらぬボリュームで、あの素晴らしい歌唱がアリーナを満たす感動は、役者が演じながら歌う場面とはまた全然違う迫力でした。

大野拓郎さんも放つ感情が大きい役者さんですね、ほんと。

芝居も歌も、どの場面でもその時の気持ちが乗っていて、あの最後の笑顔を含めた存在感の愛おしさよ♪逢いたい♪なんてほんと切なかったよ名歌唱だわ。

トキカケ少年ずと滑走屋メンバーがここに持ち込んだ現役アスリートらしい爽快なパワーと、そもそも彼らそのものである「若さ」は、作品の全編を通して活力の源になっていたと思います。

あの子たちの力はほんとに大きい!(今ちょっと声デカくなった)

哉中ちゃんは360度何でも出来るけど、儚い美しさに特化したヒロインでした。イメージや容姿だけじゃなく説得力のある滑りも装備していて凄い。

そしてしーちゃんは安定の素晴らしさ。場を捻じ伏せるよね、ああいう役やらせたらもう世界一。

エハラさんの芸達者っぷり。歌も上手いし、こういう物語を回す名脇役って優れた作品には絶対いるし。

まりゑさん、長谷川開さん、エリアンナさん、歌に芝居に皆バケモンやったね。

 

大輔さんは完全にカケルに没入していて、でもダイスケ本来の柔らかい心も同時装備してるから終始泣いている。2時間半あんなに泣いて大丈夫かと心配になるくらい。

そこまで内側で膨らませたシーンの感情をそのままセリフと滑りに乗せていましたね。

この出力のデカさたるや。

上手さや巧みさを更に越えたところにある、丸ごと自分を捧げられる演者だけが持つ「届ける力」。

大輔さんはアスリートの頃からずば抜けていたし、体力の限界まで動いて作品に挑むアスレチックなパフォーマーの魅力ってここにあると思う。

それが氷艶という舞台に「演劇だけでは得られない栄養素」をガツンと盛り込んで、

“氷艶”を“氷艶”たらしめているのだと思う。

 

でもって最後「ゆず」ですからね。

ここで更に出力Maxでしたね。アリーナ揺らす仕事を20年以上やってるヒト達の力技マジで凄かった。

観に来てくれたゆずファンの為にも3曲やってくれたのは嬉しかったな。

と言いつつ、自分もひゃっはー状態でしたけどw

 

 

同じものを観てるからもやる気持ちも分かります、あたしにもあった。

初日の1部なんてマジどんよりして(どうしよう2部もこのままだったらどうしよう)なんて本気で考えてた。先入観や期待による自分の問題なんだけどね、後で思うと。

カケルはトキオを見守るスタンスである故、何もせず側に立つ姿にモブ感も感じたり、、、

二日目で大輔さんは化けた感じありまして、そこから馬力上げてきたから自分としては見せ場ちゃんと受け取れたし、既にオープニングのトキカケ少年ず♪HAMO♪から涙、

そして楽しーーーー!に浸れたのでした。

 

(ちょっと差し込みネタですが、

ラストの♪かける♪は(振付またいつもの凡庸なヤツやーん、もっとカッコいいヤツ出来なかったの?)と悪態つきつつ、大輔さんヘトヘトだよね、髪も汗でびっしょりだ、あれ以上複雑なステップとか無理だったか??と思いました。

2日目のアフタートークに参加した方に聞きましたが、やはり大輔さんの体力がもたない為、振付をシンプルにした、と。確かに2部はトキカケは出ずっぱりで、カケルは鳥捕り、うちゅうにムチュー以外はほぼ滑っています。♪逢いたい、♪奇々怪界、♪命果てるまで、♪通りゃんせ、そして♪かける。ラストは殺陣から息も整わないまま♪かけるに入ります。稽古では賢二先生とあっこちゃんが声を出して応援し、本番でもあっこちゃんは心の中で「頑張れ!頑張れ!」と声を掛けていたと。

これ言っちゃ身も蓋もないけど、38歳怪我持ちが引き受ける運動量ではないのにほんとに良くやったよ。振付はいたってシンプルだけど、本人の滑りの力で気持ちは天上まで届いたと思う。あたしは受け取った。)

 

 

4作目となった今回、スケート演技の美しさスピードと、芝居と、歌、これが最良な見せ方でドッキングしたひとつの完成形が出来上がったと自分的には感じています。

大輔さんはぼっちポスターでガンガン宣伝されてたのに、圧倒的主役感がないのは「あれ?」ではあったけど、仕上がりとしてはバランスがとても良く心地良いのですよ。

感動ちょろいあたしは、観終わった後の高揚感・幸福感に全く抗えなかった。

 

これ舞台でやってもイケるんちゃう?と思うくらい話も演出も良く出来ていて、フォーマットとして完成されていると思うけど、

スケート知ってる人はやっぱりアイスリンクでないと物足りないんだろうな。

観ちゃったからね、もう。

あのアリーナで。

 

 

【大事なお願いでございます】

大輔さん可愛さ増し増しだから忘れがちだけど、若くないからね。

上演のペース上げてくんないかな。

隔年とか待てんのよ、、、

来年「全俺が泣いた!あの氷艶十字星のキセキが帰ってきた!!」でもいいじゃん。

もう、前夜祭からぶち上がるよ。

 

あ、義経セリフ入り、岩長ちゃんとの寝所シーン入り「シン・バサラ」でも構いませんがw