ある晴れた日のことで、時期はそう六月も半ばという所か、まずは人の生業の世界においての話だが、向日二惰という青年があった。
日本の話で、あえていつ頃の年代の話かは伏せておこう。何しろ昔すぎては洋燈もない真昔で、そのように古き世を嘲られてもかなわん。まあ、だからして令和、の話だと解釈しても結構。未来ももしや原始時代へ、第三次世界大戦の後には、人類は石と斧で戦うだろうと予知した大天才の発言もあるし、百年後の未来の話としても良い事だが、何しろこれは実際に文献もあるし当時の引筆でまるで読めないような線の曲線が、まさか伝説ともうたわれる河童と天狗の邂逅と会話だというのだからたまげてしまう。

ちなみに河童も天狗ももはや伝承でしか語られず、ついぞ滅亡したものかと思われた。その希少さからすと、かのツチノコ、そうして東洋の龍、日本の妖怪伝統ぬらりひょん、それから座敷わらし、についでの希少種だというのだから天晴れだ。だが河童も天狗も過去にはいたが現代では見る事がない。河童は河童でキューリが好きだと、天狗は天狗で彦帽子を被って顔が赤いと勘違いされているが、河童はただ緑の野菜類が好きでキャベツや、アボガドやキウイさえ好きだった。天狗も天狗でたまたま「顔の赤い猿」を見間違えたものがたまたま扇状の葉をもち雨が降ってきたので傘がわりに洒落た赤猿が帽子ついでに巨大な椎茸のごとくキノコを頭に乗せていただけの話。
本来は河童は雑食でなんでも食べていたのだし、それこそ人の尻子玉は好物だった。
戦時の激しい時分には、河童はよく川岸に死んだ兵隊の死肉に集まったものだ。
時の知識人は、「河童があやつり人に戦をおこさせてその肉を食う」といささか人間をまるで家畜化しているのではないかと分析をした可なるものもいた。或いはその分析力は良、である。

その頃に河童と共に覇権を握っていた天狗。天狗も人の死肉を食らい仙人とも御されたが、天狗は河童と違い主に森や山に生活をした。よほど夜目がきくそうで、迷い込んだ人などは目を潰されて悉くの臓器を生きたまま喰われたとか。
虎や熊などとは違い嘴でついばむので即死という事にはならない。

当時は龍もまたいたのだが、龍は霞を喰らうので人には害をなさなかった。だが龍が突風や突然の竜巻などにおののいて雷鳴を轟かすと、さすがの河童も天狗もまた肝を冷やしたらしい。

その頃に幼子で妙天宮というわっぱが生まれた。

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