11/30付の東京新聞朝刊に東京都知事選告示に関する記事に写真入りで私のインタビューが掲載されました。私のような者を取材していただいたことは非常にありがたいと思う一方で、1時間余の取材時間の中で話した内容と書かれた記事の内容はかなり違います。もちろん紙面の制限、取材記者の理解度の問題もありますが、私の伝え方もトピックが多すぎるという問題があったようにも思います。なかなか難しいですね。

以下に改めて私の話の趣旨をまとめたいと思います。

まず教育という分野にしぼって話をする前に、その前提となる政治に関する私の考え方をお話します。

私は国や自治体のリーダーを選ぶのは「策」ではなく「念(mindedness)」で選ぶべきだと考えています。「念」とは、漢字の成り立ちから言えば「心の中に閉じ込めて、じっくりと考えること」を意味し、私がそれに対応させているmindednessというのは「ものの見方・考え方」という意味になります。

念を持ったリーダーが、多面的な情報をもとに、論理的、心理的観点を鑑みて問題解決の策を意思決定する。それを任せられると思える人を選ぶべきであり、目に見える、手の届きそうな策で選ぶことは「捻(stranded)」を引き起こし、ものごとは立ち往生するでしょう。

全ての策の是非を選挙で吟味することは物理的に不可能ですし、もしそれを実現したいなら政策ごとに全て国民投票・住民投票をするしかなく、それは現実的ではありません。

だからこそ候補者がどのような「理念(philosophy)」を持って、どのような「概念(concepts)」で物事を考えるのかというところに興味関心があります。掲げている政策やマニフェストそのものよりも、なぜそれを実行しようと思うのか、今後状況が変わったとき、新たな条件が加わったときにどのように考え判断するのかという、その人の「念」を判断することが大切だと考えています。特に首長を直接選ぶことができる自治体の選挙はこの要素がより大きいと思っています。

そういった判断、意思決定を個人がしていく上で、私は「社会と個人の成熟した関係を構築すること」が大切であると考えています。

まず、物事には必ず両面があり、一方的に都合のいい話などありません。さまざまな主張にはそれによって引き起こされる痛みが必ずあります。たとえば、原発に依存しない社会を創るのは個人的にも賛成ですが、それによって一時的に電気料金が上がろうと電力が不足しようとそれを受容する覚悟がなく主張するのはアンフェアだと思っています。そういったことを全て国や自治体、企業の責任にするのではなく、意思決定した以上、その痛みを甘受するとともにその問題を解決していく主体的な問題解決者(problem solver)となる覚悟と自己責任が伴うことを国民、住民は認識すべきだと思っています。

誰かを悪者にするのではなく、一人一人が自己責任を果たしていくことこそが社会と個人の成熟した関係だと私は考えています。

しかし、そういう関係を構築していくことは一朝一夕には難しいことも認識しています。選択には責任が伴うと言われても、考え方、評価の仕方、選択の仕方を知らずして、選択だけを強いられれば失敗や後悔が多くなることは必定です。

ですから未知の問題に対して、自ら考え、自ら悔いの無い選択をできるような力をつけるための学びが必要になると私は考えています。そこが教育の出番なのです。

では具体的に、教育という観点から東京都の教育に関する「策」について具体的に期待することを2点に絞ってお話しします。

1点目は「社会としてイノベーションのジレンマに陥らないための選択肢の多様化」です。

戦後の日本における公教育は素晴らしい成功事例です。
皆が同質にレベルが高まるように、知識や解き方を覚え、できるだけ短い時間で正解に辿り着くことを徹底的に訓練する教育は、日本の高度成長と現在の国の基盤作りにとって間違いなく貢献してきました。

ただ、もはや知識の記憶や正解のある問題に辿り着くだけであれば、コンピュータやインターネットに凌駕されてしまっており、これからの時代もどんどんその価値は下がっていくことが明らかです。また偏差値という1つの価値観でしか評価されないことによって、本来人間が持つ多様な知性や特長はこれまでの教育の中で多くが失われてきたとも言えるのです。

これからの時代に必要なことは、未知の知識や概念を学び続ける力、未知の問題を解決していく力、新たな価値を創造する力、多様な「違う」人たちがその存在も生き方も互いに認め合う寛容さ、そしてそういった人々が議論し協同し創造する力、地球全体の未来を考えて行動する力なのです。

そういった教育に成功事例であった公教育が突然、舵を切ることは簡単ではありません。一方で、東京だけを見回しても、今の公教育の中では扱いきれない学びを民間の教育機関が実践しています。

例えば、まさに上記のような学びを先進的な独自の「探究型」カリキュラムで実現している私たち「東京コミュニティスクール」のような学校もありますし、ICTをフル活用した教育もあるでしょう。また公教育の学びに馴染めない、言い換えると公教育の学びとは違うものを求めている生徒・児童のための通信制高校やサポート校・フリースクール、あるいは発達障害を抱えている生徒・児童の特別支援教育を実践しているNPOなど、現在そして将来の社会において必要な、多様性を担保するための学びの場がそこにあるのです。

現段階で公教育をコアとすること自体はいいかと思いますが、教育がイノベーションのジレンマに陥らないように、私たち「東京コミュニティスクール」のような現在の公教育ではすぐに対応できない新たな選択肢を実践しているエッジーな教育機関が先進的な事例となり、それがある程度評価が定まった段階で、公教育に導入していくというやり方をすれば、リスクは最小限に公教育のイノベーションを実現することができるのです。

