「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第5弾は、ロジスティックス担当で、「世界の果てまでイッテQ!」登山部顧問としてあのイモトのサポートもしている、貫田宗男(ぬきたむねお)さんをご紹介します。

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(久保)貫田さんは三浦隊においてどのような役割を担っているのですか?できるだけ簡単に説明していただけるとありがたいのですが。

(貫田)ロジスティックスつまり兵站(へいたん)ですといってもわかりませんよね。ベースキャンプから頂上までに行くのに、人が運んだり、牛で運んだり、飛行機で運んだりというのが本来の意味で、今回の場合は極地法といって、一気に荷物を運ぶのではなくて、ベースキャンプから、C1、C2、C3、C4、C5へと順に少しずつ上げていきます。それをどうやって上げていくのかということを考えるわけですが、今はロジスティックスというと、荷物だけじゃなくて人の動きにも関わりのあるホテルや飛行機などの手配も含めて行なうことを言います。

(久保)現地のシェルパとかの手配も含まれそうですが?

(貫田)それが一番難しいですね。やはり人間ですから相性もあるし、チームワークの問題もあるし、単に(身体の)強いシェルパだけ集めてもダメなんです。中には弱いシェルパも必要なんです。サーダーと言われるシェルパのトップとの人間関係も重要なんです。

(久保)その辺の人柄とかはどのように判断されるのでしょうか?

(貫田)一番ベースとなるのは出身の村です。もちろんサーダーとの人間関係は重要ですし、シェルパってすごく親族とのつながりが強いので、親戚関係などには配慮します。

(久保)貫田さんは、そういうことをどのくらいされてきているのですか?

(貫田)長いですよね。何十年になりますかね。もうシェルパの世代が代わっています。今のシェルパさんのお父さんの時代からの付き合いですからね。ただ、いくらお父さんとの関係があっても、シェルパとして採用するかどうかは考慮にはいれないですけど。

(久保)ちなみに、この三浦隊を支える現地スタッフの人数について教えて下さい。

(貫田)まずクライミングシェルパが、サーダーを含めて12人。あと、コックさんがベースキャンプとC2で1人ずつなので、合計2人。キッチンボーイが4名ですから合計18名。あとここまで荷物を運んできたポーターは出入りが激しいので延べ人数で言うと50人くらいは関係します。僕らが
来る前に荷物を運んでいるポーターもいるので、そこまで入れると100人以上になるかもしれません。

(貫田)この他にヤク(ヒマラヤ牛)も働いていますし、レディース軍団といいますか、ヤク使いのおばさんたち7名もいました。

(貫田)今回ルクラの定期便が減ったので、いかに事前に荷物を上げておくかがポイントでしたので、最初からヘリコプターなどを使って上げるなど早めの対応をしてきました。

(久保)ちなみにいつ頃に荷物を送ったのですか?

(貫田)最初に日本から荷物を送ったのは2月28日です。ですから3月上旬からずっと荷揚げをしています。シャンボチェに荷物を集結させて、シェルパを一人張り付けて荷物番をさせていました。

(久保)貫田さんは、普段はどのような仕事をされているんですか?

(貫田)World Expeditions Consultantsいわゆるウェック・トレックの役員を3月で退いて、税務上は今回のように声をかけてもらったときにだけ働くフリーのコンサルタントと同じなのですが、今もウェック・トレックの顧問という立場で仕事をしています。

(久保)今回、私も支援隊としてここに至るまでウェック・トレックさんのお世話になりまして、稲村(道子)さんにもたいへん良くしていただきありがとうございました。そもそも、貫田さんはこの業界の仕事をいつ頃からやっていたのですか?

(貫田)どれを最初とするか難しいんですが、1972年にヨーロッパアルプスに行っていまして、そのときに日本から来るハイキングツアーの現地でのお手伝いをしていました。それが初めかなぁ。

(貫田)それから帰国してアルパインツアーという最大手の山岳旅行会社に入って、旅行の企画・手配を13~14年やっていたんです。そのときに今のウェック・トレック社長の古野(ふるの)君も、先ほどの稲村もいました。

(貫田)その後、アルパインを退職して1年間ほど一人で仕事を始めたら、アルパインの仕事を全部引き継いだ古野君がエベレストの北東稜という人類未踏のルートに挑戦するために退職してしまって、日本の場合、エベレストに登っても単なるプー太郎ですので、その後お互いにどうしようかという話になって、法人にした方がやりやすいので、嫌だけど仕方ないから会社を興そうかという話になり、そのときに稲村も加わったんです。それが今のウェック・トレックで、1995年のことになります。

(貫田)基本的にExpedition(遠征、探険旅行)のノウハウを使って、日赤の災害医療班の10トン近くある特殊なテントを海外に持っていくようなロジスティクスをしたり、テレビとかのコーディネーション、当時から衛星電話を使っていたので、今はその端末のレンタルをしています。ノウハウがあまりに特殊すぎるので、他社もありますが、実際なかなかサポートできない領域を担っています。

(久保)何でまだお若いのに辞めちゃったんですか?

