しかし不運はこれで終わりませんでした。(前回からの続き)

初めてのフルマラソンまで2ヶ月を切ってしまったわけですから、焦るなと言ってもさすがに悠長にしているわけにもいきません。

何せ、高校の陸上部時代は練習で20kmを何度も走ったことはありますが、高校卒業後は20kmはおろかTCSの運動会で1200m走を子どもたちと一緒に走る以外は、長距離を走ることなく27年間過ごし、今年の3月に練習で山中湖一周(13.5km)を走ったのが最長距離ですから、その3倍以上の距離にあたるフルマラソンというのは未知の世界としか言いようがありません。

また、人に聞くと、「30kmの壁」なるものがあって、そこで走れなくなる人も結構いるらしく、そのためにも3ヶ月前には一度に長い距離(30km以上)は走っておいた方がいいらしく、もうとっくにその時期は過ぎていました。

もう待った無しです。故障の不安は感じてはいたものの、9月30日からはRunningによる調整を始める決意をしました。

しかし早速、不安は的中しました。

走り始めて3日目、快調なペースで走り始めて1km過ぎたあたりで、何度か違和感を感じていた右脚のハムストリングスが痛み始めました。ペースを落として、いろいろ走り方を工夫してみましたが、一向に痛みが引きません。

「あぁ、これでもうマラソンには間に合わない。」

諦めの気持ちが一気に溢れてきました。

それまではケガをしていても、どこかが痛くても、走ろうという気力が漲っていましたが、その緊張の糸がプツリと切れてしまったかのような、悲しい暗い気持ちになりました。

実際のところ痛みは2~3日で無くなったのですが、また走れば痛くなるだろうと不安、そしてこれから練習しても、フルマラソンでまともに走ることは難しいだろうという諦めの気持ちが、朝の目覚めを妨げるようになり、それまでとは違い、4時間以上の睡眠時間があっても晴れていても、早起きをして走る気持ちにはどうしてもならずに、私はそれから1週間サボり続けたのです。

ただ、そうこうしているうちに、少しずつ「走りたい」という気持ちが戻ってきていることにも気づいていました。しかし不安は消えていません。走る勇気がないままに、10月11日から2泊3日で経営者団体の視察旅行のために韓国ソウルに出発しました。

滞在したレジデンスタイプのホテルにはジムがありました。

走るのは不安でしたが、身体は動かしたかったので、持参したシューズとウェアに着替えてジムに向かい、ランニングマシンに乗って歩き始めました。歩いていると気持ちが高ぶってくることがわかります。5分ごとに少しずつスピードを速めていきました。そして30分歩いた後は、軽くウエイトトレーニングで汗を流し、部屋に戻ろうとした瞬間、先ほどのランニングマシンが目に入りました。

「ちょっとだけ走ってみようかな」

恐る恐るランニングマシンのスピードを上げていくと、爽快な気持ちが蘇ります。たった10分間のランニングでしたが、心の中にポッと灯がともった瞬間でした。

一度消えた火が、再点火すると、その気持ちは抑えられなくなります。

その日の夕方にもう一度ジムに行き、今度はいきなりランニングマシンに飛び乗り、45分で9kmを走りました。どこにも異常はありません。もちろん路上を走るのとは違って、マシンのコンベアは柔らかいので足への負担は軽いことはわかっていましたが、「走れるぞ!」という自信のようなものが戻ってきました。

帰国した翌朝、久しぶりに5kmのRunningに出かけました。
5分/kmペースで走りましたが、痛みはありません。

「走れればいいじゃん」

40日後に迫ったフルマラソンに向けて、再スタートを切りました。(続く)