そのためには、民間の教育機関をサポートする仕組みが必要です。
NPOが非営利事業として教育を行なっていれば法人税はかかりませんが、消費税は対象になります。これから消費増税が行なわれれば、最終的に保護者がその増税による経済的負担を受けることになります。

保護者の立場から言えば、税金は公教育だけに使われて、消費税もかからない。一方で私たちの子どもの通う学校は税金からの助成金も無いから授業料は高くなるし、消費税も払わなければならないという不平等感を感じるでしょう。

また学校の立場から言えば、私たちはお金を持っている人のための教育をしたいのではなくて、この教育を必要としている人たちのための教育をしたいのであり、授業料をできるだけ低い金額に抑えて多くの人たちにとって通いやすい環境を整えたいのです。

そのために東京都に期待することは、

東京都が厚労省の基準より緩和した認証保育所と同様のコンセプトで、東京都の認証学校を作り、助成金はなくとも消費税の対象外とする施策を導入し、多様なタイプの教育にチャンスを与えることが考えられます。

敢えて上記のような新しい制度を作らなくても、学校法人(各種学校)の認可基準を緩和することで同様の効果を得られます。

さらに、その新しい取組みを未来の公教育に導入するためには、評価をしっかりしていかなくてはならない。もちろん第三者機関を設けて評価することも必要かもしれませんが、もっとも確実な評価は、生徒と保護者による評価です。

本人も保護者もその学びの主体になりますから、真剣に学校を選びます。選択肢が広がれば、いい評価を受けた学校には生徒・児童が集まり、そうでない学校は自然と淘汰されます。

そういうことを言うと、学校選択制があると反論される方もいらっしゃいますが、現在の学校選択制は、テーブルの上に「金太郎飴」を並べて「さぁ選びなさい」と言っているのに過ぎません。確かに金太郎の顔は少しずつ違うし、歪んでいるのも、ハンサムなのもあるでしょうが、食べてしまえば味は一緒なのです。それが現在の学校選択制です。

私が言う「選択」とは、テーブルの上に、金太郎飴だけではなく、色も形も味も効能も違うさまざまな飴や、それ以外の食べ物も並べてあって、そこから選びましょうという考え方です。

話を戻しますが、その保護者からの評価と学校経営をリンクさせ、税負担の公平感を実現する最善の方法が「教育バウチャー制度」です。教育バウチャーは地域通貨とコンセプトとして共通するところがありますので、全国に先駆けて東京という地域だけでこの教育バウチャー制度を行なうことはさほど特別なことではありませんし、教育機関にしか使えませんので、地域振興券や子ども手当のように親のパチンコ代に消えてしまうようなこともありませんから、目的に沿った形で活かされるという点においても優れた施策だと考えています。

2点目は「人材のるつぼである東京がグローバル教育の最先端を担う」ということです。

現在、東京都教育委員会は国際社会で活躍する人材を育てる方針を掲げていますが、その施策は十分ではありません。

現在、世界で高い評価を受けている、IB(国際バカロレア)教育は、文部科学省もその推進を積極的に進めていますが、まだ日本の中ではインターナショナルスクールが主な認定校で、1条校と呼ばれる日本の学校での導入は遅々として進んでいません。

また文部科学省も東京都の教育委員会も、大学入学資格(DP~ディプロマプログラム)の導入にだけ熱心であり、かつそれもプログラムの一部だけを取り込むものであったり、英語力という側面だけで考えているところがあります。

本当にグローバルに通用する人材を育む、別の言い方をすればこれからの時代において逞しく生きていく力をつけることを、DPの2年間だけで獲得しようとすることはたいへんなことです。英語力ももちろん必要ですが、それにも増して、ものの見方・考え方(mindedness)が非常に重要になってきます。

真剣にグローバル人材を育もうと思うのであれば、初等教育から変えていくべきなのです。

IBのプログラムも最初はDPしかありませんでしたが、やはりそれ以前からの学びの基礎が大切であるという認識からMYP(中等教育プログラム)、PYP(初等教育プログラム)ができました。私の実感から言っても、子どもが自ら疑問を持って学び、他人と議論して物事を決めるなどの学びの態度・姿勢やものの見方・考え方を初等教育から学ぶべきであると確信しています。

現在は都の教育委員会は高校を管轄し、市区の教育委員会が小中学校を管轄する形になっているために、先述の都教委の施策も高校のことだけで終わってしまい、長期的な視点を持たない施策になってしまっています。

より一貫性の持った教育を実現していくためにも、都と市区の教育委員会の枠組みを越えた新たな制度設計を東京都に実現してもらい、IBであればPYP,MYPから導入していくことを真剣に検討してもらいたいと思います。特にPYP,MYPに関しては主たる指導言語は「日本語」でできますので、「母語としての日本語」を大切にしていくことには今までと何ら変わりはありません。

日本のどの地域よりも多様な人材が集まっている「人材のるつぼ」である東京こそがグローバル教育の最先端を担うに相応しい場所だと私は確信しています。

ぜひ未来のための教育を積極的に押し進めていただくことを新しい知事に期待します。