(貫田)いえいえ、若くないですよ。もう62歳になります。

(久保)まだまだ若いじゃないですか、80歳の三浦さんと比べれば(笑)。

(貫田)やっぱり自分で登りたいし、トレーニングを積むにしても仕事をしているとやっぱり厳しいし。今も、昼間にクライミングのジムに行っているんです。登りたいというか、登れる山をグレードアップしたいと思っています。

(久保)そういう仕事をしてきて、今回、三浦隊として一緒にやるのは初めてということですか?

(貫田)いえ、そうじゃないんですけど、今まで僕はここ、現場には来なかったんです。前回(2003年)も前々回(2008年)も日本にいて全部コーディネートをしていましたが、今回初めてこちらに来ました。

(久保)前々回のときに担当することになったきっかけは?

(貫田)前々回は通信関係のデバイスのコーディネーションをしただけで、前回はほとんど全部ウェック・トレックでやりました。

(貫田)やはり現地に来た方がいいです。日本にいるとよくわからないですから。

(久保)今回、貫田さんにとってのチャレンジは何ですか?

(貫田)80歳である三浦さんやメンバーのみんなが気持ちよくチャレンジできるように、せめて環境面・居住面において、(公募隊として有名な)ラッセルブライス隊にいた倉岡君(登攀リーダー)のノウハウをいろいろ教えてもらって、なるべくストレスの無いように工夫しています。

(久保)実際、今のところ前回と比べてどうなんですか?

(貫田)良くなっていると思います。特にトイレとダイニングルームが改善されていますね。

(久保)三浦雄一郎さんというのは貫田さんにとってどのような存在なんですか?

(貫田)三浦さんの前では、「もうリタイヤします」なんて絶対に言えませんね。一番素晴らしいなと思うのは、肉体面以上にメンタル面、例えばここまでのアプローチの行程を半日に区切るといった決断力や固定観念に囚われない発想は、すごく自分自身の励みになります。

(貫田)あと見てていいなと思うのは、ファミリーです。いい形でまとまっているじゃないですか。あぁいう家族、ちょっと今日本に無いじゃないですか。憧れますよ。

(貫田)仕事としても、一緒にやっていて楽しいですよ。こっちもストレスがないし。(三浦)恵美里さんとずっと普段はやっていますが、すごく楽ですし楽しいし、普通はテレビ局なり広告代理店のいろいろな人が絡んできて、いろいろな立場でいろいろなしがらみがあるけど、理想的なマネジメントができていますね。

(貫田)特に恵美里さんは、コンプライアンスやリスクマネジメントについてもかなりしっかりしているし、対応も早いし、普通は企業は自分の保身のために走ったりしてしまいますが、そういうところがなく理想的な対応をしているので、すごく楽です。いろいろなイベントをやっていて、三浦さんのプロジェクトが一番楽しいです。

(久保)最後に、将来の日本を支える子どもたちに向けて、一言メッセージをお願いします。

(貫田)何でもいいと思うんですが、自分の好きなことを夢中になってやってほしい。

(久保)ちなみに貫田さんはどんな小学生だったんですか?

(貫田)いやぁ、最低でしたね。まず勉強できなかったでしょ。身体がでかくて運動能力がないし、いじめられて、悲惨だったですよ。でも僕の場合は、たまたま中学校のときに山登りが好きになって、それまでは病気がちで、鉄棒やればぶら下がっているだけですし、かけっこ遅いし、遠足行けばすぐバスに酔ってゲロゲロ吐いていたけど、山によって開けたんです。

(貫田)もともとうちの兄貴が山登りに連れて行ってくて、高校のときに石を30キロぐらい詰めて登らされたらザック麻痺になって片手が動けなくなって夏合宿にいけなかったんですけど、そのときに中学校のときの理科の先生が白根三山に連れて行ってくれたのが、3000mを越える南アルプスの憧れの山に登れたことが自信と喜びになって、そこから開けたんです。

(貫田)当時、岩登りが禁止されていたのですが、荷物を背負わなくていいロッククライミングをやるようになって、そこでどんどん開けていって、高校を出た段階で、今井道子さん(筆者注:登山家。女性初のアルプス三大北壁登攀成功者)とかが入っている山岳会に入って、どんどん広がっていった。そういうチャンスや夢中になれるものを何でもいいから、子どもたちは見つけ、先生もそれを拾ってあげるといい人生になるのではないかと思います。

(久保)ありがとうございました。

「世界の果てまでイッテQ!」登山部顧問としてコーディネートする際にも、様々な困難に出会うそうですが、「トラブルが多ければ多いほど面白い」と平然と仰る優しい笑顔の奥に、厳しい山で鍛えられた寛容さとたくましさが垣間見えました。

「山登りも仕事も、基本は信頼関係」という貫田さんの言葉は、僕の記憶に深く刻み込まれました。
縁の下の力持ちとしてだけでなく、これからも自分の登山のグレードを上げる挑戦を続けていきたいという貫田さんの今後のご活躍を心より応援しております。

ウェック・トレックHP
http://www.everest.co.jp/