「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第二弾は、登攀(とはん)リーダーという重要な役割を担っている、倉岡裕之(くらおかひろゆき)さんをご紹介します。

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(久保)登攀リーダーというのはどの様な役割なんでしょうか?

(倉岡)ベースキャンプ以降の戦略に関して、基本的なプランはありますが、それを天気とか人の状況を見ながら修正して、三浦先生、豪太さんを頂上に導く、そういう高所での仕事になります。

(久保)登攀リーダーということば自体が初めて聞く言葉なので、もう少し詳しく教えていただけますか?

(倉岡)遠征隊だといろいろな役割がありますが、だいたい登攀リーダーという役割を担う人がいるのが一般的です。エベレストベースキャンプまではトレッキングのカテゴリーですが、ここからは危険地帯に入っていくので、そこでの高度順応やルート工作を含めた実際の日程や荷揚げの量を決めたりするのですが、今回のこのチームに関しては、三浦先生や豪太さんをはじめ、実際にエベレストに登ったことのある経験者たちがいますので、その辺は僕だけが決めるのではなくて、私の経験を元にした修正案などを入れながら、最終的な日程などを決めていくことになります。

(久保)ちなみに倉岡さんは、普段はどのようなことをされている方なのですか?

(倉岡)普段も登山ガイドをしています。Himalayan Experience(HIMEX)という会社でエベレスト(8,848m)4回、チョ・オユー(8,201m)3回、マナスル(8,163m)3回などを登っています。また昨年・一昨年は、インドネシア隊のリーダーとして登っていました。

(倉岡)ヒマラヤだけではなくて、ここ20年くらいは南米、旧ソ連、アラスカとかのガイドをしています。そして最近はセブン・サミッツ(筆者注:エベレスト、エルブルース、アコンカグア、ビンソン、カルステンツピラミッド、マッキンリー、キリマンジャロの世界七大陸最高峰)のガイドをしていて、これをしている日本人は僕一人だけです。

(久保)ということは、セブン・サミッツにおけるガイドとして日本の第一人者ということですね。

(倉岡)いえいえ、日本では他にガイドをしている人がいないだけですよ。ガイドとしてすごいというのではなくて、行きたいお客さんがたまたまいただけです。

(久保)いずれにせよ、そんなに素晴らしい実績を持つ倉岡さんが今回、三浦隊の登攀リーダーになった理由というのは何だったのですか?

(倉岡)理由は貫田さん(筆者注:三浦隊の遠征ロジスティックスを担当する貫田宗男さん)に頼まれたからです(笑)。理由はよくわかりませんが、村口さん(筆者注:2003年、2008年の三浦隊のアタックを支えた村口徳行さん。エベレスト7回登頂の日本記録保持者)が今回やらないことになって、登攀リーダー的な人が必要になったので声がかかったんだと思います。

(倉岡)あとはエベレストをずっとやっているので、事情がよくわかっているということ、外国隊とも知り合いが多いので、何かあったときに相互扶助を期待できるというところで、僕に話が回ってきたのではないかと思っています。

(久保)でも、断ることもできたわけですよね?

(倉岡)断る理由もなかったですし、すごい面白いなぁとも思ってましたよ。

(久保)では、今回の三浦さんのチャレンジを支えている倉岡さんご自身にとってのチャレンジというのは何ですか?

