かつての少年は道を通う唯の米粒のよう。同じ米粒と同等に道を歩いて小学校へと歩く。大通りや国道の脇通りを経て、歩道橋の階段を、のぼりきり長い歩道橋を歩く。

揺れるほどに長い路は車道では二車線の道が相互に向かう方と来る方で合計四車線、間には中間に設計されたのか自然のある空間があった。

わたしは通学路を概ね、六年は通った。
がそれは小学時代の話し。更に二年通った、それは中学時代の話し。それから親の都合により引っ越しをして、一年は別の中学に移る。そこで出会った物語はかけがえのないものかも知れない。後に思い出して良いことは大切にした方が良い。人は概ねある方向へと傾いていくが、その中で自分にとって大切か、愛せるものがいたならば幸いなのであり、生命の不思議とは、もし人が与えられた使命を持つならば、それは大いなる意味をもつだろう。

モツてはない

これはわたしの人生期である。故に何も意味を成さないだろう。例えばゲーテ、例えばドストエフスキー、例えばクリチャーノロナウド、話をすればわかりやすいかはわからない。ただ一人の神父がいて、それがもしくは当たり前のようにいて、隣にいたと似たような話し。

わたしの幼少期は最悪、性格機敏にて怖がり、幼稚園時代から怖くて生きている絶望感と悲しみを思った。たぶん場末の工場で、父の乗るリフトカーの後ろのとか乗ってそれだけが楽しかった。

その頃はコリー犬がいてオウムもいたが、この記憶が正しいのかはわからない。小学校に入る前の記憶だが、隣の借家に住んでいたエノキドおじさんにひざに抱えられ、タバコの煙を吹きかけらたかを何故だが覚えている。
わたしもタバコを吸う期間が二十代から十年ほどあったので、別段と思うことはないが、父が縁の工場を辞めた後に一度だけ家に来たことがある。その際に母は、毅然として追い出した。だがそれは私の記憶。

脳は間違うものたろう。ましてや少年の頃。エノキドと記憶した来訪者は、酒癖の悪い別人だったらしい、父の工場の知り合いだったが、わたしは同じように膝に乗せられてタバコの煙を吹きかけられた記憶がある。母は、「夫が不在ですから出ていってください」と追い出した。

その人がエノキドの、上瀬谷町の記憶と、上依知の記憶と重なってしまう。

アパートに遊びに来て、どこから捕まえたか、どデカいカエルの死体を玄関の前に置いて行った。今でこそ思い出すのは、彼はエノキドでしょう?何故おいだすの?

と思ったら彼は別人だった。勘違いと自己と自我により世界は成り立つ。わたしが恐れるのは無理解や無知、ズレが根底にはあるのだ、勘違い誤り全ては誤解をされているから、それを正す光りか道いか愛のようなもの

或いは宇宙を見れる人はいないだろうが或いは風や或いは土や或いは月や空の上に

わたしは証明をするつもりはないが
空にも地上にもあらゆるを

愛やそれらが広がっていたんだ