(倉岡)8500mのバルコニーにキャンプを作るという戦略です。昔、田部井淳子さん(筆者注:女性として世界初のエベレスト登頂に成功した登山家)とかが泊まっていますが、ここはなかなか泊まれるところじゃないんです。やっぱりサウスコル(筆者注:C4を設置する7,980m地点)が、最終キャンプというのが普通なので、8500mに泊まって景色を見るとか、そこで実際にどうなるかということは未知数で、そこは楽しみな点の一つです。

(倉岡)あとは、80歳の挑戦ということで、普通の若者がやる戦略ではたぶんできないので、それに対応した戦略を五十嵐さん(筆者注:三浦隊のベースキャンプ・マネジャーを担当する五十嵐和哉さん)や豪太さんがいろいろ練っていらっしゃって、そこに興味を持っています。私も過去に当時世界最高齢である71歳でエベレストに登った方を案内したことがあるのですが、それよりも10歳年上の先生を連れて行くにはどういう戦略が必要かを考えることは楽しみで、それが成功したときには、新しい高所登山のあり方が見えてくるでのはないかと思っています。

(久保)三浦雄一郎さんというのは、倉岡さんにとってどの様な存在なのでしょうか?

(倉岡)子どもの頃から有名ですし、スキーのスピードの世界記録を樹立したことも、過去2回の挑戦についても知っていますが、今回実際にお話ししたり行動したりして、自分の知っていることを超えている人だなぁと感じています。

(久保)例えば、どういうことですか?

(倉岡)意思というかバイタリティがすごいですね。とにかく本当に登ろうとしている気持ちが伝わってくるんです。はじめに今回の話が来たときに、僕もわからなかったので、本当に大丈夫かなという思いもあったんですが、ここに来て、登る意思がバリバリで、登れると思っているので、さらにやる気が出てきています。それがすごいなと。

(久保)もちろん最初から本気でなかったわけではないけど、三浦さんに刺激されてより気持ちが高まっていると。

(倉岡)そうですね。一緒にキャラバンを始めてみないと分からなかったのですが、天気が悪かったりで戦略を変えているのにも関わらず、ここ2~3日の話を聞いていると、先生は自分では登れると確信しているようですし、今では僕も酸素の故障とか不整脈とかが出ない限り、もちろん天気の問題はありますが、失敗する要素が今のところ見当たりません。

(久保)それは頼もしい限りです。

(久保)最後に、将来の日本を支える子どもたちに向けて、一言メッセージをお願いします。

(倉岡)周りに縛られずに自分のやりたいことをやり続けてください。夢がパッと開く時期は、必ずやってくるんです。あきらめずにいれば絶対叶う。あきらめてしまう人が多いのですが、あきらめずに頑張っていればチャンスが絶対やってきます。だからやりたいことはずっと続けてほしいと思っています。

(倉岡)私自身は、山に出会ったのは小学校5年生のときに本屋さんで剣岳の岸壁を登っている本が最初です。それに2時間も釘付けになって見ていたんです。そこで僕の中では「これしかない!」と決まったんです。それから、小学校5、6年、中学校、高校と、勉強とか体育とかはしていますが、頭の中は常にそれがあって、例えば「大人になったらヨーロッパのこの岸壁を登りたい」とか考えていました。それは一切揺るがなかったです。

(倉岡)若い子には、自分の閃きがあったら、それを常に追求してもらいたいと思います。

(久保)あきらめそうになったことは無いんですか?

(倉岡)無いです!

(久保)すごーい!

子どもの頃から山に憧れ、山を愛してきた倉岡さんの話の端々には揺るぎない意思と自信が感じられました。このような方が三浦隊の登攀リーダーとして参画していただいていることは、本当に心強いです。

今回、エベレストの頂上で三浦さんの成功を写真に記録するのも倉岡さんの役割だと伺っています。ぜひ最高の笑顔を持ち帰ってきてくださいね。

倉岡さんは今回の三浦隊の挑戦を成功に導いた後も、年内は数々の遠征の登山ガイドとして多くの方のチャレンジを支援する予定が詰まっているそうですし、今後も登山ガイドの仕事が主にはなりますが、2人の娘さんたちも学校を卒業し、手もお金もあまりかからなくなってきたこともあるので、ご自身のための登山(クライミング)をする時間も少しずつ作っていきたいそうです。

倉岡さんのご活躍を心から応援いたします。

倉岡裕之氏HP
http://www.hiro-kuraoka.com/